言葉がでてこない、なにこの感じ
ここは、自分の言葉が出てこない最近の感覚について考えるnoteです。新型コロナウイルスが広がる中で一人ひとり良い変化、悪い変化、良い悪いで区別できないような変化があったと思います。わたしが書くことはその中の一つ、私にとっての新型コロナの影響の話でもあります。ちょっと鬱々とした話になるので注意。
言葉が出てこない。
そんな感覚を持つようになったのは、新型コロナで人と会って話す機会が減ってからのこと。最初は、人と会わずにすんでラッキー!コロナを理由に、めんどくせー人間づきあいから距離おける。あの人とも、この人とも話さなくていいんだ!これを機に嫌な人間関係全部切っちゃえと切りまくり、まじリフレッシュ!などと思っていた。
一人暮らし用の座卓につまみを並べて朝から酒をのみ「小説を読もう!」を読み漁り、それに疲れたらYouTubeで犬猫の動画を見漁って、いつの間にか寝ている。家から一歩も出ない生活最高!というかんじだった。
だが日本で新型コロナが広がり始めて1年以上が過ぎた今、私は謎の鬱々状態にいる。自分の世界の全てになっていた自分の部屋から出て、ひさしぶりに人と対面した時、口から言葉が出てこないのだ。部屋から少しずつ出る機会を増やしているリハビリ中の今も、頭の中に言葉が浮かんでこないときがある。なんで周りの人たちはこんなに言葉がでてくるんだろう、と不思議に思うほど。相槌や合いの手くらいなら、なんてことはないけれど、いざ話をふられて自分が話さなければいけなくなるとフリーズしてしまう。
会話を楽しむ感覚ってどんなんだっけ?
たぶん、私は口で自分を表現することが怖くなってしまっている。目の前の人は自分の話を聞いてくれるんだろうかとか(もちろん、話を振ってくれているから聞こうとしてくれているんだろうけれど)、相手の文脈にちゃんと乗れているだろうか、そもそも乗らないといけないんだろうかとか思ってしまう。それで考えることや愛想笑いに疲れて、なんかもう楽しくないのである。こんな状態だと相手も楽しくないだろうし失礼だなと思うと、頭のなか余計真っ白になる。
そう、私は自分を表現することが怖くなり、会話を楽しむ方法が分からなくなっているのだ(「方法」って言っている時点で楽しめていない感じがするなと思った)。
自分を表現することが怖い
コロナ禍で私が誰かとの関係を切ったように、私も相手から関係を切られた。そんななかでも電話・Line・zoom・Slack・Teams色んなツールで、いろんな立場の人と連絡を取っていたんだけど、周りの人たちはピリピリしていて、きっと私も自分が気づかないうちにピリピリして余裕がなくなっていて、他者否定・自己否定が雨あられのように降り注いでいた。
最高なはずの自分の部屋にいても、「私ってやつはダメなやつだ」みたいなことを思ったし、「あんなやつとは、もう連絡すらとりたくない」って思うこともあった。連絡とっている相手からそういう態度をとられることもあった。
否定したあとに「私はそんなにダメじゃないよ。頑張っているよ」って自分に言うしかない。そんな世界のなかで、自分に自信がなくなって、人と対面するときにも身構えて、自分のことを話していいんだ、表現していいんだと思えるようになるため時間がいま、必要なんだと思う。
私の中にも言葉はある
もう一度、自分のことを話してもいいんだって思えるようになりたい。そう思える場をつくりたい。自分のことを話して聞いてもらえている感覚、自分の話で相手が一緒に笑ってくれてうれしい感覚、あの解放感を感じたい。
頭の中に言葉が浮かんでこなくても、私は感じているし考えている。ただそれを表現するのに時間がかかるだけ。
このnoteは、その一歩。私が自分の想いを言葉で表現できるようになるために、まずは書く。それからしゃべるに移っていくためのリハビリの場。
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