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【寄稿】布施祐仁さん/不平等すぎる日米地位協定 対米従属から脱却し主権の回復を
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■異常な日本の地位協定
日米地位協定の最大の特徴は、米軍に基地内での排他的管理権が認められている点だろう。「合衆国は、施設及び区域内において、それらの設定、運営、警護及び管理のため必要なすべての措置を執ることができる」という第3条1項の規定がそれだ。
この規定があるため、日本の当局は米軍の許可がなければ基地内に立ち入ることができないし、基地内での米軍の活動に介入することもできない。
近年、全国の米軍基地周辺の地下水や河川から発がん性が疑われる有機フッ素化合物(PFAS)が検出され、社会問題になっている。
地元の自治体をはじめ日本の当局が対策を講じるには、まずは汚染源の特定など原因究明が不可欠だ。だが、米軍が許可しなければ基地内に立ち入ることはできない。現状は、米軍が環境汚染の発生を認めた場合以外、基地内への立ち入りはまず許可されない。これでは日本の当局の対策も不十分なものにならざるを得ない。
イタリアでは、米軍が使用する基地には必ずイタリア軍の司令官が配置され、その司令官は基地の全区域に制約なく自由に立ち入ることができる。司令官が、米軍の活動がイタリアの国内法に違反していると判断した場合や周辺住民の健康に危険を生じると判断した場合は、介入する権限も与えられている。
ドイツでも、いつでも米軍基地に立ち入る権限がドイツの当局に認められている。緊急の場合は事前通告なしでも、だ。地元自治体には、あらかじめ入構パスまで発給されているという。
イタリアやドイツは凄いと思う人がいるかもしれないが、これが主権国家として「当然の姿」である。なぜなら、こうでなければ政府や自治体が住民の安全を守れないからだ。自国領内なのに、米軍の許可がなければ基地に立ち入ることもできない日本が異常なのである。
■空は米軍の無法地帯
2022年11月に米軍のオスプレイが鹿児島県の屋久島沖に墜落した際、日本政府は安全が確認されるまでオスプレイの飛行を停止するよう在日米軍に要請した。しかし、在日米軍は要請を無視して飛行を続けた。米軍の活動に日本の当局が介入できない日米地位協定の問題点が改めて浮き彫りになった事案であった。
日本の空では、米軍の航空機が自由に飛び回っている。日本の航空法は飛行の安全を確保するために最低飛行高度や禁止事項などのルールを定めているが、米軍機は特例法に基づき、こうしたルールの適用が免除されている。そのため、米軍は最低飛行高度以下の低空飛行や夜間無灯火飛行、物を吊り下げての飛行など、航空法では禁止されている危険な訓練を行なっている。
イタリアやドイツでも、かつては米軍機が危険な低空飛行訓練を実施していたが、墜落事故などを契機に大幅に規制されるようになった。日本でも墜落事故がたびたび起きているが、日本政府が米軍に明確な規制を求めたことはなく、米軍機は危険な低空飛行訓練を繰り返している。
1990年代末に米軍と低空飛行訓練の規制に関して交渉した元イタリア軍司令官のレオナルド・トリカルコ氏は、規制を渋る米側に最後は「米軍機が飛ぶのはイタリアの空だ。私が規則を決め、あなた方は従うのみだ」と迫ったという。同氏は2024年2月に沖縄県が主催した日米地位協定改定に向けたシンポジウムで講演し、「米軍の日本国内での活動について日本が許可を与える体制にすること、米側に日本の主権を認識させることが重要」と強調した。
日本政府に欠如しているのは、この主権意識だと言わざるを得ない。
■世論を強め改定を
2024年10月中旬、沖縄県の新石垣空港(石垣市)に米軍の輸送機が着陸した。米軍と自衛隊の大規模な共同演習「キーン・ソード」の一環で、沖縄本島からミサイル発射機を運んできた。沖縄県は緊急時を除いて民間空港を使用しないよう求めていたが、米軍はこれを無視した。
米軍が空港管理者の沖縄県の意向を無視して新石垣空港を使用できるのも、日米地位協定があるからだ。協定第5条は、日本国内の全ての空港と港湾を使用できる権利を米軍に与えている。
これは、特に有事の際に深刻な問題となる。ジュネーブ条約は民間施設への攻撃を禁止しているが、日本の民間空港と港湾は米軍の使用が認められているため、敵対国から軍事目標と見なされる可能性がある。
1950年に米国政府内で作成された〝安保協定草案〟は「日本の全領域が米軍の作戦のための潜在区域として見なされなければならない」と明記した。これが日米安保条約と地位協定の根源だ。米国は日本全体を潜在的な米軍基地と見なし、安保条約と地位協定がそれを担保しているのである。
これは、米国の戦争相手が、日本全体を軍事目標と見なし得ることを意味する。国内での米軍の行動をコントロールできる主権がなければ、平和も守れないのだ。
戦後80年となる2025年は、あの戦争の惨禍に改めて向き合い、二度と戦争を起こさない決意を再確認する年にしたい。
日本が「戦後」であり続けるためには、対米従属からの脱却と主権の確立が急務だ。日米地位協定の改定はその一里塚と言えるだろう。石破首相は日米地位協定の改定を目指すとしているが、米国が戦勝によって手にした巨大な既得権を政府だけの力で打ち破ることは困難だ。成否のカギを握るのは、国民の世論と運動である。米国との間で地位協定の改定を実現した世界各国での歴史が、それを示している。
(「i女のしんぶん」2025年1月1日号)