好きでいることの天才にはなれない
こんにちは。
縁あって#週1noteに参加させていただくことになりました。
文章を書くのは好きですが、noteは初めて
中学生くらいからインターネットが大好きで、学校から帰るなり段ボールみたいなパソコンに向かい、チャットやらブログやら色々手を出しては何かしら文章を書いていたものの
SNSが当たり前になるにつれ、誰かにとって有益な情報であるとか、発信する界隈を絞らないといけないとか、頭でっかちになりすぎて書く機会が減ってしまっていました。
何かを好きでいることにも才能ってある
私の周りには「好きの天才」がたくさんいます。
好きの天才というのは、自分の好きなものや人がちゃんとわかっていて、強い愛情で推し続けられる人たちのこと。
彼女(彼)らの熱量は本当にすごい。
大好きなものをいつでもどこまでもずっと追いかけていて、情報収集力も半端ない。好きなものにめちゃくちゃ詳しい。
もっと知りたい、というパワー
好きの天才たちは空いている時間やお休みの日を使って、好きなものにどんどん詳しくなります。好きなもののバッグボーンや最新の情報を得ているのは当たり前だし、好きな人の好きな物という芋づる方式で、どんどん好きの世界が広がっていく。
そうすると自ずと、SNSでの発信力もすごいんですよね。好きを広めたいから。
私の周りの天才たちはフォロワーがめっちゃいるし、常に「同じものを好きな人たち」の真ん中にいて、いつもキラキラしています。
私には才能がない
いや、正確にいうと、それこそインターネットをがっぷり使っていた学生時代はちゃんと何かにハマって、私はオタク気質である。という自負がありました。でも大人になって気がつきました。「あれ、私、浅いな??」と。
天才たちとの会話では知らないことばっかり。同じものが好きなはずなんだけどなぁ。
好きなものは色々あってイベントをチェックするけれど、結局休みは出かけるのが面倒で来週でいっかーとなっちゃうし(そして結局行かない)、好きなものが出ているからとテレビを録画すれば、半年以上放置してしまう。通勤の電車の中で音楽を聴こうと思いつつ寝てしまいますし。
どうも私、好きなものは好きだけど好き止まりで、背景を深く掘ったり情熱を費やすことが難しいようです。
SNSの時代って、オタク力(りょく)の時代だと思う
何かを深く好きで発信したいことがあるというのは今の時代に最高ですよね。めちゃくちゃ楽しめると思う。
かたや、熱中できるものが無いと少し悩ましく感じてしまう時代でもある気がして、私の場合、それがずっと何かを書きたいけど書けなくしてきた原因だと思うんですね。
天才たちがうらやましい。私が発信したくてたまらないことって、なんだ。
一周回って、才能が無いから書けること
ずーっとそんな感じで「発信力が無いぜ…」って長年ウダウダしていた私、週1noteにご縁をいただいて、正直、担当日の今日が来るまでもずーっと何について書こうか悩んでいました。
締め切りまで残りわずかな数時間前。
さて困った。よし、仕方ないから素直にジャストナウで考えていることを書こう。実はそうやってここまで1360文字を書いています。
それでようやく気がついたこと。
あれ、書きたいことなくても案外書けるなぁ、ということ。
結局フットワークの重さが自分で自分の可能性を狭めてしまっているだけなのかもしれません。
私は好きの天才では無いけれど、バラバラでも浅くてもいいから思っていることを少しづつでもアウトプットすれば、もしかしたら最後は何かの「好きのカタマリ」になるかもしれないですね。
という訳で、せっかくいただいたこの機会、まずは頭でっかちをどこかに置いて、のんびり、自分のために文章を書いてみようかなと思えたところで、ひとつ目の投稿を終わります。
全6回、頑張ってみるのでよろしくお願いします。
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