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刺激の多い20代

ギター人生における、20代の出来事を綴る記事も今回で3回目になりました。

全然進まない。。
前回でようやく21歳まで辿り着きました(笑)

今回は22歳になってからのチャレンジした事などを書いていきたいと思います。


初めてのレコーディング

前回は人生初のオリジナルバンドを組んで、ライブをしたところまで書きました。

自分の個性作りにさまよったり、それまで経験した事のないことをして頭を切り替えようとしてみたり、色々としてきましたが、バンドそのものは止まりません。

次はいよいよ音源作りです。

バンドはやはりアルバムを作って名刺代わりにしなきゃならんでしょ、という事でアルバムを作る事になりました。

もちろんアルバムを作るにあたっては、だいたい10曲ぐらい収録するのが相場です。

話があがったその時点ではまだ10曲も持ち曲が無かったため、まずはシングル曲を出しながら繋いでいく事になりました。

CDを作るためのレコーディングそのものは、以前の記事でも書いた企画物のCDだったり、他にも先輩方のバンドでギターソロを弾かせてもらったりと、多少経験はありました。

しかし、自分たちの作った曲でCDを作る、しかもアルバムを作るというのは初めての試みでした。

技術的なことは自分なりに自信はあったのですが、まずは初めにぶつかった壁は「完成形」の見え方です。

「完成形」の見え方の違い

自分たちで作っているから、自分たちで曲を完成させないといけない。

しかし、作曲をした原曲者はいるものの、完成した曲を披露するのはバンドそのものからです。

なので、自分がどのパートを担当しているかに関わらず、各パートにおいてこだわりが出てくるのが当然なのです。

なかでも、特にこだわりが強いのがギターパート

はっきり言って、バンドはギターの音の方向性によって、どのようなジャンルになるか決まってきます。

しかも、当時のベーシストとドラマーも、他のバンドでギターを兼任していたため、みんなギターに関しては独自のこだわりを持っていました

自分だけがギターパートをさっさと録って、形にしてしまえばいいという訳にはいかないんです。

当時、みんな大学生である程度時間はあったので、朝9時くらいから開始して、夜12時ぐらいまでレコーディングしてました。

録音する→聞いてみる→みんなで意見を言う→意見を元にアレンジし直して練習する→また録音する、の繰り返しなので、自然と時間がかかるのです。

さらにギターの場合、ヘッドホンで聴く時の右側と左側、そして最後にギターソロ(厳密にはもっと細かくあります)を録らないといけないので、他パートよりも何倍も作業が多いのです。

そんなに長い間、ギターのレコーディングをしていたら、メンバー間で色んな意見が挙がってはぶつかり合うのも当然です。

特に自分以外のメンバーが作曲した曲の場合、自分が考えたギターフレーズと作曲者の思い描いていたギターフレーズが一致していないと、それはもうよくぶつかりました。

さらには、長い時間ギターを弾いてると、だんだん指も動かなくなってくるので、上手くできない自分にどんどんイライラしてくるのです。

初めのうちは、もう半分キレながら、死にもの狂いでレコーディングしました。

初めて作ったCD

最初のシングルは2曲入りで、無料配布する事になりました。

それはもう嬉しくて、沢山作って色んな人に配布しました。

「いらない」って心の中で思ってようが、無理やりあげたりもしました(笑)

続いて1ヶ月後には2ndシングルも配布して、その翌月にはアルバムを完成させました。

そのアルバムは、実は20年経った今でも、たまに聴いたりしてます

何度聴いても、そのたびに「いいギター弾いてるじゃん!」とか「んー、やっぱり俺って微妙だなー」とか、いまだに自分の中での評価はハッキリしません。

初めての掛け持ち10バンド

オリジナルバンドも軌道に乗ってきた頃、実は軽音楽部の方もだいぶ盛んになってました

夜間の軽音楽部の人とも仲良くなり結成されたバンドや、後輩達にも沢山バンドを誘われたりして、なんだかんだで大学生最後の文化祭の頃には10バンド掛け持ちで活動してました

