乳酸菌とオリンピック
最近はあまり見かけないけれど、ひと昔前によくテレビで見たCMにこんなのがあった。
蒼井優さんをイメージキャラクターに起用した、整腸剤のCMである。
人には人の乳酸菌
という言葉が一時期流行し、それを下地にして「人には人の○○」という言い回しがそこかしこで使われていたのはいつの頃だっただろう。
それはさておき、先程テレビを見ていると、とあるドラマの中で中村梅雀さんが、後述のように仰っていた。
「人には人の、それぞれのものの見方においての正義がある」
正確なセリフは忘れてしまっているのだが、だいたいこのような内容だったと思う。そう、人それぞれの視座視点から見る正義や正解は、必ずと言っていいほど、少しずつ異なっている。勿論、それぞれの発言を形成するバックグラウンドが異なっているため、それは当たり前と言っても過言ではない。
そこまで考えて行き着いたたのは、2021年に控えた東京五輪のことである。このようなご時世の中で、どのような舵取りをするのかについては賛否両論あるだろう。今回の記事は、その辺りについての細かい賛否については触れない。ネット上にごろごろと散らかった、玉石混交の情報に譲ればいい。
ただ、「人には人の乳酸菌」があるように、「人には人の正義」があって、だからこそ、こんな状況下でも、オリンピックの開催についてこんなにも意見が割れるんだろうなぁ、と思う。だって、バックグラウンドがみんな違うから。考えることはみんな違う。
医療系の専門学校に在籍しているので、先生方がオリンピックについて否定的な発言をしているのをよく聞く。そうでなくとも、ニュースを見れば、芸人上がりのコメンテーターや、何も考えてなさそうなアイドルが一丁前に語っているのを聞くことが容易にできる。
逆に、昼の情報番組なんかの御用学者さんが、いかにも壮大にオリンピックの経済効果を語ったり、元脳筋アスリートがスポーツの素晴らしさを語ったりしている。
別に語ることは悪ではない。僕もオリンピック議論については知識不足だ。どの人の話もとても勉強になる。でも、その後が、語りの後が、そこからが問題なんだ。
僕らはあまりそれらを知らずに相手を叩く。素手じゃなく、バールで。
議論におけるアグレッシブはとても大事なものだろう、と学生時代に学んだ。でもね、それでも、バールで相手をぶっ壊す必要性なんてないじゃんって思う。自分の意見を述べるのに、他者の理論を諭すことはあっても、他者を攻撃してしまうのは話が別だ。
バックグラウンドも正義も違うことを知らないと、議論が上手くいかない。三次元上をねじれの関係のように直線が引かれていくに過ぎない。何なら、相手を深く傷つける可能性さえもある。
こんなご時世だからこそ、今まで以上に大事になるのではないだろうか。「人には人の乳酸菌」という考え方が。
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