ワンダフル通信<2021.03.24>

「Sundayカミデの辞めない話」

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僕がアルバイトを20年近く続けるトレーニングジム及びスポーツセンターは、巨大なドーム型の建物で、97年に前衛的なデザインで完成していて、僕は99年頃に、お客さんとして、よく通っていた。その後2001年頃からアルバイトとして働いている。


当初から、男子ロッカー、女子ロッカー、多目的ロッカーなどを設け、男女の性別だけでなく、多様にそれぞれの使い方を出来るようにしている。


障害者手帳を提示すると、無料で設備を使えるし、車椅子の人達が、なるべくスムーズに移動出来るようなスロープや導線もある。まだまだ欲しい所ではあるけど、90年代の建物にしてはそれなりにある方だと思う。


そして、国内外のトップ選手が出場する大会や、アマチュアの大会、学生の大会など、多種多様な競技が出来るように、メインアリーナやサブアリーナ、プールなどが緻密に設計されてある。


トレーニングジムには、有名な外科の医師が月に4回診察をすると言う試みもしていた時期もあった。

高校生の頃、僕の膝の手術をしてくれた有名なお医者さんが来てくれていた頃もあったので、僕の、その後の膝の状態をよく診てくれた。

そして、働く社員も、アルバイトスタッフも、かなりの頻度で、研修が義務付けられていて、救急蘇生のCPR、水難事故の救助、プロテインや、サプリメントなどの専門の講師を呼んだ勉強会など、覚える事も多岐にわたる。


僕が入った時、すぐに手話の解説本を手渡された。聴覚の障害を持つお客さん達と、最低限のコミュニケーションが取れるようにと、社員がその本を貸してくれた。


僕は、それなりに覚えて、あとはジェスチャーで何とか対応していた。後に、その対応力が認められて、本社から表彰状と金一封をもらった事がある。


入ったばかりの頃は、社員に、何度も叱られ、訂正され、本当に行くのが嫌だった。

その頃の僕は、A.S.Pと言うバンドのリーダーであり、Love sofaも主催し、ファッション雑誌にも度々載るような時だったので、それなりに大阪のundergroundでは、脚光を浴びていた。


しかし、アルバイトに行くと、何度もミスをし、何度も謝り、社員から叱咤激励される日々だった。その、昼と夜とのギャップに自分でもよく驚いていた。


夜は、ハットをかぶり、ウッドベースを弾き、葉巻をくわえてクラブでお酒を飲み、たまに写真やサインなどを求められていた。


しかし、翌朝には、トレーニングジムを掃除し、手話の本を少し読んで、あたふたと接客をし、研修を受けても、すぐに覚えれる訳では無く、何とも、戦力外なアルバイトスタッフだった。

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