現世の毒沼と微かな安らぎ、の話
いつ、どんなコンディションで乗ったとしても、めちゃくちゃに疲れる乗り物がある。その名を電車という。
電車に乗っても疲れない人間というのはこの世に存在するのだろうか。何時間乗ってもまるで変わった様子がなくスンとしている人を見たら、僕はきっと恐怖のあまり車両を変えてしまうだろう。
ゲームをしても、映画を見ても本を読んでも、電車の中で過ごしている時間というのはとにかく苦痛だ。まるで集中できないし、何かするにしてもまず「よし、やるか」と気合を入れないとできる気がしない。
人がたくさんいる電車の中で過ごす時間は、世界で二番目に長く感じる。ちなみに一番長いのはラグビーの5mラインからインゴールまでの攻防戦である。これはどうあっても揺るがないので、電車には二番手に甘んじてもらう。
しかし二番目だとしても侮ってはいけない。何もせず座っているだけ、立っているだけなのにめちゃくちゃ疲れる。ある意味では一番恐ろしいのだ。ドラクエのマップでは、移動するだけで体力を削られる毒沼が存在する。電車は現世の毒沼のようなものかもしれない。
そもそも、なぜ電車はこんなにも心身を疲弊させてくるのだろうか。パーソナルスペースが無に等しいというのは大きい。他の場所ではあり得ないような近さに他人が座っている。異様に近い距離で人を感じる環境で数分、長ければ一時間以上を過ごさなければならない。
人と触れることが多い、という理由もある。誰だって赤の他人と接触するのは嫌なものだ。それが故意でもそうでなくても、である。あの近さで座っていたら誰だって隣と当たってしまうことはあるだろう。でも嫌なものは嫌だし、お互いにいい思いはしない。だから身を縮めて、少しでも接触する可能性を減らすのだ。
加えてこれは僕自身の問題なのだが、不特定多数の人がいる空間で過ごすことそのものに体力を使ってしまう。電車は本当に色んな人がいて、恋人と一緒でハッピーな人がいたかと思えば、その近くにスマホを握りしめて涙目の人がいたりする。騒がしい酔っ払い集団もいれば、疲れ果てた様子の人もいる。様々な存在は、そのまま車内に圧迫感をもたらすように感じる。
あまりオカルトじみたことは言いたくないのだけれど、電車はエネルギーや感情がごちゃ混ぜになった空間なのだ。同じ「人が近くていっぱいいる空間」でも、同じ音楽を楽しむ人たちが集まったライブやフェス、みんなで映画を鑑賞する映画館とは訳が違う。そんな中で長時間緊張しながら過ごすなんて、疲れるに決まっているのだ。
そんな電車に乗り続けて気が付いたことがある。どうやら電車そのものが嫌いなわけではないようで、「人がいない電車」にいるときはこれが結構落ち着くのだ。普段は詰まった空間に感じるあの細長い車体の中、一人でポツンと座っているとなんだかリラックスしてきたりする。
だから電車で移動する時の「折り返し運転」とか「当駅始発」だとかは小さなオアシスだ。同じ駅で乗る人が少なければ、運が良いと同じ車両に一人も居ない時間ができる。それは次に人が乗ってくるまで、つかの間の安らぎを与えてくれる。
それはいつも窮屈に感じる空間が開けたことによる、ギャップのようなものを心地よく感じているだけなのかもしれない。けどだからこそ、僕はその中で過ごす時が好きだ。竜王を倒すと毒沼が花畑になるように、人がいなくなると電車はちょっとした憩いの場に変わるのである。
結局僕は、不特定多数の人がいる空間で過ごすのが苦手というだけなのだろう。こうして長々と考えていると、週末のショッピングモールや大学の大教室も似たようなものだな、と思い出されてくる。これは「時間長く感じるランキング」更新も近い。いや、苦痛なことに変わりはないのだけれど。
人が全然乗ってこないようなローカル線で一人、車窓を過る景色を眺める旅行でもしてみようか。きっと楽しいに違いない。そんなことを考えながら、空っぽの電車以上に安穏とできる自室で今、僕はこれを書いている。
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