Kカフェ「中野ブロードウェイ怪談会」に行ってきた
2024/10/5 「戻るドール」
(2025/02/03 09時頃 記)
Kカフェに行かなくなったら感想書かなくなってたぞー!
行かなくなった理由が毎週行くにはちょっと遠いしちょっとお金もかかるしちょっとその時期忙しかったし、でした。が、その後の開催頻度を見ると毎週やる訳じゃなくなってました。これくらいのペースでの開催だったら、今更ながら毎回行っておけばよかったなとやや後悔中。
あと、生公開しているコンテンツってリアルタイムで見ないと、あとからでは見る気がなかなかでないことがありますよね。こういうところも踏まえてリアルタイムコンテンツはリアルタイムで見るべきだなーと思い直しております。
というわけで4ヶ月も前の中野ブロードウェイ怪談会の感想。今回の作品は「戻るドール」。
この回のアーカイブは見直しましたが、その前後のアーカイブは見直しておりません。確かこれの前回あたりで「次回から中野ブロードウェイ怪談じゃなくて、中野ブロードウェイ奇談(綺談?)にしようかな」とかそんな発言がされていましたよね。
怪談、奇談と言葉の頭が「かきくけこ」の「かき」と繋がっているので、奇談の次は空談、言談、講談みたいに繋がっていくのかなあと妄想した記憶があります。講談社から飛び出した星海社の書籍で講談を名乗ることになったらそれはアツい!
作品としてはタイトルを見て「同じ顔の人形」の変奏かなと思ったけど、これはこれで面白かったです。
逃れられない異性ってそれだけで物語として映えますし、ものごとの回帰もまた幻想的な雰囲気を湛えています。人形、女性が出てくるあたりビジュアル性も強くて、今回のお話は奇談よりも「綺談」っぽいっすね。
今までの感想で、怪談の中の理屈がつかないことに対して突っ込みをいれていた記憶があります。けどこの作品は理屈がつかないからこそ魅力的でした。こういう語り口もあるんですね。
足がつかないブランコに乗っているような浮遊感のまま進んでいって、ラストシーンで夢の泡が弾けて目覚めるような感覚。物語に正対して、力いれて踏ん張れなかったからこそ残る身体感覚。ドーナツの穴みたいにないからこそある感じ。
人形の瑠璃ちゃんがいつのまにか手元から離れていっていたように、娘の瑠璃ちゃんもいつかは手元から離れていってしまうんでしょうね。
自分の大切なものを他人に譲るときオタク的用語で「お嫁にいく」なんて言いますが、瑠璃ちゃんもいつかは文字通りの意味でお嫁にいっちゃうんでしょうね。そのときには人形のようには戻ってこないとよいのですが、いったいどうなることでしょう。
2024/08/31 「肉吸い」
(2024/09/01 03時頃 記)
今週もKカフェに行ってきたぞー!
今回も中野ブロードウェイ怪談会目当て。今週の作品は「肉吸い」。以下、感想などなど。
8/31(野菜の日)に肉吸い。……いったいどういうことなんだ、と思っていたら肉吸いという妖怪がいるんですね。あと、肉吸いって肉うどんのことかと思ってたら、「肉うどんからうどんを抜いたもの」なんですね。勘違いしてました。
今回の話は特に面白かったぞー! 配信もメンバー限定じゃなかったからなのか、普段よりコメント多目で楽しかったですね。極端なこというとメンバーシップ入っているような人は……というと主語が大きいので言い直しますが、私はメンバーが限定で見られるより今回みたいに多くの人に渡辺作品を知ってもらえる方が嬉しいなと感じました。単純にコメントが多い方がアーカイブとして見るときも楽しいですしね。
ニコニコ動画のアニメ配信なんかも、完全にメンバー限定だと米がほぼなくて見てもさみしい(=ニコニコで見る必要がない)。ならば最初1日だけは無料公開して上限までの米をみんなにつけてもらう方が、結果的にファンが喜ぶみたいな戦略に結果的に近いのかも。
今回は話中にちょっとした謎解きがあってそれが気になって聞き入ってしまう構成が楽しかったです。「若返った女」「老いた男」「急激に古びた宿泊設備」。やはり、謎は物語を加速させるのだ……!
