じいちゃんが死んだ

じいちゃんが死んだ
葬式備忘録

※クソ長長文

実家から新幹線の距離に住んでいる自分は
家族LINEにて報告を受けた。

日曜日に亡くなったのだが、
通夜、告別式は翌週の土日になるそう。

通夜、告別式は亡くなったらすぐやるイメージだったが
家族の会社の関係で土日でないと厳しいらしい。

会社に申請を出し、3日慶弔休暇がもらえるらしいが、葬式は土日だしそんなに休む理由もないので
月曜日だけお休みをもらった。
(夫にもったいないと言われた)

じいちゃんはここ数年は闘病生活だった。
肝臓がんと脳こうそく。
余命宣告を受けており、
治療はせずに施設に入っていた。
認知症もあった。自分のことも覚えてなかったと思う。


じいちゃんは社長だった。
今は親父が継いでいる運送会社のだ。
町内会でも役員をやっていた。
お祭りの時は山車の運転をしていた。
小さい時は乗せてもらった記憶がある。
じいちゃんは羽振りがよく、会うたびに
お小遣いをくれた。
お金ばらまきおじいちゃんだった。
施設に入ってから一度だけ会いに行けたが
そこでもお金をくれた。
じいちゃんが手渡してくれた諭吉は使えなくて
今も財布に入れてある。
それからコロナもあり、そこで会えたのが
最期だった。


小さい時クリスマスの時期になると
じいちゃんちにいく。
トイザらスのチラシ(クリスマス時期はカタログみたいになっている)を見ながら
どれをサンタさんに頼むか決めると、
じいちゃんがサンタさんに電話してくれた。
今となれば明らかにサンタさんはじいちゃんなのだが、
サンタさんとコネがあるじいちゃんすげえ!って当時は思っていた。
当時発売したばかりのDSにソフトを2本もつけてくれて
やはり羽振りの良いサンタだった。



葬式は正直行きたくなかった。
じいちゃんを見たら
死んでしまった、という事実に直面してしまう。
色々落ち着いたらお墓に会いに行けばいいやろ〜
と思っていた
だけどじいちゃんにとっては自分がはじめての孫だし
このご時世だけど行くしかなかった。


新幹線。土曜日の昼。自由席。混んでいた。
緊急事態宣言下だがまあまあ混んでいた。
1ヶ月前に新幹線乗ったときは3割も埋まっていなかったが、今回は6割くらい埋まっていた。
通路側に座らせてもらい、座席も倒さず座る。
指定にすれば良かったと若干の後悔。


帰宅。家族とははじめて顔を合わすため
どんな雰囲気なのかと思ったが至って普通だった。
親父に至っては競馬をしていた。
自分も新幹線で食べ損なったおにぎりを食べた。


お通夜。
母親が嫁入り時に買ってくれた喪服を着る。
入って良かった。
会場に着くと本当に亡くなったんだな、と
実感した。
受付前には生前の写真とじいちゃんに向けて
メッセージを書いて、というメッセージボードがあった。
マメな叔父の提案だろう。
自分の結婚式の時も叔父一家からのメッセージをいただいた。
じいちゃんへのメッセージボードにはすでに叔父一家からのメッセージが書かれていた。
叔父のメッセージには、「どんなときも自分が出した決断を応援してくれてありがとう」といった内容が
書かれていた。
とても意外であった。自分の知るじいちゃんはあまり多くを語らないイメージであった。あまり深い話を正直したことないし、どちらかと言うといつも怒っていそうなイメージだった。
(孫にはもちろん優しい。だけど見た目はたしかに怖い。友達にはヤクザと間違えられた。)
メッセージを母、弟、妹と見ていたらすごく悲しくなってきて泣いた。
普段感情を出すイメージのない弟が
何かを言って(思い出せない)一気に泣いて
全員でわんわん泣いた。

その後じいちゃんを見に行こうとなり、
移動している途中で自分だけばあちゃん(喪主)に
呼び止められた。
お香典の会計を手伝ってほしいとのこと。
強制的に連行された。次から次へとお香典がくる。
結構忙しい。涙は引っ込んだ。
しばらくするともう始まるとのこと。
親戚の姉ちゃんたちがメインで会計をやってくれていたのだが、自分はもう行って良いとのこと。
退散し、会場へ。


たくさんの花が飾られ、花を送ってくれた人の
札が刺さっている。
中央にじいちゃんの遺影があった。
孫一同(という名目の)と書かれた札には山盛りのフルーツがあった。
まだ少し時間があったのでじいちゃんの顔を見た。
じいちゃんだがじいちゃんじゃない気がした。
闘病生活でとても痩せ細ってしまっていた。
ばあちゃんは「いつも怒っていたが最期は穏やかな顔をしている」と言っていた。
亡くなってから約1週間だが、
遺体をこんなにも綺麗に保存できるものなのだと感心した。

