![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/161562492/rectangle_large_type_2_6454b26c94a15f322c1de3bff64580f5.jpeg?width=1200)
粛々と進められる幌延深地層研究センターでの「研究」、狙われた土地の苦悩
![](https://assets.st-note.com/img/1731391822-Na2Zh9kgpRCbSvjsI0u5GTmo.png?width=1200)
自然豊かで美しく、人口の少ない土地に国策が入り込むことが全国各地で繰り返されている。
北海道町にある「幌延深地層研究センター」もその一つ。核ゴミをめぐり、1985年から約40年の闘いの歴史がある。当時幌延町には7千人弱が住んでいたが、現在は約2400人に減った。
2000年に北海道は「核を持ち込まない」とする、いわゆる核抜き条例を前提に、地層処分の研究を受け入れた。道・幌延町・核燃機構(現日本原子力研究開発機構/JAEA)は、「放射性廃棄物を持ち込まない」「研究終了後は地下施設を埋め戻す」「中間貯蔵施設を将来とも設置しない」等の3者協定を結び、深地層研究を進めてきた。
国は、核ゴミの受け入れ地を探し続け、ここ数年では、北海道町・村、長崎県対馬市、佐賀県玄海町などが注目された。「研究」として既に試験データの集積があり、実規模施設が作られ、地下研究の坑道掘削も進んでいる幌延町にも、いつ白羽の矢が立つか、という危機感が広がっている。
●町長との面談で感じた不安
7月27〜28日に北海道町で行なわれた「ほろのべ核のゴミを考える全国交流会」に参加した。生活クラブ北海道のツアーバスに同乗し、札幌から6時間かけ、まずは幌延町役場に向かう。町長との面談と要請のためだ。
生活クラブ北海道では、幌延町長への申し入れを、毎年ツアー開催の度に続けている。
町長は、要望書を受け取った後、幌延深地層研究センターを「考えるフィールド」だと言い、研究結果によっては、地層処分を「やらない根拠にもなりうる」と話した。一方で町長は、全国の使用済み核燃料と、福島原発事故で発生した高レベル放射性廃棄物(ガラス固化体2万5千本分)は「どうしても存在する」「保存しているのも負担」と発言するなど、国・為政者目線の物言いになっていた場面もあった。
生活クラブ北海道理事の小林恭江さんは、毎回場を設けてくれる町長に一定の感謝を示しつつ、「要請を続けていきたい」と話していた。
●なし崩しにされる懸念
その後、全国集会会場へ。全国各地から約70人が集まっていた。
「核廃棄物施設の誘致に反対する道北連絡協議会」の共同代表・さんは、「NUMO(原子力発電環境整備機構)は、地層処分の実施主体として作られたが、そのNUMOが幌延国際共同プロジェクトに参加している。3者協定への明確な違反だ」と指摘。「国がなし崩し的に幌延を処分場にしない保障もない。浜里という海岸でも(地下水に関わる研究を)やっている。どこにも処分地がないから幌延で、となる危機感がある」と語った。
「はんげんぱつ新聞」の末田一秀さんは関西から参加。核ゴミに対して国は、「前に進んでいる」と見せかけ、全国の選定地の呼び水にするためにその場しのぎを続けていると指摘。「将来世代につけを回さないように知恵を絞りたい」と語った。
また、北海道平和運動センター元事務局長の羽場尚樹さんは、核ゴミの問題は、敵が見えづらいと分析。ゴミを出した電力会社は隠れ、知事やNUMO、国など、交渉相手が不明確な上、「住民の間に『最終処分場にならなければいいんじゃないの』『交付金だけもらえばいいんじゃないの』という意識がある中での難しさを感じている」と語った。
前出の小林さんも「核ゴミは嫌だと思っていても、意思表示するのは難しい人もいる」と発言。食の関わりのある団体や個人組合員に、「かけがえのない北海道の素晴らしさをいつまでも残していきたい」という主旨の「マウコピリカ宣言(幸せになる=アイヌ語)」に賛同してもらう地道な取り組みを続けていることを語った。
●次世代にどう繋げるか
幌延町にあるチーズ工房「レティエ」社長の田中あもさんは、2歳から12歳の3人の子を育てる若い女性。父親が核ゴミの反対運動をしていて幼い頃から問題意識を持ち、この日は「若手」として発言した。
最近、家の近くに風力発電所が30機以上建ち、携帯電波、WiFi、電話子機に支障が出はじめ、熊も出るようになったという。「子どもの進路のことで移住も考える。本当はこっち(幌延町)で闘いたかったけれど」と率直な思いを述べた。
集会の話題は「次世代に運動をどう繋げていくか」というテーマにもなった。前出の羽場さんは、「まずは労働運動を繋ぐことが私の喫緊の課題」と話した。地域課題に対しては「反対」だけではなく、「どうしたいか」を考えることも大事だとし「やりたいこと」「やれること」があると若い人にも労働運動は楽しいはず、と提案。
小林さんは生活クラブとして「家族と核ゴミの問題を共有することで次世代につなげたい」と話した。
田中さんは、「若い人を増やすために企業誘致をするが、それしかない今の選択肢は違う」と指摘。それでも考えている若者はいると言い、「私は魂だけは売れない。自分の信念を持ち、強いものに負けなければ将来は変わるはず」と力強く語っていた。
吉田千亜
(「i女のしんぶん」2024年9月10日号)