ワンダフル通信<2021.10.06>
「Sundayカミデの新しい時代の話」
ウッドベースを車に積んで、日々を過ごしていたのは、24歳くらいの頃だ。
fire flyの近くにあった、ズートスーツのお店でハットを自分の頭の形に合わせて作っていたのも、その頃だ。
2本目となるウッドベースは、通天閣の近くにある、癖のあるおじさんに特注で作ってもらっていて、ハットを作ってくれていたお兄さんは多分、日本のギャングだった。
夜でも、薄い色のサングラスをかけて、ビンテージの革靴をいつも履いていた。
ポパイのような、パイプタバコを内ポケットに入れて常に持ち歩いて、真夜中のfire flyで煙をくぐらせるのが習慣だった。
その頃の大阪のクラブシーンは、まだまだ混沌としていた時代で、健全な部分とそうで無い部分が、いつも混ざりあっていた。
DJ MUROさんが、Love sofaに出演してくれた時には、ボディガードの人達を何人か連れて来ていたし、真夜中のLove sofaには、誰か分からないけど、とにかく偉そうに無断で入ってくる輩も、それなりに存在していた。
僕は、そう言う中で、少しだけ頭角を現してきたクラブイベントのオーガナイザーのひとりだった。
時には、喧嘩も辞さない。
そう言うスタイルが、まだまだ必要だった。
僕は、音楽以外のundergroundの世界を10代の頃に、たくさん経験していたので、そう言う意味では得意なスタイルだった。
本当にヤバい人は、音楽に関わる世界には存在しない。
それを知っていたから。
だから、クラブシーンにおいて、必要以上に恐れたりする必要が無かった。
そして、クラブは細分化して行った。
当時の雑誌でも、色んなシチュエーションでよく使われていた細分化と言う言葉。
そして、クラブは、小箱と言われるようになり各々のカルチャーが発生して行った。
多くの人で、同じ事に同じリアクションをすると言う時代は終わりを告げた。
Love sofaも、そのひとつだ。
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