お通夜が始まった。
次から次へと参列の方がいらっしゃった。
このご時世だが100人以上来てくれたらしい。
おそらくはじめて親族席に座ったのだが
作法がよくわからない…!
ググるんだった…
弔問客にお辞儀をしていたらあっという間にお経は終わった。
しばらくしてめちゃくちゃ換気された部屋にて
精進料理を食べた。
その日はとても寒かった。
でも母と葬儀屋がポカポカだったらやだね、という話をした。



翌日は告別式で、火葬をする日だ。
通夜と告別式は何が違うんだろうか?
通夜は前夜祭?(不謹慎)
朝早かったが昨日と同じ会場にて。
到着した時
メッセージボードはあまり埋まっていなかったが
叔父が呼びかけてくれ、埋まったかと思う。
最終版見たかったな〜
ちなみに叔父は5行以上書いていたが、
親父は「オヤジ!!おつかれさん」の一言であった。
性格の違いが顕著に現れていて面白かった。
メッセージボードは棺の中に入れ一緒に燃やすそう。


昨日同様親族席に座り、職員の方から
1日の流れの説明を受ける。
読経が終わると、永遠の別れの儀となります。
という案内でまた泣く。
参列した人たちで花を棺の中に入れていく。
じいちゃんの姿を見れるのはここが最期だ。


読経は本住職の方であった。
昨日は副住職の方だった。
途中で「ハッ!!!!!」という大きな声をあげたから
びっくりした。(みんなびっくりしてたらしい)
昨日同様、弔問客にお辞儀をしていたら終わった。
途中、頭の中で家系図を描いていたが
ある親戚との繋がりがわからなく終了した。
あとで確認しよう。


読経が終わり、ついに永遠の別れの儀になった。
お花屋さんが準備をするので少し部屋を離れることに。
10分ほど経ち、呼ばれた。
遺影の周りの花が切られ、職員の方が持っているトレーに乗せられていく。
部屋の中心に棺があり、蓋が開けられていた。
自分が見た時はある程度顔の周りに花が入れていて
下の方に「ウィダーインゼリー プロテイン味」が
左右に分かれて2つずつ入れられていた。
シュールさに少し笑ってしまった。
闘病生活で愛飲していたものらしい。
一度施設に行った時に自分たちもおやつでもらった。
どんどん花を敷き詰めていき、こんなに入れるのか、ってくらい入れられていた。もはや埋もれていた。
永遠の別れということで母も弟も妹も自分もみんな泣いていた。すすり泣く声がどんどん大きくなった。
最期にばあちゃんが
「みんなに見守られて良かったねぇ、
息子家族がいてくれたからここまででこれた
ありがとうね」といった内容を
じいちゃんのそばで声をかけていた。
それをきいて会場にいた人たちみんな更に泣いた。
とにかく悲しかった。燃やさないでほしかった。
ばあちゃんが声を掛け終わって
職員の方が棺を閉めていいか確認をして、
棺は閉められた。


最後の挨拶は長男である親父が行った。
自分の結婚式でアホほど泣いていた父だが、
葬式ここまでで泣いていたのか、、?
自分は分からなかった。
けれど挨拶の時には泣いていた。
誕生日を迎えたすぐに亡くなってしまったこと。
じいちゃんが寂しがり屋だったこと。
そのようなことを言っていた。
親父が泣いているのを見てまた泣いた。


そして出棺。
自分たち親父以外の家族は自分たちの車で向かった。
道中でもずっと燃やしてほしくないなあと思っていた。


火葬場は各葬儀場からひっきりなしに棺が運ばれてくる。
じいちゃんの前に運ばれたのが
霊柩車ではなく白の軽自動車で、
棺もじいちゃんのものと比べて
質素な木の板でできたもので、
送り出したのも軽自動車を運転していた方と
火葬場の方のみで、
失礼ながらじっと見てしまった。

比べてしまって本当に申し訳ないが
人生って色々だなあ、と。
じいちゃんのようにマイクロバスに乗るくらいの人数の
親族から
見送ってもらえる人生と
木の棺の方のように恐らく身内の方が
いらっしゃらず火葬される人生。
じいちゃんは幸せだったなあ、と思ってしまった。
本当にごめんなさい。


マイクロバスに乗っていた方達も到着し
いよいよ火葬する場所へ。
燃やさないでって思っていたけど、
もう後は流れるままだった。
火葬場は灰色を基調とした無機質な内装で、
その中の一室に親族は集まり
じいちゃんは炉の中に入れられた。


