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パートナーのいちばん好ましいところ
もし結婚生活が暗礁に乗り上げそうになったら、
自分の伴侶の好ましいところと、
夫や妻としての自分の至らないところを
表にして比較してはどうか。
人生の転機となるかも知れない。
「人を動かす」で有名なデール・カーネギーの言葉である。
最近、夫の行動にイラっとする事が多く、心の中で何度も「このXXが」とつぶやいている。いや、声に出てるかもしれない。しかし、こんな生活はわたしにとっても本意ではない。そこで、カーネギー氏の言う通り、好ましいところと自分の至らないところを書き出してみようと思う。
夫の好ましいところ
絶対にテンパらない
弱音を吐かない
ケチじゃない
頭の回転が速く賢い
働いて稼いでくる
一人でやる趣味はなく、休日は基本、息子のサッカーに付き合う
わたしや子どもの友人達とコミュニケーションを取れる
やると決めた家事分担はちゃんとやる
わたしが妻として至らないところ
料理を作らない(週末に月1〜2回くらい)
夫が帰ってくるまで起きてるとか絶対しない
夫のためだけの家事(一人遅いタイミングで食べ終わった食器を洗うとか)は基本しない
外出する予定が無ければ一日中部屋着ノーメイクでいる
書き出して分かった事
良いところだけ書き出しているのだから当然だが、うちの夫も夫としてはなかなかのものだと思う。新たな気づきは、わたしは夫の「テンパらないところ」と「弱音を吐かないところ」をかなり評価しているという点だ。
いつも、理不尽な家事育児の分担でも文句を言うのをグッとこらえて「我慢するんだ、こんな夫でも、●●なんだから…」と自分に言い聞かせていた「●●」には今まで出てこなかった項目だ。
でも、この点が夫になかったら、とても結婚生活は耐えられないと思うほど、パートナーの条件として重要な項目である事に改めて気づいたのだった。
そのルーツはおそらく、わたしの生家にあると思う。
父は、外面はすごくいいが家の中では傍若無人で、プライドだけ高い典型的な昭和の父親だ。どうせなら実も伴って貫き通してくれればよかったのに、私が中学生のころに自らの不正が原因で失職した。そんなことがあっても、家の中では王様だった。
母は、娘であるわたしに、父や父方の親戚のこと、祖母の介護のことなどについて、事あるごとに愚痴や弱音を吐露したり、泣き出したりするような人だった。大人になった今なら、母の立場についても理解するが(こんな記事を書いているくらいなので)、中高生の頃のわたしにとってはそれがとても嫌だった。どうしてこの人は子どもであるわたしに(わたしには兄がいて、わたしは長子ではない)そんな姿を見せるんだろうと思っていた。
そして、兄は、思春期の頃は不意にキレては5歳も下の妹であるわたしに手をあげるような人だった。友人と仲良くしているところを見たことがなく、どちらかというとコミュ障の類いなのではないかと思っている。もちろん、いまも未婚だ。
ニュースになる程絶望的な家庭、ではない。でも、わたしは、わたしの家族の不安定さが心底嫌いだったし、大人になった今でも好んで実家に寄り付かない程度には疎んでいる。
だから、身近な人が精神的に安定しているというのはわたしにとって非常に好ましいことなのである。
妻としてのわたし
一方、妻としてのわたしはどうか。
上述した点をみたら、大抵の男性はドン引きしてこんな妻はゴメンだと思うのではないか。わかる。
ただ、平均的な日本男性以上には稼いでくるという時点で、このご時世においてはわたしもかなり好条件だと自負しているのだが、それを差し引いてもわたしの至らなさとして垣間見えてくるのは、夫に対するリスペクトのなさだろうか。
日々の行動に対する不満に覆われて全く注目していなかった、夫の「精神的安定性」という最重要項目に対して、わたしはもっとリスペクトすべきだ。実家で、精神的に未熟だと心の中では蔑んでいたその家族の庇護の下で暮らすしか無かったあの頃の息苦しさを思い出すと、家事育児を(わたしの思うレベルでは)やってくれない夫の欠点など、大した欠点ではない、と思えてくる。
今ある幸せを、もう一度見つめ直すきっかけとなった。