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いつなら悲劇を止められたか──ウクライナ戦争は問いかける/NATO東方拡大・核・広島

1月30日、日本ペンクラブ平和委員会主催でオンラインイベント「ウクライナ侵攻から1年 ロシアの国内状況について聞く」が開かれた。講師の副島英樹さん(朝日新聞)は「ウクライナ戦争がなぜ起きてしまったかを考えなければいけない。アジアで同じことが起きる可能性もある」と語った。そして、新刊『ウクライナ戦争は問いかける NATO東方拡大・核・広島』(朝日新聞出版)にも、こう書いている。


「防げた戦争だったのに、なぜ勃発してしまったのか。地球を何度も破滅できるほどの核兵器と原子力発電所を抱えてしまった今の時代、戦闘の長期化で人類に重大な危機が迫っているにもかかわらず、『自由と民主主義の価値を共有する』と標榜している国々はなぜ、即時停戦と即時対話を叫ぼうとしないのか」と。

主に当日の内容からまとめた。

(吉田 千亜/2023年2月25日号)

「西側」目線の日本とメディア

副島さんは、1999〜2001年、2008〜2013年の2回、海外特派員としてモスクワ支局に勤務。プーチン第1期、第2期の誕生の時にロシアで取材していた。2019年12月3日、冷戦終結30年の節目にゴルバチョフを単独インタビュー。プーチン政権とゴルバチョフ政権の比較などを通してロシアを観察してきたという。

「日本のメディアは、基本的には西側目線で報道する。そこからは見えないものがある」と副島さん。ロシアの暴挙は容認できないが、歴史的背景を捉えることで教訓を得なければならないという。

ウクライナ侵攻は突然起きたわけではない。1989年の冷戦終結と、1991年のソ連崩壊から連綿と続いている問題であり、旧ソ連15カ国がそれぞれ独立することで燻り始めた。ウクライナはNATO(北大西洋条約機構/ソ連に対抗する軍事同盟)との緩衝地帯だった。ウクライナがNATOに加盟すれば、ロシアは西側と隣接してしまう。それを警戒したロシアは、2022年の侵攻直前まで、米欧に対し「ウクライナはNATOに入らない」という一筆を求めていた。しかし、その要求は全て拒否された。

ゴルバチョフも、冷戦終結でNATOはなくなると思っていたという。少なくとも軍事同盟ではなく、政治的同盟に代わると予想し、ロシア側もそれを期待していた。しかしそうはならなかった。

「勝者の病」がもたらす結果

そのNATOは、東方拡大を進める。アメリカ国内では、その動きに「新たな冷戦の始まり」「悲劇的過ち」、あるいは「米国の政治家や知識人は古来、戦史で繰り返された『勝者の病』という傲慢さに陥り、現実を見る目を失った」(アンドリュー・ベースビッチ氏/朝日新聞インタビュー)といった指摘もある。

伸夫氏(法政大学名誉教授)はウクライナ侵攻後、「米クリントン政権時代に始まったNATOの東方拡大問題は、最悪の結果を生みつつある」と危惧している(朝日新聞読書面)。

冷戦終結は東西の共同作業だったはずが、西側は「勝った勝った」と言い、90年代のロシアは西側との壁・疎外意識を募らせ、結果的に世界の安定を揺るがした。そして2008年ジョージア戦争(米ロ代理戦争)、2014年にウクライナ紛争が起こる。

この紛争の停戦協定「ミンスク合意」について、ドイツのメルケル前首相が昨年末、雑誌『ツァイト』のインタビューで「ウクライナが軍備を増強するための時間稼ぎだった」と発言した。ウクライナが「ミンスク合意」を履行せずに軍備増強を進めた結果、ロシアの先制攻撃を招いた側面があると副島さんは見る。

重なる日本とウクライナ

「防衛」のつもりでも、相手国には「威嚇」に見える。副島さんは、軍拡を進める日本とウクライナが重なって見えるという。沖縄の人々は危機感を持っているが、多くの人が他人事。アメリカの言いなりでは、危険な道から引き返せなくなる。だからこそ、平和都市・広島で開催されるG7に注目したいという。

また、「戦争にならないために、ロシア市民は、いつ、何ができたか」という質問に対し、副島さんは「反プーチンデモが湧き上がってもなお、選挙で投票先がなかった」。さらに、「90年代、ロシアには貧しく生活が大変な時代の劣等感があった。その劣等感を和らげられたら(戦争に至らなかったのでは)と思う」と回答した。イベントは、「国家と個人の自我をリンクさせないことが大切かもしれない」と締めくくられた。


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いま最も必要なのは「軍事志向」に走る日本や世界を、冷静に問い直す知性だろう。『ウクライナ戦争は問いかける』からヒントを得てほしい。

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