シナリオ「ろすと」
※注意
ペットが絶命する描写を含みます。
登場人物
佐村隆弘(43)会社員
佐村実久(40)主婦
佐村雄大(15)中学生
矢口則清(71)タバコ屋店主
①佐村家・外観(朝)
閑静な住宅街の中にある一戸建て。
②同・庭(朝)
空っぽの犬小屋。
「リルカ」の名札。
③同・食卓(朝)
佐村隆弘(43)スウェット姿で、眠そうな顔で入出してくる。
佐村実久(40)椅子に腰かけ、マグカップを両手で持ち、ぼーっとしている。
佐村、実久を見て溜息を吐く。
佐村「おはよう」
実久「あ、おはよう」
佐村「具合悪いのか」
実久「ううん、いろいろ、思い出しちゃって」
実久が指さす方を見る佐村。
床に置かれた空っぽのエサ入れ。
佐村、うんざりした様子で、
佐村「いつまで出してるんだ。もう片付けろよ」
実久「分かってるのよ、でも、まだあの子がいるような気がして」
佐村「雄大は」
実久「まだ起きてこない」
佐村「今週はちゃんと学校行ったのか」
実久、首を振る。
実久「あの子もきっと、ペットロスなのよ」
④同・雄大の部屋(朝)
閉め切られたドア。
佐村雄大(15)ベッドに寝転がり、天井を見つめている。
実久の声「優しい子だもの。辛いのよ」
本棚に写真立て。
フリスビーをくわえたリルカ。
⑤同・食卓(朝)
佐村、トーストをかじっている。
食卓の上に皿とコーヒーカップ。
その横から実久の手が、静かにパンフレットを滑り込ませてくる。
佐村、トーストを置く。
佐村「何、これ」
実久「最近できたペット霊園。評判が良いんですって。ここから車ですぐ」
佐村「もう供養しただろ」
実久「お骨だけ動かせばいいじゃない。ほら見て。墓石も可愛いの」
佐村「お前さあ。本当に悲しいのか」
実久「なんでそんなこと言うのよ!」
実久、両手で顔を覆う。
佐村、立ち上がって
佐村「タバコ買ってくるわ」
佐村、部屋を出ていく。
実久、肩を震わせている。
⑥タバコ屋・外(朝)
道路に面した昔ながらのタバコ屋。
上着を羽織った佐村が歩いてくる。
矢口則清(71)店番をしている。
佐村「メビウス、2箱」
矢口「あい」
矢口、タバコを取って佐村へ。
佐村、小銭を探る。
矢口「今日もワンコロいないのかい」
佐村「え?ああ、犬?」
矢口「そうだよ。最近見ないね」
佐村「死にましたよ。老衰」
矢口「あら、そりゃ辛かったね」
佐村「辛かった、のかな」
佐村、タバコを手に立ち去ろうとする。
矢口、慌てて身を乗り出す。
矢口「おい!お代!」
佐村、足を止め振り返る。
矢口「犬が死んだくらいで、まけないよ」
憮然とした表情の矢口。
佐村、慌てて財布を取り出す。
⑦佐村家・リビング
ノートパソコンと向き合う実久。
実久のブログを見ている。
リルカの写真とたくさんのコメント。
『リルカ君は本当に幸せですね』
『あなたは保護犬の女神様です』
など、温かい言葉が並ぶ。
潤んだ目でコメントを見る実久。
佐村の声「なあ」
びくっとして振り返る実久。
帰宅した佐村が立っている。
実久「チャイム、鳴らしてよ」
佐村「鳴らしたよ」
佐村、パソコンを覗く。
実久、パソコンの画面を畳む。
佐村「コメント、来てたか?」
実久、答えずに佐村を睨む。
佐村「お悔み、たくさん来てるか?来ているだろうな。保護犬を救う女神様だもんな、お前は」
実久「何が言いたいのよ」
佐村、答えず実久に背を向ける。
実久「リルカはね、天寿を全うしたの。保健所の檻の中じゃなくて、温かい毛布の上で、私に看取られながら最期を迎えたのよ」
