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いよいよクライマックス!両親が立て続けに死んだ話①
こんにちは! 猿田信司です。
母が誤嚥性肺炎で入院して
一月経たない頃でした。
ちょうど、ゴールデンウィークの
初日の朝のことでした。
母が入院していた病院から、
朝8時ころに電話がありました。
「大至急来てください」
珍しく、前日会社の人と
飲みにいっていたのもあって、
めっちゃ眠かったんですが、
朝っぱらからたたき起こされました。
母の病院へ
眠い目をこすり、車で、
母が入院している病院に行きました。
病院に着き、先生に話を聞いてみると、
「あと一週間くらいしかもたない」
「覚悟しておいてください」
と言われました。
正直、父が半年ほど生きていたのもあって、
信じられませんでした。
本当に一か月くらいしかもたないのか。
ですが、母の様子を見ると、いつもと変わらず、
ただ寝ているだけのようでした。
その日は、特にすることもなかったので、
母の病院を出て、車で30分ほどの
父の病院にも寄りました。
父に言ってしまったこと
父も、いつものように、ただ寝ていました。
私は、つい言っちゃったんですよね。
「おふくろ、もうダメかもしれない」
寝ているように見えるし、私の言葉も
聞こえてないんだろうと思っていました。
地獄のようなゴールデンウィーク
そこからは、地獄のようなゴールデンウィークでした。
連休といっても、いつ母の病院から、
母が死んだという連絡があるかもわからない状態です。
気が休まらないし、どこにも行けません。
家に閉じこもって、電話が来ませんようにと
祈り続けていました。
いよいよ電話が
数日たち、いよいよ電話がかかってきました。
朝5時くらいでした。
「いよいよ来たか」と思って電話に出ると、
意外なところからの電話でした。
母が入院していた病院からではなく、
父が入院していた病院からの電話でした。
「危篤状態です。すぐに来てください。」
正直、驚きました。
母ではなく、父が?
私は車をかっ飛ばして、
父の病院に向かいました。
危篤状態の父
普通、1時間半くらいかかるのに、
早朝なのもあって、1時間ほど、
6時ころには、父の病院に着きました。
急いで行ったのですが、父の様子を見ると、
いつもどおり、ただ寝ているだけのように、
私には見えました。
「えっ? 本当に危篤状態なの?」
先生に話を聞くと、確かに危篤状態で、
おそらく1日もたないそうでした。
父の横で、パイプ椅子に座り、
ずっと見守っていました。
ですが、様子は全然変わりません。
話しかけても反応はないし、
とても、これから死ぬようには
見えませんでした。
しかし、帰るわけにもいかないので、
することもなく、ただただ座っていました。
途中、お昼には、コンビニに行って、
おにぎりとか買ってきたりもしました。
それでも、父はただただ寝ているだけ
のように見えました。
「本当に危篤状態なんだろうか?」
私のイメージの危篤状態というのは、
テレビドラマのような、医者が延命措置をしたりといった、
ドラマティックなものでしたが、
父はまったくいつも通りです。
医者も全然来ません。
ただ寝ているだけの父を、
私が横でボーッとみている。
イメージしていた危篤状態とは、
全く違いました。
夕方4時
夕方、4時くらいになった時、看護師さんが
「別室で横になりますか?」と聞いてくれました。
さすがに、ずっと座って待ってる私が、
しんどそうに見えたのでしょう。
この時の判断は、今でも悔やんでいます。
私は、「いったん家に帰ります」と
言ってしまったんです。
父の様子は、とてもおだやかで、
とてもすぐに死ぬようには
私には見えなかったんです。
「多分まだ死なないんじゃないかな?」
そう思ってしまった私は、
自宅に帰ることにしました。
自宅へ帰る途中
自宅に向けて、車を走らせている最中でした。
時間にすると、5時ごろ。
まだ、自宅にも着いていない時でした。
父の病院から電話がありました。
「今、亡くなりました」
「えっ?」
まるで、私に自分の死を見せない
ようにしたかのようでした。
私が父のもとを離れて、1時間後です。
病院から連絡があってから、
ちょうど12時間後でした、
先生が言ったとおり、一日もちませんでした。
急遽、今来た道を戻り、1時間ほどで、
父が入院していた病院に着きました。
父の遺体
父がいた病室に行きましたが、
すでに片付けられていて、
遺体は死体安置所に移されていました。
父の遺体を見ても、信じられませんでした。
こんなにあっけなく死ぬの?
しんどくても、あと一時間病院にいたら、
父の死に目に会えたのに
自分の判断ミスだった
後悔と申し訳なさで、父の遺体の前で、
号泣していました。
通夜・葬式どうしよう?
ひととおり泣いて、少しだけ冷静さを取り戻した私は、
とりあえず、親戚に父が死んだことを連絡しました。
しかし、親戚といっても、
ほとんど付き合いもなかったので、
父方と母方のそれぞれ一人づつに連絡しました。
その時、気づかされました。
「通夜の場所決まったら教えて」と言われたのですが、
よく考えたら土地勘もない場所で、
どこで通夜とか葬式とかすればいいんだろう?
父が持っていた、納骨堂のあるお寺は、
めちゃめちゃ遠いし・・・
一応、そのお寺にも連絡してみたんですが、
ゴールデンウィークなのもあって、
不在のようでした。
老人ホームに連絡すると
困り果てていましたが、それとは関係なく、
一応、お世話になっていた老人ホームにも、
父が死んだことを連絡しないとな、
と思い、老人ホームにも電話しました。
そこで、思いもよらない提案がありました。
通夜・葬式を、老人ホームでやらないか?
という提案でした。
遺体を運ぶのや、通夜・葬式をしてくれるお坊さんも、
すべて老人ホームで手配してくれる、
という夢のような提案です。
困り果てていた私には、まさに、渡りに船です。
それに、家族葬だと、私と親戚くらいしか来てくれませんが、
老人ホームであれば、入居している皆さんにも送ってもらえる。
たくさんの人に送ってもらった方が、
父もうれしいだろうな。
これ以上ない、ラッキーな提案に、
私はすぐ、老人ホームでの
通夜・葬式をお願いしました。
老人ホームで
私は知らなかったのですが、
亡くなった遺体は、免許がある業者以外は
運んではいけないんだそうです。
そんなことすら、知らない私に、
老人ホームで手配してくれた業者に、
父を老人ホームまで運んでもらい、
自分の車で後ろをついていきました。
老人ホームに着き、
老人ホームの仏壇がある一室に、
父を置いてもらいました。
さらに、ありがたいことがありました。
なんと、その日は、老人ホームの方が、
ろうそくや線香を見てくれるので、
私は自宅に帰っていい、と言ってくれました。
ただ、明日の通夜は、私が泊まり込んで、
一晩見てほしいので、明日の昼には来てください
とも言われました。
正直、一日でいろんなことがありすぎて、
クタクタになっていた私には、
とてもありがたいことでした。
喪服の準備もしなければいけないし、
とりあえずその日は自宅に戻りました。
私は、父が死んだのに、これから
やらないといけないことが多すぎて、
悲しむヒマもありませんでした。
死んでも悲しむヒマがない
というのは聞いていましたが、
本当だなと実感しました。
また、私の場合、父の遺体を見た時に
号泣したのが良かったのかもしれません。
ここから、父の通夜・葬式になるのですが、
ものすごく不思議なことが起こります。
ですが、長くなってしまったので、
今日はここまでにします。
最後までお読みくださり、
ありがとうございました。
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