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夫29才で結核になる③(番外編)

結核がわかり、排菌しておらず医師からも保健所からも仕事含む日常生活は普通に行って良いと言われたにも関わらず、職場から解雇された夫。
我が家は失業手当プラス少ない貯蓄でやりくりしていた。

だけど、まだ若く子供も4人いたりでもともと貯蓄が少なく、保険も掛け捨てだったりと切り崩すものがなくなってきた。

私たちは色々調べた結果、社協(社会福祉協議会)で貸付があることを知り、申し込みをして、それでまたしばらく生計を立てていたけど、とうとう底をつき、市役所の福祉課に相談に行くことになった。

ちょっと昔のことすぎて詳しい詳細は覚えていなくて曖昧な点があるけど、生活保護を受けたことのことを残そうと思う。

福祉課の保護担当の方と話をしたとき、
・すでに自分たちで出来ることはしていた。
・社協からの貸付も受けていた。
・結核さえ治れば働く意思が強いこと。
・などから短期的なものになるであろう。
ということで、案外すんなりと保護が認められた。
というか、みなし?で保護がスタートした覚えがある。

そうこうしてるうちに夫は喀痰検査で排菌してしまい、入院となったので、保護課の担当の人や保健所の担当の人との連携もあり、私は凄く心強かった。

子供が4人いたからか、保護費が「こんなにもらって良いのだろうか…」と困惑したのを強烈に覚えている。
それだけ我が家の生活水準が低かったのもあるかもしれない。
最低基準を更に下回ってたことになる。
また、夫の社会復帰も現実的に確実だったので、車も所有することを認めてもらえた。

そして、夫の退院が決まり体力が落ちていたため少しだけ自宅療養している間に、生保担当の方が、

・今ちょうど市営住宅の申し込みをしているから、抽選で当たるかどうかわからないけど、この先の生活も考えて申し込んでみては?
・抽選に当たれば、今なら引越し費用から敷金礼金まで全部生保から出してあげられる。

と提案があった。
我が家の場合、長く生保を受ける予定ではなかったけど、担当の方が現在と先を見据えたとき、部屋数も同じな市営住宅の方が、断然、私たちの生活が楽になれるのではないかと。

そして申し込みをしてみると競争率の高い市営住宅の抽選にあたり、元の住所から数百メートル先にある市営住宅に当選した。

ものすごいラッキーだった。
子供たちの学校かが変わる変わらないどころか、数百メートルしか変わらない場所。

引越しは、三つの引越し業者から見積もりをとり、1番安い業者に申し込んで下さいと言われた。
そして支払いに関しては生活保護だといえば市役所の方に請求(だったかな?)されたような気がする。

この時、エアコンの取り付けもオプションに入れて良いと言われたのはありがたかった。

こうして、夫の結核がわかったことによって、私たちの生活が、生活保護をやめてからも困らないように基盤が整った。

夫は今まで働いていた介護職での求人を諦め、タクシーの運転手となった。
そして1回目のお給料をもらって生保をやめたのだったかな?
ハッキリと覚えていないけど、生活保護を受けて半年かもう少しか、そのぐらいで生活保護をやめることが出来た。

担当の方には何から何までお世話になり、家賃が安くなったことで生活も楽になったし、本当に助かって感謝しかない。

夫も無事、社会復帰を果たし、また我が家の日常が始まった。


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