実久の目に涙が浮かぶ。
実久「リルカを讃えて、何が悪いの。思い切り悲しんで、何が悪いのよ」
沈黙。
佐村、溜息をつく。
佐村「何も悪くないよ、お前の犬だもんな」
佐村、かがみ込み、空っぽのエサ皿を拾い上げる。
佐村「生かして喜んで、看取って悲しんで。全部味わって、それでいいんだ」
実久、泣きながら佐村を睨んでいる。
佐村、皿をテーブルの上に置く。
テーブルの上に一冊の本。
佐村、本を手に取る。
『ペットロスと向き合うために』
と表紙に書かれている。
佐村、本を手に取って掲げる。
佐村「買ったのか」
実久「雄大がくれたの」
佐村「あいつが?」
実久「縁起でもないって思ったけど、読んでおいてよかった。私もあの子も書かれているとおりにペットロスになったから」
佐村、実久を制して、
佐村「待てよ。なあ、お前、この本いつ読んだんだ」
実久「だから、リルカが亡くなる直前」
涙をぬぐう実久。
佐村、本の表紙を見つめる。
⑧雄大の部屋
雄大、パソコンゲームに熱中している。
佐村の声「入るぞ」
佐村、ノックも無しに入室してくる。
雄大、一瞬腰を浮かすが、諦めて椅子に座り直す。
雄大「何?」
佐村「もう治ったのか」
雄大「何が」
佐村「ペットロスだよ」
佐村、手に持った本を雄大に見せる。
目をそらす雄大。
佐村「お前が買ってきたんだって?父さんにも言ってくれよ。リルカの面倒、父さんもそれなりに見てたんだから」
雄大「知らねえよ、妬いてんの?」
佐村「なんで、母さんだけに読ませた」
雄大、答えない。
佐村「ペットロス、って言葉があるんだな。初めて知ったよ。父さんも母さんもこの本でな。学校休むほど、しんどいものなんだな」
佐村、写真立てを指で撫でる。
積もったほこりが拭われて線ができる。
佐村「学校休むほど、しんどいものなのか?」
佐村、雄大を見る。
雄大、ベッドに入り佐村に背を向ける。
雄大「出て行けよ」
佐村「まさかとは思うが、毒でも盛ったのか」
雄大「そんな必要なかったよ!」
佐村、目を剥いて一歩前に踏み出す。
しかし、言葉が出てこない。
布団から起き上がる雄大。無表情。
雄大「何もしてないからね、俺。あの犬は老いぼれて死にそうだったから、何て言うか、啓蒙しただけだから」
佐村「啓蒙?」
雄大「ペットロスって言葉をさ、あの人に教えてあげただけ。そしたらさ、学校休んでも、怒られないだろうなーって」
佐村「お前、本当に悲しいのか」
雄大「悲しい! って言うとあの人が喜ぶ」
雄大、佐村に挑むような目つき。
雄大「俺はただ、あの犬が死んだのを利用しただけ。あの人がブログ書いてるのと同じこと。ねえ、何が悪いの?」
雄大、笑う。
佐村、雄大に殴りかかる。
⑨同・洗面所
手を洗っている佐村。
血で汚れたハンドタオル。
⑩同・食卓
佐村、痛めた手首をさすりながらやってくる。
実久、険しい顔でうつむいている。
実久「あんなに殴ること、ないでしょう」
佐村「あんな顔じゃ学校に行けないな」
実久、怯えた目で佐村を見る。
佐村「好きなように書けよ、ブログに」
佐村、上着を羽織り、部屋を出ていく。
⑪公園
冬晴れの空。
佐村の投げたフリスビーが飛んでいく。
じっと軌道を見つめる佐村。
佐村「どいつも、こいつも……」
佐村、鼻をすする。
落下したフリスビーを誰も拾わない。【完】
ここから先は
¥ 300
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?