結局戻ってくるところ
以前読んだ本の巻末に、「自分への質問1000」みたいなのがあって、
「小学生の頃好きだったことはなんですか?」
「中学生の頃好きだったことはなんですか?」
「高校の頃好きだったことはなんですか?」
といった質問があった。
わたしはその質問をみて、
「わたしは絵を描くことが大好きで、物心ついてからほぼ毎日描いていた」
ことを思い出した。それこそ、15年ぶりくらいに。
わたしは、今や会場がビッグサイトになって久しいコミケが晴海のコンテナ置き場みたいなところでやっていた頃から通っていたガチオタで、薄い二次創作本を作っては売っていた。某有名RPGゲームで主人公が「実在しなかった」ことを知って(そもそもゲームキャラクターの時点で存在しないから!というツッコミはオタクの友人から当時1000回ほどされた)暫くショックで呆けていたし、大学進学するか、アニメーターになるか、声優養成所に行くか、割と真剣に考えたこともある。
でも当時、そこそこ偏差値の高い私立中学において勉強も運動もでき、お洒落にも気を抜かなかったわたしは、スクールカースト中の上くらいには居た。つまり、隠れオタクだった。
今となっては本当に隠せていたのか微妙なところではあるが、少なくとも学生時代、オタクとからかわれていづらい思いをした記憶はない。
そして、「リア充ぶりたい」「優等生」というわたしのB面が、社会人になってからはメインに出てくるようになり、それがそのまま今の「わたし」になっている。
結婚・出産・育児・会社での社会人生活 といういわゆる真っ当なライフプランを進めるにあたっては、そのほうが都合がよかった。
それにしても、こんなにハマっていたことをここまで「なかったこと」にできる、人の脳ってすごい。
ここにきてのカミングアウト
国立大学を卒業後、超ホワイトな上場企業に勤め、結婚をし二人の子どもに恵まれ、義両親とも良仲で家事育児もサポートしてもらえる。
ここまで順風満帆な人生を送ってきたアラフォーのわたしが、ガチオタの絵描きであることをカミングアウトした理由は、ここ最近のわたしの「不・充足感」を満たしてくれるのは、絵を描くことなのではないか、と思ったからだ。
旧態依然とした「幸せな人生」をなぞらえていたって、上には上がいて、満足することなんてない。「ナンバーワンにならなくてもいい。もともと特別なオンリーワン」は、わたしの就活時にちょうど世間を大いに賑わせていた歌で、そんなフレーズは15年も前に知っていたはずなのに、今になってその言葉が身に染みる。
いや、絵描きにだって上には上がいるし、オンリーワンになることだって難しい。そりゃさすがに、わたしも分かっている。
でも、絵を描くことに関しては、わたしは純粋にその過程を楽しんでいる。そして、自分の満足いく絵が描けたら、それだけでとても満たされる。何のお金を生み出さなくても、構わない。
冒頭に触れた、某書籍の1000の質問。「子どもの頃に好きだったことは何か」。これが意味するのは、きっと、こういうことだ。大人になると、自分の時間をどうしてもコスト/メリットで考えがちになる。時間をかけたのだから、何かのリターン(お金)が生み出せないことには、その時間は無駄だったと。
でも、子どもの頃大好きで熱中していたものについて、そんなことは考えなかったはずだ。ただただ楽しくて、それをやっている時は寝ることも食べることも忘れて没頭する。
わたしは、漫画家になりたいとは思っていたけど、億万長者になるための手段と考えたことはない。
自分で自分の心を満たすということ
生活が掛かっていたら、「お金を生み出さなくてもいい」なんて悠長なことは言ってられない。でも、わたしの場合、生活の軸は別に持っていて、純粋に趣味として描くことを楽しめる。
しかも、今はお金をかけて印刷所で同人誌を作らなくても、小さなハガキに絵を描いてファンロードに投稿しなくても、あっという間に世界中の人々に自分の絵を公開できるし、大抵の場合それなりに「いいね」もしてもらえる。
自分が作るもので自分の心を満たせる人生って、ものすごく幸せだ。
なんて素晴らしい時代なんだろう。ワクワクしてくる。