本当に毎日1〜2曲、新しい曲を覚えていないと間に合わないので、バンドとは関係のない友人からのお誘いも全て断って、大学とアルバイト以外は常にギターの練習してました

アルバイトが0時に終わるので、そこから深夜のバンド練習に入ることもしばしば。。

最終的には、その10バンドの中にもギターボーカルあったり、耳コピだけのバンドがあったり、オリジナルがあったり、これまで書いてきた内容の全てが詰まってました。

※実は書いてませんでしたが、オリジナルバンドをもう1つ結成したりもしてました。そちらはまた後ほど。

G3

軽音楽部の1年間における最後のライブは、ライトミュージックフェスティバルといいます。

つまり大学4年生にとっては、そのイベントが最後のライブになります。

自分が4年生になり、その最後のライブで嬉しいお誘いがありました。

一番初めに出会った凄腕ギタリストのYくん、そしてもう1人の凄腕ギタリストのYくんと、3人で「G3をやらないか?」というものでした。

※G3とは、ジョー・サトリアーニ、スティーヴ・ヴァイという2人の超絶ギタリストが、毎回1人のギタリストをゲストに迎えて、世界ツアーを行うというイベントの名前です。

2人のYくんが、軽音楽部でも突出していたのは周知の事実でしたが、その中に「自分が加わっていいのか?」と初めはちょっとだけ抵抗しました。

しかし最後の機会ですし、「やる」と決めてから、また最後の壁にぶつかる事になりました。

最後の難関

G3では、3人のギタリストがまず各々でギターのインストゥルメンタル曲を披露して、最後に3人のギターで曲を演奏します。

それにあやかって、僕たちもそれぞれインストゥルメンタルを披露する事になりました。

僕が選曲したのはドリームシアターの「Instrumedley」と、敬愛するB'z松本孝弘氏の「Riverside Blues」でした。

中でもドリームシアターのインストゥルメンタル曲をメドレー形式にした「Instrumedley」が、これまでやってきた全ての曲の中でダントツ一番難しい曲でした。

前述の通り、10バンド掛け持ちで並行して活動しているので、なかなか練習自体も確保できません。

そんな中で、いかに練習を効率化するか?、という難題に直面しました。

ここで初めやった試みは、バンドメンバーと口で練習することでした。

「ん?どういうこと?」と思うかもしれませんが、単純な事です。

スタジオで直接音が出せない時は、バンドメンバーと口で自分のパートを歌いながら演奏するのです(笑)

手を叩いてリズムを取りながら、自分のパートを歌いながらメンバーと合わせる、というのが実は物凄い効率的な練習だというのに、最後の最後になって気付かされました。

大きな音で練習してると、実は細かい部分は適当でもそんなにバレないんですよね。

しかし、こうやって歌いながら確認すると、誰がどうズレているかがすぐに修正できるんです。

しかも、めちゃくちゃ楽しいしね。

その練習方法をもって、自分のバンドは無事に演奏することができました。

今振り返ってみても、この時が1番ギターの練習したような気がします。

「自分」というギタリスト

なんだかんだで、伏線を回収する形となってしまいましたが、2人のYくんから誘われたG3をもって、やっと「自分」というギタリストにやっと向き合えたような気がします。

最後の最後に、この2人と一緒に演奏する事で、初めて2人と出会った時の敗北感や、自分の個性探しに躍起になってた答えが出たような気さえしました。

「自分はもうずっと昔から自分の音を持っていた」

凄い人を見たり、自分とは違う人を見ると、人はどうしても比べてしまいがちです。

ただそれは、その人にとっても同じ事だったんだなと気付かされました。

2人のYくんも、ライブでMCをとったとき、「2人が上手すぎてめちゃくちゃ練習した」と言ってくれました。

色々と悶え、格闘した学生時代でしたが、この最後に組んだG3をもって、ギタリストとしては華々しい最後を迎える事ができました。

まとめ

学生時代は、本当にバンドとギター漬けの毎日でした。

当時のことを語る際は、羨ましがられる事が多いのですが、バンド以外の友人達との関係が希薄になるので、正直あまりいい事だけではありません。

個人的なところでは、大学のクラスの卒業記念の旅行には、自分だけ誘われなかったりしました。

そんなに仲良くしていたわけではなかったのですが、流石にショックを受けました。

さて、今回でようやく学生時代の内容は終わりとなります。

「20代」とタイトルにつけて3回目を迎えましたが、まだこの時点で22歳です。

華々しいバンド生活、大学時代を送ったように見えると思いますが、学生生活を終えた後、これまでに味合わなかったような暗黒時代に入っていく事になります。

次回からはちょっと暗くなっていきますが、それでもまだお付き合いいただける方はよろしくお願いします。

ありがとうございました。

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