部屋の中と外で時間の流れが違うという超自然現象を許容した上で、最初のメフィスト賞のあれがあれかな? と予想しましたが、もっとしっかりとありえそうな回答を出してきたのが流石。ただ、非関係者(オレたち)は現場を確認できれないので裏口とかの存在が謎解きとしてはフェアではないなーという気はした。元々謎解きとしての話じゃないけど。
その難しい謎のあとに、おじいさんがなぜその出来事を知っているのかという誰でも予想が立てられる謎を提示するのも聞いていて気持ちよかったです。「あっちはわからなかったけど、こっちはわかったよ。ドヤッ」という気分にさせてくれる。
清掃の若者が「せや! 肉吸いのせいにしたろ!」って閃いたあたりで「妖怪のせいなのね、そうなのね」ってメロディが頭のなかに流れたのは私だけじゃないはず。今回のテーマは「妖怪ウォッチ」だと思ったのに違ったぜ!
Twitterを見る限り「中野ブロードウェイ怪談」は今回で一区切りみたい(配信にどの発言までが載ってたか確認してないし、どこまでが公にしていい情報なのかわからないのでこんな表現)。面白い夏休みでしたね。
オレ的ランキングとしては、今回の「肉吸い」が1番です。スマートにまとまっていて、聞いていて単純に楽しい。
2番目が「人生卒業写真」。これは文章になったときに映える作品でしょうから、書籍化されるといいなあと改めて思いました。3番目は「静かすぎるトイレ」。怪談会しょっぱなのインパクトは強かったぜ!(って見直すと全部人に起因する怪談ですね。あたし好みがまるわかりだわ)
以下余談。とりあえずの一区切りがつきましたが寺山的あれこれは特になく終わりましたね。オレが勝手に期待しているだけだから、普通に考えればなくて当たり前なんだけど。普通の怪談も面白いけど、ちょっと特別な回もあってほしいというのも本音。でもこのまま何もない=一生期待してウキウキしていられるだからこれはこれで幸せなのかもしれない。
今後の展開がどうなるのか不透明なので、先週ふせったーに書いた内容はここに転記せずに当面は未公開のままで置いておきます。ふせったーの内容の発展系を一個思い付いたのでこれは気が向いたらふせったーに追記しておきます。いわゆる「ぼくがかんがえたさいきょうのなかのぶろーどうぇいかいだんかい」です。みんなのも教えてくれよな。
一区切りってことでツイッターに「感想書いたよ」って書くか悩んだけど、まあ書かなくてもいいでしょ。商業としてやってる訳じゃないので「誰かがいつか見てくれる可能性がある」ということでおなかいっぱいです。
2024/08/24 「壁を這うもの」
(2024/08/25 02時頃 記)
今週もKカフェに行ってきたぞー!
今回も中野ブロードウェイ怪談会目当て。今週の作品は「壁を這うもの」。以下、感想などなど。
不思議な昆虫や爬虫類、あるいは変人が壁を伝って登ってくる話かなと予想していたけど違った。蔦が這ってくる話でした。
壁を蔦が這ってる喫茶店っていいじゃないですか(と言っていたと思う)ってことですが、確かに風情があって素敵。なのだけど植物が壁を這うと根張り部分からの水漏れ原因になるって聞いたことがあるので実際のところどうなんでしょ。
男のロマンである地下室も、どれだけ対策をしても植物の根っ子がコンクリートに侵食してくるから持ち家でやるのはやめとけって聞いた記憶がある。Kカフェであれば水が染み出しても「中野ブロードウェイのおいしい水」として売り出せるからオーケーなのかしら。
そういや、配信始まる前に「僕が話してる間でも撮影は自由にしてもらっていいですからね」って渡辺さんが言ってて、先週書いたこととの相似性にドキッとした。けど誰も録画はしてなかった。撮影というと写真撮影として受け止めるよねって部分も大きい。「動画撮影」あるいは「録画」と言わないと無意識に写真に限定されるんだなと思った。
途中の写真部分で「限定配信なので写真お見せします」ってなった瞬間に店内のみんなでモニター画面を撮影し出したのが面白かった。これが現地でしか味わえない一体感……!
