火星牡牛座期ー自分の価値を信じること
前回の初めての火星サイクルの日々の中で、私は自分の価値を感じるのが苦手というか、実感を持つのが苦手なんだということに、何度も気づかされた。自分の感度が悪いと知ったからと言って、すぐ自分の価値を感じられるようになれる訳ではない。
何故、苦手なのかより、苦手意識を越えて、自分の価値を知ってもらわないことには自分の生きたい環境は始まらないのに。
自分の価値をアピールすることに抵抗を覚え、価値あるものだと信じる力が弱いままでは、自分を本気で表現したことにはならないのだ。
自分の商品や自分が生み出す商品の価値や、そもそも自分の存在がこの世界でのひとつの商品と捉えてみた時に、信じるに値しないモノを売りつけるような姿勢でいいのか?売り手は扱う商品について知りつくす方がいいのでは?何が魅力で何が欠点かを。
自分を信じることが出来ないと、私の価値は、これ以上には私によってアピールされないのだという気づき。
こんなことを書いていると、私を知る人はだいたい「あなたには自分がちゃんとありますよ」と言ってくれる。そうなんですが、私には他者からの言葉を素直に受け取れないという防御も身についている。
私は地のエレメントが強いので、実感が得られるまで、何度も疑い、何度も求めて行くしかないのかなと考えていたのですが、ある時、そもそも圧倒的実感なるものを求めていることが、とてつもなく欲張りで、そんなことにこだわっているうちに、私の資源である人生の時間は尽きてしまうと気がつく。
実感を持てないの意味の中には、あなたのものだと言われている自分の持ち物が気に入らないという欲求もあった。もっといい価値やもっといいらしさが欲しいという欲望。もしくはもっと他者に伝わりやすいモノとか。
そんな欲望はもう若い頃に捨ててきたと思い込んでいたのに、役割でない自分を生きようと求めた途端に、若い頃のような揺らぎに出会い驚く。
もしかしたら、若い時にちゃんと向き合わず捨ててしまい、早くちゃんとした大人に成ろうと逸ったことへのツケなのかもしれない。
私は前回の火星牡牛座期の自分の価値を信じるという課題は、自分の中で火星山羊座期まで引っ張って行くテーマに成ってしまった。でも山羊座にようやっと私の価値は良くも悪くもこれしかないなということを実感した。
これが愚直にサイクルを生きたご褒美だと受け止めている。
ずいぶんと時間がかかった気もするが、自分の痛みは自分のものでしかないし、自分のプロセスは自分でしか進めないので、信じることを始めた自分を今はしっかりと味わっている。
だから、今期の火星牡牛座期は、自己価値も自己信頼も手放さず、やろうと決めたことを、どこまで楽しめるのかが私のテーマ!