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【寄稿】栗原俊雄さん/政府による差別、社会の無関心──空襲被害者の「未完の戦争」

▼敗戦後も続く被害


マスメディアは毎年8月、過去の戦争について集中的に報道する。このため「8月ジャーナリズム」とも言われる。1年中、戦争に関する取材と報道をしている「常夏記者」こと私から見ると、8月ジャーナリズムには1つの「文法」がある。戦争体験者を探し出す。悲惨な体験を柱にして、最後は「戦争だけはしてはいけない」と締めくくるスタイルだ。
私は、この文法を使わない。それは読み手にとって「戦争は昔話。自分には関係ない」という印象につながってしまう危険性を持っているからだ。
戦闘は79年前の1945年夏、大日本帝国の敗戦で終わった。しかし、戦争による被害は今も続いている。広義の戦争は終わっていないのだ。この「未完の戦争」の実例は多数あるが、本稿では民間人空襲被害者に対する戦後未補償問題を取り上げる。

▼無視された民間人たち


米軍の、民間人をも標的にした無差別爆撃で殺された人はおよそ50万人。心身を傷つけられた人、肉親を殺された人たちを含めれば被害はその数倍、数十倍にも及ぶだろう。無差別爆撃は国際法違反である。補償すべきは、一義的にはアメリカ政府だ。
ところが、日本政府はアメリカにそれを請求することができない。1951年に締結され、翌年に発効したサンフランシスコ講和条約において、日本政府は米英など連合国との間で戦争に関する補償請求権を相互に放棄した。被害者の補償請求権を差し出すかわりに、独立と国際社会復帰を手に入れたと言っていい。もちろん、被害自体がなくなったわけではない。戦争は国策であり、国策決定に全く関われなかった庶民の戦争被害に対し、国が補償するのは当然のことだ。
政府は、軍人軍属や遺族らには累計で60兆円以上の補償や援護を行なってきた。だが、民間人空襲被害者には「国が雇っていなかったから」という理由で補償を拒んできた。戦時下の政府は、雇っていなかった国民に様々な義務を課した。例えば「防空法」を制定し、空襲下で「逃げるな、火を消せ!」と命じた。しかし、例えばB29の同じ爆弾で同じような怪我をした場合、軍人は国家補償を受けるが、民間人は受けられない。そんな不条理がまかり通ってきたのだ。

 ▼「戦争被害受忍論」で敗訴


1970年代から被害者による法廷闘争が起きた。だが東京、大阪、名古屋の大空襲被害者が起こした国賠訴訟は、全て原告敗訴。「戦争では国民全体が何らかの被害にあった。だからみんなで我慢すべき」だとする「戦争被害受忍論」という理屈を裁判所がひねり出し、被告国側もこれを利用してきた。あまり知られていないが、東京大空襲の被害者による法廷闘争は2013年、大阪大空襲のそれは2014年まで裁判が続いていたのだ(いずれも最高裁で敗訴が確定)。
70年代には、立法による可決を求める動きも始まっていた。被害者らが社会党など当時の野党に協力を呼びかけ、1973〜89年に計14回、民間人被害者の補償を実現する法案が国会に提出されたが、成立しなかった。
当事者の年齢を考えると、この先、集団訴訟が起きることはないだろう。つまり司法による救済はあり得ない。行政は初めから救済するつもりがない。だから14回廃案になっても、被害者たちは立法による救済を信じて活動を続けている。東京、大阪大空襲の訴訟団の原告と支援者らは「全国空襲被害者連絡協議会」を2010年に結成。敗訴確定後は立法運動一本に絞って活動を続けている。与野党超党派の国会議員連盟があり、救済を目指して活動している。

▼続く闘いと「新しい戦争」


私は15年前の2009年から、この問題を取材している。2013年5月に東京大空襲国賠訴訟の原告敗訴が決まった時、30人近い原告が最高裁判所前(東京都千代田区)前に集まり、「死ぬまで闘うぞ!」「戦争被害受忍論を打ち破るぞ!」と拳を突き上げた。以来11年。原告の多くが亡くなり、街頭活動や議員への陳情に動ける人は数人にまで減ったが、今も戦争被害に苦しみ、政府の差別や社会の無関心と闘っている。
政府は現在、新しい戦争への準備を進めている。日米同盟を強化し、防衛費(軍事費)を激増させている。実際に戦争になったら、広く民間人に被害が及ぶのは必至だ。過去の戦争被害に何の補償もしない政府は、新しい戦争被害者も「国が雇っていなかったから」と何の補償もしないだろう。そんな、民間人差別の再生産を許さないためにも、民間人空襲被害者の救済を実現しなければならない。

(「i女のしんぶん」2024年8月10日・25日号)


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