部屋が異界化していたって部分、話を聞きながら、蔦は屋上庭園から伝ってきてるのか、はたまた「壁から謎の液体が」の液体を根張りした部分から吸収しているのかなーと思っていたので意外でした。でもあの写真を見てしまうとそういうこともあるのかなーと納得。
しかしニンゲンを苗床にして育っていて、なおかつその人が「助けて」と喋ったってのは、そりゃないでしょーといった気分。これも文章で読むと違うのかな。人間それぞれが持つリアリティーの違いを感じるぜ。
以下余談。先週の続き。
特別なかたちの物語が語られるなら、それはどのようなものになるかの妄想、あるいは予想です。
まず渡辺浩弐が実話怪談を語っているという点について。SF(シム・フィクション)をメインフィールドに書いてきた渡辺さんが、なぜこの分野に手を出したのかを考えていました。
で自分なりに納得がいったのが「どちらも虚構と現実の間を行き来するジャンルだから」です。従来作品との共通点が実はあったんだねという話。
では、虚構は如何にして現実として確立されるのかを考えると、それを真実だと認める(あるいはそうであってもいいとする)人がいるからです。
更に言うと渡辺さんが書いた嘘かほんとかわからないことが、渡辺さんのもとに「渡辺さん知ってますか。あれって実は○○なんですよ」とめぐりめぐって返ってきた時に実話として完成されます(講談社の二十六階の応接室のドアノブ理論)。
怪談の実話化に「渡辺さん→読者→渡辺さん」という流れがあることを頭に入れてみます。
では実話の怪談化はどのような流れがあるのでしょうか。例に倣えば「読者→渡辺さん→読者」というものになるでしょう。
ということを書こうと思っていたのだけど、次回の予告内容が衝撃的だったので、今日時点でこの先をここに書くのはやめておきます。ふせったーに書いておきます。
来週以降、公開しても問題なさそうだったらこちらのURLにもコピペで持ってきます。
内容としては、誰もが知っている中野ブロードウェイの怪談がまだ語られていないのに、次回の予告があれなのはなぜ、という話です。
パスワード制になってます。「本立て」「宮沢賢治」ときたら次にくる「4桁の数字」を入力してください。書いておいてなんですが誰もわからないパスワードだと思います。
2024/08/17 「中野のピラミッド」
(2024/08/18 02時頃 記)
今週もKカフェに行ってきたぞー! コロナがやばくなってきたら行くのやめようと思ってたら、むしろピークアウトしてきちゃった。
今回も中野ブロードウェイ怪談会目当て。今週の作品は「中野のピラミッド」。以下、感想などなど。
中野のピラミッドといえば中野サンプラザのことかなーと予想はしていました。しかしそこから中野ブロードウェイへの飛躍があるとは。そうですよね。サンプラザじゃ「中野ブロードウェイ怪談」にならないもんね。
宇宙から地球規模で見たときにエジプトのピラミッドとサンプラザが同じかたちに見えるって話。一瞬だけ面白いけど、どう考えてもそんなことはない。……よね?(自信なし)
そもそもが四角錐と横倒しにした三角柱じゃ、同じになりようがない。宇宙から地球を目視したときに同じ形って意味なら大抵の建物は四角く見えるんだからほかにも条件を満たすものがありそうだし。
そこから中野ブロードウェイのなかにピラミッド型の骨組が存在するって話は面白かった。設計段階から何者かが極秘裏に関わって、誰も知らない構造体を内包するなんてのは『晴れときどき女子高生』のスカチューや『中野ブロードウェイ脱出ゲーム』の地下研究所なんかに作品的前例があります。
信じるとまではいかないけど、渡辺ファンであるほど「そういうことがあってもいいかな」と思わされる構成になっているのがニクいですね。
