DIDへの理解
DIDとは解離性同一性障害のこと。
一昔前は多重人格と言われていた。
自己紹介に書いてるように、私は20代前半に解離性同一性障害と診断され、初めて解離したのは小学5年生(私にその記憶はない)。
詳細はもう一つのnote↓↓↓
に、まとめていく作業をしているのでここでは省きます。
あるニュースを見て、ちょっと自分の思いをTwitter(X)に吐露してしまい後悔した。
何が言いたかったのかさっぱりわからないものだったし、誰かに当てたようにもとれる、ちょっと乱暴なものになってると後で気付いたから。
もちろん、誰にも当ててないし乱暴に思ったわけでもないのだけど。
DIDを理解してもらえないということについて。
私は当事者として、パートナーになるほど大事で近くて知ってもらわないと隣にはいられないぐらいの距離感の人にしかカミングアウトしない。
だから、今の夫と出会ってからは誰にも話したことがない。
若い頃は、職場の人に話すこともあったけど、良い関係を保つことが無理になる。
解離や交代が頻繁で、職場の上司に言わざるを得ない状況になったときは結果的に退職しないといけなくなった。
捻くれてるわけじゃなくて、理解なんて難しいっていうのが本当に本当に本音。
誰に理解ができるんだろうって正直思う。
別人格ってTVドラマやアニメの世界みたい。
体は一つなのに別人なの?
そんなの物理的にありえない。
脳みそどうなってるの?
性別も年齢も趣味嗜好も体質も目つき顔つきも声も筆跡も何もかも違うって、そんなの演技じゃない?
練習したんじゃないの?
私だって私の脳みそどうなってるんだろうって思うときがある。
私なのに私じゃない。
私の場合、自分の意思で別人格と交代することは出来ない。
別人格の声も聞こえない。
交代する前後もわからない。
それが短時間だったりすると気付いていないこともある。
夫の目の前に初めて別人格(H)が現れた時、夫は動けなかったといった。
全身鳥肌が立ち、目の前にいるのは私なのに私ではなく、あきらかに全てが違う人間だったと。
理解ってなんだろうな。
正直、一般的に理解が深まるとは思えない。
投げやりにそう思うわけじゃない。
それに、なりすましてる人たちが一定数いる以上、正しい理解ってものが混乱してしまう。
実際にDIDの人たちが生き辛さを抱えながら社会と繋がり、色んな工夫をしながら生活を保っているのに、遊びで別人格を作り交代ごっこみたいなことをされると、それはとても簡単で便利そうで都合がいいのだから、それが現実・真実だと思われたら、そっちに「理解」が向いてしまう。
だから、本来の意味での「理解」と、間違ったDIDでの「理解」があるのだから、やっぱり難しい。
当事者以外にそれを区別することも難しい。
なにより、私の中の根本に「理解」を押し付けたくないという気持ちが強い。