#80 良く生きたい②
昨日に続いての投稿。思いがけず長くなってしまった。
真理先生も、もう少しで読了。
良く生きられているかどうか
漠然とした「良く生きたい」という想い。
その一方で、今という点だけで自分が良く生きられているかを評価することは難しい。
自分が置かれている状況や、なによりその時のメンタルコンディションで自己評価が大きくぶれてしまうから。
過去からの変化
過去の自分から見てどうか、という視点だとずいぶん評価がしやすくなる。未熟さに気がついて改められたところ、余分な価値観を手放せたところ、1年前、5年前、、、と比較して前進しているかどうか振り返ることができる。
社会に出てから自分に生じた良い変化が下記。
(非常に程度の低いものもありますが、時効ということでご容赦を。。。)
・「他人をいじる」をやめる。
・「言葉にしなくてよいことがたくさんある」と気がつく
・自分の怒り感情との向き合い方を知る
・「人は感情で動く」を知る
・「人は皆自分の中のなにかを肯定したい」と気がつく(そのために時に他人を否定する)
・世の中には人の善意、善意の人が多い
・自己開示することを知る
・失敗を晒す(今ここを訓練中)
根源にあるもの
自分の場合は、
「自分の中に踏み込まれる、内面を覗かれることへ恐怖心」
が非常に強かった。
そこから反発するように、外の世界に対して言葉を並べたり、距離を取ったりしながら、他者との間の境界を分厚くしていたのだと思う。
今でもそういった恐怖心はある。
その一方で全く自立しきれてもおらず、特定の近い他者への依存度も高かった。(学生時代にお付き合いしていた方、ごめんなさい)
人としてかなり足りないものがあったし、今でもその心のバケツの穴みたいなものは塞ぎきれていない。
欠点は悪か
話を少し元に戻す。
「良く生きられているかどうか」を、過去からの振り返りで自己評価する上では、この人間的な欠点は必ずしも悪とは言えない。
この欠点を自覚することで、変化したいと思えた。
少しずつ修繕することで、過去の自分から前進していることを感じられる。
似たような部分で他者も苦しんでいるかもしれない、と考えられるようになった。
過去よりも、今よりも
絶対値として良く生きられているかはわからない。けれど、少なくとも過去の自分との比較の上では、良く生きるために変化してこれたと思う。これからもそう心がけたい。
「変われた」そう思ったところで似たような部分で躓く。この繰り返し。
まだまだ道半ばだけれど、一歩ずつ。