控室に案内される途中
同時に燃やされている名前が一覧であり、
こんなにも人は亡くなっていくんだな、ということと
火葬場の社会的インフラ機能を改めて知った。


待ち時間で精進料理をいただく。
昨日より豪華。品数多い和食。鰻がたくさんあって嬉しかった。
海老ってなんでこんなに食べづらいのだろう。
ちなみに昨日は寿司と揚げ物。
近くの席にじいちゃんの弟さんがいて、
お話しできた。
弟さんだけど、じいちゃんにめちゃくちゃ似ている!
ただじいちゃんはパッと見ヤクザだが
弟さんはとても穏やかそうな雰囲気。
じいちゃんからヤクザ成分を取った感じ。
じいちゃんの地元は仙台だ。
弟さんは仙台に住んでいて、駆けつけてくれた。
女男女男男女の6人兄弟で、(最初覚えられず
何回も聞いた。)
弟さんは下から2番目。じいちゃんは下から3番目。
すぐ上のお兄さんだったそう。
一番下の妹さんは施設を経営しているらしい。
コロナの影響で来れないそう。
一度じいちゃんの実家に遊びに行ったことがある。
土地がめちゃくちゃでかい。
家も田舎特有のでかさだった。
(ぼっとん便所だった気がする)
その家は今も誰か住んでいるのか、ときいたが
今は誰も住んでないそう。
地震の影響で家が壊れてしまったらしい。


そのような話をしていたら
焼き終わったとのアナウンスが。
よく見えなかったがきちんと寝た体勢のまま
骨になっている。
喪主に確認をとり、職員の方が
ちりとりを使って手際よく収骨の台へ
骨をじゃんじゃん入れていく。
後でわかったが、右側が上半身、左側が下半身。
そして収骨の台にはなぜかじいちゃんの
茶色のレンズのヤクザメガネがあった。

そして収骨。自分は母と左側へ。
近くで見てもよく分からなかった。
白い骨の中に緑のぶつぶつしたものがあって
謎だった。薬?
一通り終わって職員の方がまたも手際よく
骨壷に骨を入れていく。
下半身の骨から。
しっかり残っているから下半身だけで
骨壷がいっぱいになった。
どうするんだ、と思ったらお箸みたいなやつで
骨壷をかき混ぜ、ボキボキ骨を折っていく。
ある程度スペースができたら今度は上半身の骨を
入れていき、時折かき混ぜながら
きれいに収めてくれた。
肺が飛ぶので職員の方は洗濯が大変そうだ。

ここであるあるである骨の説明をしてくれた。
喉仏〜
耳の骨〜
顎の骨〜
顎の骨がしっかり残っていた。
そして最後にヤクザメガネを骨壷の中にかけてくれた。
ただ入れるのではなく、人がかけるように
かけてくれた。
ヤクザメガネはてっきり仏壇に供えとくのかと思ったが
骨壷に入れたので驚いた。
自分もメガネをかけているが
骨壷に入れるのはやめてほしい。
なんとなく。
あ、でもメガネないと天国で困るのかな、、、


骨壷は職員の方がピシーとテープで止めてくれ、
青の鮮やかな袋に入れられた。
骨壷を入れる袋って、統一で白いイメージがあったが
今時はこんなに鮮やかなものもあるのだと
驚いた。
じいちゃんの名前が富士山にちなんだもので、
イメージカラーが青だったので
とても似合うと思った。


その後は葬式会場に戻り、荷物の引き渡し。
ばあちゃんちでお供え物を分けた。
孫一同のどっさりフルーツの量がすごかった。
じいちゃん地元のお菓子である萩の月もたくさんあった。
骨となったじいちゃんと遺影が飾られた。
親戚のお姉さんがお供え物を取りに来てくれて
氷水を備えなきゃ、とアドバイスしてくれた。
火葬されて暑いからお水をあげるそう。
なるほどなぁ、と感心した。

あっという間に2日間の葬式が終わった。

その後風呂に入っていると
旦那から
兄夫婦の子どもが産まれた、と報告が。
すっごく嬉しかった!!
じいちゃんの葬式の後でこんなにも嬉しい報告が
あるとは!
(義兄夫婦自分の祖父とはまったく関係ないのに
同列に語ってすみません…)
亡くなっていく命もあれば
生まれてくる命もある。
なんだか上手く言えないけど
諸行無常だな、、って、、、
自分も大人になっているし、そりゃじいちゃんも
死ぬよな
でも亡くなる人がいる一方で生まれてくる人もいて。
じいちゃんがいなきゃ自分はいない訳だし
じいちゃんが生きてくれて良かった、
生命を繋いでくれてありがとう。
闘病生活辛かったと思うから
ゆっくり休んでほしいな。


葬式行けて良かった
悲しかったけど家族で悲しみを共有できたら
すこしすっきりした。
だけどまだ書いている途中も泣けてきたし
じいちゃんとの思い出を思い出すと泣けてくるよ
みんなで行ったファミレスとか
町内でもらってきてくれたシュウマイ弁当とか。。
でも悲しまずに元気な姿を見せるのが
一番の供養だとお坊さんが言っていた。
頑張って生きようと思う。


次はいつ会えるかわからないけど
帰ったらまた会いにいくね

↓家の前の公園の梅の木。
春はすぐそこ。

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