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死んでしまった母も誤嚥性肺炎で入院した話

こんにちは! 猿田信司です。

父が誤嚥性肺炎で入院して、
半年ほど経ったときのことです。

老人ホームからの連絡で、
今度は母が入院したことがわかりました。

それも、あの隔離病棟がある病院です。

あの時から、母が病院に行くときの、
主治医みたいな感じになっていました。

父が入院している病院には、
車で30分くらいかかる、
全く別の病院でした。

母も誤嚥性肺炎

入院の手続きに行くと、先生から、
母も誤嚥性肺炎であることが告げられました。

母も、口からものが食べられないくらい、
おとろえてしまったということです。

父の時と同じく、胃ろうを作るか、
栄養剤注射の選択を迫られました。

今度は、母の寿命を私に決めろと。

母も栄養剤注射で

父と同じく、母も胃ろうを作らず、
栄養剤注射にすることにしました。

これは、父の時、もって一か月程度
と言われていたのに、
この時点で半年ほど生きていた、
というのも大きかったです。

「医者は大げさに言うだけで、
 結構もつんじゃないか」
と思ってしまったんです。


それに、口から食べられなくなったというのは、
生きるための基本的な機能が
無くなったということです。

そうなってしまったのなら、
それ以上生きるべきじゃない、
無理に生かすのはかわいそう
だとも思っていました。

母も意思の疎通ができませんでした

この時には、母も意思の疎通は
できなくなっていました。

話しかけても返事はないし、
私の声が聞こえているかも
わかりませんでした。

痛いのか、苦しいのか、
それすら私にはわかりませんでした。

来るべきものが来た

正直、この時私は、
ついに来るべきものが来た、
という思いでした。

両親が、自分より先に逝ってしまう
のは当たり前のことです。

そして、ついにその時が来てしまった。


父も母も、おそらくそう遠くない将来
死んで、いなくなってしまう。

その時期は、もう一年もない。

父はすでに、栄養剤注射になって
半年が過ぎていましたから、
いつ死んでもおかしくない状態です。


ですが、その時の私は、なんとなく、
母も半年くらいはこのまま生きるのかなと、
甘い考えを持っていました。

ですが、入院してから一か月経たずに、
母の病院からの連絡で、
現実は甘くないことを知らされます。


ここからは、怒涛の展開で、
我ながらよくできた不思議な話だな
と思うのですが、長くなりますので、
別の機会に改めます。


最後までお読みくださり、
ありがとうございました。

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