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【寄稿】鴨志田 祐美さん/ 再審のルールを変えよう!


鴨志田 祐美(日弁連再審法改正実現本部 本部長代行)
1962年生まれ、神奈川県出身。早稲田大学法学部卒業後、会社員、主婦(母親)、予備校講師を経て2002年40歳で司法試験合格。2004年鹿児島県弁護士会に登録。2021年4月京都弁護士会に移籍し、Kollect京都法律事務所に所属。大崎事件再審弁護団事務局長、日本弁護士連合会再審法改正実現本部本部長代行として再審弁護と再審法改正運動に心血を注ぐ。著書に『隠された証拠が冤罪を晴らす~再審における証拠開示の法制化に向けて』(共編著。現代人文社、2018年)『大崎事件と私:アヤ子と祐美の40年』(LABO、2021年)『見直そう!再審のルール~この国が冤罪と向き合うために』(共編著。現代人文社、2023年)など。


▼袴田さんの再審無罪まで


袴田事件が起きたのは1966年6月30日、ビートルズが来日して日本武道館で初めてのコンサートを行なった日です。静岡県清水市(現在の静岡市清水区)で、何者かがみそ製造会社の専務一家4人を殺害して住居に放火し、金品を奪いました。
約2カ月後、この会社の従業員で元プロボクサーの袴田巖さんが逮捕されました。巖さんは犯行を否認しますが、連日12時間を超える過酷な取調べを受け、逮捕から20日目に犯行を自白、起訴されました。
裁判では一貫して無罪を主張した巖さんでしたが、事件から1年2カ月後に突然、会社のみそタンクの中から血染めの衣類=「5点の衣類」が発見されます。巖さんは「パジャマを着て犯行に及んだ」と自白していましたが、静岡地裁は、「5点の衣類」は巖さんの犯行時の着衣であると認定、巖さんに死刑判決を言い渡し、1980年12月、最高裁で死刑が確定しました。
死刑囚となった巖さんは1981年4月から第1次再審請求を行ないましたが、認められませんでした。
2008年4月に申し立てられた第2次再審で、2014年3月、静岡地裁が再審開始を決定しましたが、検察官の不服申立てにより、その後東京高裁(開始決定を取り消し)→最高裁(高裁で再度審理をやり直すよう決定)→東京高裁と審理が続き、2023年3月にようやく再審開始が確定しました。そして同年10月27日から始まった再審公判(やり直しの裁判)で、今年の9月26日に再審無罪判決が言い渡され、10月9日に確定したのでした。
しかし、判決が言い渡された法廷に、無罪の宣告を誰よりも待ち望んでいた「被告人」の姿はありませんでした。事件から58年、死刑確定から44年、あまりにも長すぎるまでの歳月の中で、日々死刑執行の恐怖に苛まれ続けた巖さんの精神は破壊され、法廷に立つことすらできなかったのです。

▼浮き彫りになる法の不備


無実の人が有罪となって処罰される「冤罪」は、国家権力による究極の人権侵害です。
基本的人権を最大限尊重する日本国憲法に照らせば、たとえ3審制を経て確定した有罪判決であっても、それが誤りである場合には、冤罪被害者を迅速に救済しなければなりません。
ところが、そのための手続である「再審」に関するルールは、日本国憲法公布に伴う改正が間に合わず、今から100年前に施行された戦前の「大正刑事訴訟法」の条文が、ほぼそのまま現行刑事訴訟法の「第四編 再審」にスライドしています。つまり、「悪い奴は国家の威信にかけて必ず処罰せよ」という価値観のもとで、審理の在り方も裁判所の広範な裁量に委ねられていた時代のルールが改正されないまま今日に至っているのです。
このため、そもそも現在の再審制度に関する条文の数は19しかありません。それどころか、具体的な審理の進め方については、「裁判所は事実の取調べができる」と書いてあるだけです。何より問題なのは、捜査機関が収集した証拠のうち、確定した裁判の段階では提出されなかった証拠を、再審段階で開示させる手段である「証拠開示」に関するルールがないことです。
袴田さんの再審請求では、第1次再審当時から、弁護団が確定審に提出されなかった証拠の開示を求めていましたが、裁判所も検察官も「法的根拠がない」と言って相手にしませんでした。第2次再審の2010年12月以降、約600点もの証拠が開示され、その中に、今回の再審無罪判決で「ねつ造」と指摘された「5点の衣類」の発見直後のカラー写真や、袴田さんの過酷な取調べの様子を録音したテープがありました。再審開始、再審無罪の決め手となった証拠の存在が、事件から44年、死刑確定から30年も経って初めて明らかとなったのです。
このような開示証拠によって静岡地裁が再審開始を決定したのに、検察官の不服申立て=即時抗告によって一度は再審開始が取り消されるなどした結果、再審開始の確定までに9年を要しました。袴田事件は第1次再審の申立てから第2次再審で再審開始が確定するまでに43年もかかっていますが、そのうち、証拠開示に要した30年、そして検察官の不服申立てにより長期化した9年、つまり「43分の39」は、法の不備が原因なのです。

▼今こそ「再審法」の改正を


袴田事件の教訓から、冤罪被害者を迅速に救済するためには、再審法(刑事訴訟法・刑事訴訟規則)を改正し、再審手続に証拠開示のルールを設けること、再審開始決定に対する検察官の不服申立てを禁止することが不可欠だということが、おわかりいただけると思います。
法廷に立てなかった88歳の巖さんの代わりに、証言台で無罪判決の言渡しを聞いた、91歳の姉、ひで子さんはこう言います。
「私は、巖だけが助かればいいとは思っていない。全国に冤罪で苦しんでいる人はまだまだたくさんいる。巖が拘置所で苦しんだ48年を無駄にしないために、再審法を改正してほしい」。

ここまでお読みいただいた読者のみなさんには、ねつ造された証拠で死刑になっていたかもしれない巖さんと、無実の弟を支え続けたひで子さんの艱難辛苦を「自分事」として受け止め、二度とこのような事態を繰り返さないよう、再審法を変えるために一緒に声を上げていただきたいと思います。

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