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心拍数が上がって吐きそうになる時

最近、日々の潤いを感じて生きていけている

潤いを感じられているタイミングって
人生でそうそうないと思っていて

大体しんどい9割なイメージ


今こういう日々を送れていることを
愛おしく、また不安にも感じていたりする

こういう時って大抵
衝動的に動いて失敗するレベルが高くなったりもする

軽いところだと、考えてもいなかったところへの出費だったり
または人間関係に傷が入ったりと

でも、自分がまず幸せになれれば
このドキドキやキラキラを
周りにも放出できると信じて
今この時を抱きしめて、愛したいと思う

定期的に思い出す友人がいる
デザインの専門学校の時に知り合った女の子で
私よりも歳が2つ上だった

でも同期だからタメ口で、
彼女もまたフランクな雰囲気で
とても仲良くしてもらった

その子には、たくさんの「カルチャー」を教えてもらった

高校時代までの私は
どちらかというと殻に籠った趣味で生きていて
3枚目俳優や、かなりマニアックな音楽を好んで聞いていたりして
周りからは共感を得られず
個人で全てを楽しんでいた

そんな中、その子から
・ファッション
・音楽
・若者文化

など、今思えば
さまざまなサブカルチャーを教わった

とくにファッションは全く疎かったので
全てが新鮮でキラキラだった

そんなたくさんの刺激をくれた友達だったので
毎日毎日その子と話して、家にも遊びに行って
私の家にも遊びに来てくれてと

とても仲良くさせてもらった
音楽も一緒に聞いたりして
その時は銀杏BOYZの峯田がとにかくすごいんだ!!と
熱弁をしていて、私もうんうん!と目を輝かせて聞いていた


でもその子は元々精神的に問題があって
入学当初は普通に登校できていたけど
後半はまともに学校に来られなくなっていった

最終的に学校も辞めて
だいぶ疎遠になっていた

私が社会人になってから
頻繁に連絡が来るようになって
でも様子がおかしくて

一度でると大体平均4時間は電話をしていた
しかも向こうだけがずっと喋っていた

当時、LINE電話とかの便利なツールもないため
通話料が半端なかったようで
その子は収入源がなかったのもあり
親御さんがすべて払っていたようだ

その後たまたま会って遊んだ時に
離れて暮らしていた親御さんから電話があり
めちゃくちゃ怒られているのを目撃したけれど

その親子喧嘩も正気の沙汰ではなかった
街中で道路に横になりながら
のたうち回って「うるせえよジジイ!」的な
わがままを言っているのだ

綺麗事なんて一つも出てこなかった
早く帰りたい、もう連絡をとりたくない
私も一緒におかしくなりそうだと
本気で思っていた

その後、私は電話が来ても出なくなった


数ヶ月たって
また電話が来た
私は出なかった


その次の日
別の専門時代の友達から電話があり
最悪予想していたことがあったけど
まさしくその連絡だった


私は寝ようとベッドに入った時に電話があり
頭が真っ白になったけど
私はその時「昨日電話に出ていれば、結果は変わったかな」なんて
思うかなと思ったけど
全くそうじゃなかった
「昨日電話にでても、結果は同じだった」
しょうがない結果だと

本当にそう思って
私は冷酷人間なんだとずっと自分を責めていた


次の日の夜、ドライブに出かけて
助手席にその子が座っている体で
ずっと語りかけた

私は人間として失格だと
助けてあげたかったけど
私には無理だったと
今までお疲れ様と


葬儀に出席して
骨上げまで残ってしまって
今思えばとんでもない常識ハズレなことをした

友達の骨を初めて見た

精神薬の薬漬けで
骨は脆くてボロボロだった


私は死ぬまでこのことを背負って生きていくんだな
と思った。


ともだち、
色々な経験をさせてくれて
本当にありがとう


銀杏BOYZがまだ正常に聞けないんだ
久々に漂流教室を聞いたら

動機が起きて
バクバクで
全てがひっくり返って吐きそうになるんだよ


私はまだ
銀杏BOYZがきつい






※銀杏BOYZは最高のバンドです



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