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磔の女

丘の上に三人の男と一人の女が磔にされている。どうして磔にされているのか、誰も知らないし、知ろうとしない。四人に近づこうととする者は誰もいなかった。
ただただそこに四人は磔にされていた。何日も何ヶ月も何年も磔にされていた。人々はその姿を下から見上げているのみだった。
役所に勤めているマルドゥークもその一人だ。その日も役所に向かう途中になんの気なしにちらりと磔されているのを見た。今日もそこにある。起こった感情はそれのみだった。
役所に着くと、すぐに将軍に命令を受けた。それは四人を処刑しろというものだった。マルドゥークは拳銃を渡され、丘へと向かった。

近くに来たのは初めてだった。強烈な腐臭がした。服はボロボロで、ところどころ擦り切れている。髪はパサパサに乾いて、皮膚からは骨が浮き出ている。既に死んでいるのではないだろうか。そんな考えが横切った時、女が話しかけてきた。
「今日はいつもの人は来ないのですか?」
枯れる様な声だった。一気に暗く、淀んだ空気が漂いだし、この場をその声に支配され、マルドゥークはすぐに答える事が出来なかった。
「いつもの人と言うのは、誰のことでしょう?」
女は地に向けていた視線をマルドゥークに向けて答えた。
「私達に食事を運んでくれる人です。」
いつもは食事係が来ていたらしい。確かに何年もここに居て、食事をしていないとは考えられない。しかし、今回は食事係の代わりとしてマルドゥークが来た。処刑係として。
「すまないが、今日は食事係が来る予定は無い。」
マルドゥークはあえて突き放すように喋った。下手に感情移入をしてしまって仕事に支障をきたしたくはなかったからだ。
すると女は悟ったのだろう。視線を地に戻した。他の男達は微動だにしなかった。いや出来なかった。もうそれほどの力も残っていなかったのだ。
マルドゥークは右の内ポッケに入れた拳銃を取り出し四人に向けた。
「貴方は私達が何故磔にされているのか知っているのですか。」
返答に困った。少し考えてからこう言った。
「知らないが、磔にされるぐらいだ。相当な悪事を働いたのだろう。」
「貴方は何も知らないのに私達が悪者だと決めつけるのですか?」
再び返答に困った。変な気になる前に撃とうと思った。拳銃を女に向ける。しかし、女は喋り続けた。
「右端の男は、強盗をしました。逃走の途中に二人人、警官を殺しました。隣の彼は詐欺をしました。何人もの人からお金を奪いました。左の彼は三人人を殺しました。」
「お前は何をしたんだ?」
「私は…夫を殺しました。しかし、訳があったのです。私だけは無実です。許してください。」
「罪を認める事も出来ないのか。」
マルドゥークの拳銃の目標は女をしっかりと見て、動かない。女は臆することなく喋り続けた。
「もちろん罪は認めます。私は取り返しのつかないことをしてしまいました。何度罰を与えられても償いきれません。ただ、」
マルドゥークは女の喋りを遮り言った。
「最後に私に叶えられる程度のことならやってやりたい。何があるか?」
女は叫びだした。
「私達だけが殺されるのは不平等だ。」
「この丘からは街が一望できるわ。毎日毎日、貴方達は私達の事を見ていたじゃない。なのに誰も私達を助けようとしなかった。知ってるのよ。貴方達が私達が何をしたのかを知らないってことは。今まで来た食事係は全員知らなかったもの。貴方も知らなかった。知らないのに助けなかった。助けなかったじゃない。」
女は高鳴る声で舌を巻くりあげた。マルドゥークは圧倒された。女の気迫が凄かったのだ。生の執心があまりにも強かったのだ。
「貴方がやろうとしている事も私達と変わりがないじゃない。殺しよ。犯罪だわ。それに貴方は四人も殺すの。四人よ。」
それは人であった。生に取り憑かれ生だけを求める人であった。
「悪者には裁きがあたられる。それがこの国のルールだ。」
マルドゥークは自己を肯定するように力強く放った。その時マルドゥークも人を感じた。自分も人であることを感じた。
気持ちが悪くなった。今自分がしようとしている事が気持ち悪くなった。右手に持っている恐ろしい塊を投げ捨てたくなった。
マルドゥークは自分に言い聞かせた。自分が正しいということを。女に惑わせられてはいけないと。これは巧みな罠であると。しかし、心はぐらついたままだった。女は未だに高く叫び続けている。体を右往左往させ、磔から逃れようとしている。それを直視する事が出来なかった。

「殺してくれ、」
左の方からか細い声ではあるが、はっきりマルドゥークに聞こえた。声の主は左端で磔にされている男であった。
「殺してくれ」
死んでるのも同然であった。何日も何日も磔にされ生きる気力がなくなったただの抜け殻であった。
女は叫び、生を求めているのに対し、男達は死のみを待つ抜け殻であった。
マルドゥークはその場から逃げ出した。丘を走り降りていった。拳銃を放り投げ、四人から出来るだけ遠くへ遠くへと向かった。

それから2日後、マルドゥークがいつものように役所に向かう途中恐る恐る丘の方を見てみた。
磔は無くなっていた。

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