獅子座火星期を振り返る
獅子座火星期(2023/5/21~2023/7/9)は、何だかあっという間の1カ月半だった。
前回の火星サイクル(2020/6/28~2022/5/24)での私の獅子座期の振り返りは遊んだ話しかしてないという記憶がある。
獅子座のエンタメ的側面が強調されていたのか。
イヤ私としての獅子座の象徴理解がその範囲だったということが、今はわかる。
この火星獅子座期の1カ月半はもっと淡々と地味な、自分なりの日常での在り方と、やろうと決めたことに愚直に取り組み、試行錯誤する日々だったと思う。
そしてそれは、今、火星乙女座期に入っていても変わらない。
私はここに来てシンプルに本質的なことに向き合い始めている。
人はシンプルであるが故に、本質的なことをわかりきっていることとして見過ごして行くんだなを実感したから。
私で言えば、全くもって忍耐強くない。
イヤなものはイヤだという子供じみた部分を捨てきれずに生きている。
先日古くからの友人と久しぶりに再会して、友人がご主人を看取ることが残りの人生のテーマだと、ご主人への愛を語っていたけれど、そして共感を求められた気配だったが、ごめん私はそういう覚悟は無いなと返答するしかなったのだ。私は夫が嫌いになったら一緒には生きていけないので、その時は別れるという答えしか持てない。その時は来るかもしれないし、来ないかもしれないけれど、嫌いな人とは生きられないのでと言ったら、そういう所少しも変わらないと言われた。20代の頃からいつもそう言ってたねと。
そうなんですね。少しも成長していませんが、それが私の生きる姿勢の基本なので。嫌いな人と我慢して生きるのは自分の価値の中にはない。
そうやって自分の人生を振り返ると、現在継続していることは好きなことだけだった。
物事が続かない、あきっぽい人間だと自分を決めつけてきたけれど、
数えるほどしか続いていることがないけれど、それは全て好きなこと。
続けられなかったことは、本当はやりたくなかったことじゃないの?
という実にシンプルな答えを実感してしまった。
だったら、何よりも優先してやりたいことが本当に続くのかを試して行かないと、それは本当に好きなことなのか?本当にやりたいという私としての欲望なのか?
を確かめないと、どんどん時は流れていくという、至極当たり前のことに気がついて、今やりたいことが、黙々とやり続けられることなのかを検証中の獅子座期だった気がする。
そしてそれは、誰かの欲望に煽られていないし、誰にも強制されてもいない、ただ私としての素直な欲望なので、淡々と毎日を自分のやりたいことで埋めていくことのジワジワとした、喜びに満ちているだけだけれど、それだけで少し人に寛容になり、日々機嫌良く暮らせていて、この術をもっと早くつかんでいたらと少し後悔もする。
でも、それはきっと他者からいきなり差し出されても、面白くないと捨ててしまいたくなるような、わかりづらいものだということも、自分の試行錯誤のプロセスを省みて分かるので、なかなか人とわかちあえないものかもしれない。
次の火星サイクルで、約2年後にまた獅子座期が巡ってきたときに、今取り組んでいくことがどうなっているかを、私としての楽しみとして持って行こうと思う。