あと、王の部屋を守る渡辺さんは、つまり墓守りなんだなという『死ぬこわ』と微妙にリンクする話題(?)で面白かった。
オチとしてのカミソリの話はなるほどなーと思わされた。自己修復されるってのは本当みたいだし。限定公開されてる配信アーカイブには「トークエッセイ」ってタイトルがつけられてるけど、マジでトークエッセイだった。人生にちょっと役立っちゃう。
以下余談。先日渡辺さんがXでポストしてたやつ。
前々から、現状のKカフェは喫茶店なのか、イベントスペースなのか、サロンやコミューンなのか、分からないなと思っておりました。
私個人としては「イベントスペース≧喫茶店>サロン」として捉えていたので、こういう認識じゃない方とデュエルが始まったらどうしようかなーと思っていました。しかし、今回のポストでにこにこ聞いててもオーケーという結論(?)が出たのでひと安心です。
にこにこ聞いていてもいい=和を乱す状態はさすがにNG、ということでしょうけど、ぼっち参戦がしやすくなりました。
でも18時に解放されたFGOのシナリオを進めようと思ってアプリを立ち上げたものの、別のことにそこまで真剣になっていいほどの雰囲気ではなかったかな。でも、一般論として喫茶店なんだから読書しに来てもいいと思うし、お店や別のお客さんの迷惑にならなければ、周りがとやかくいうことではないのかもしれない。
以下余談2。先週の続き。
アクセス記録を見てみたら、この記事を継続的に見ているのはオレ本人ともう一人だけでした。つまりあなたのことです。じゃああなたが黙っていてくれれば、何書いても問題ないってことですね。ってことで予想したことを書いていきます。
前提として、Kカフェという場をメディアとした場合にしかできない物語は何かという妄想です。
これは「[視差]を仕掛けというか一つのネタにしそうな気がする。なので会場で[撮影]の促しが出たらなんか特別なことが始まる予兆なのでは、という妄想」でした。
「視差」は広い意味で使っていたのですが、大雑把にいうと視点の違いです。
まず一つ目の妄想として挙げられるのが、配信視聴者の視点と会場のお客さんの視点の違い。配信は固定された画角だけでしか見られないのに対して、会場ではカフェ中をぐるりと見渡せる。適切な例ではないでしょうけど「渡辺浩弐を告発する」を会場で見られていたら、配信とは全く別の物語が見えていたはず。
では、配信アーカイブに「配信視聴者の物語」が残るのに対して、「会場視聴者」の物語はどう残せばいいのか。会場視聴者の物語にはハプニングが含まれているので、それを公式サイドがアーカイブしてしまうとそのハプニングも含めて予定調和で終わった物語として記録されてしまう。
これの解決策がお客さんに撮影してもらってそれをYouTubeなりXなりで公開してもらうこと。これで配信視聴者、会場視聴者のどちらの物語も記録されるのではという妄想でした。配信開始前に「わざわざこんな隠れ家まで来てもらったんですから、みなさん僕の姿を撮影してもらってもいいですからね」って渡辺さんが言えば一人くらいは録画を始めるでしょ。
妄想二つ目。これはもっと単純で、配信が終わったあとに「という今の怪談なんですが、会場のみなさんだけには聞いてほしい続きがあって」というパターン。ゲームのエンディングが始まったと思ったらまだ続きがあったのパターンです。会場と配信で同じ話なのに別の結末を迎える物語。
先週思い付いたもう一個はまた来週。
2024/08/10 「人生卒業写真」
(2024/08/11 01時頃 記)
今週もKカフェに行ってきたぞー!
今回も中野ブロードウェイ怪談会目当て。今週の作品は「人生卒業写真」。以下、感想などなど。
今回も面白かった。やはりニンゲンの怪談はよいものです。
タイトルだけmondで先に発表されたときに、卒業写真といえばあのKカフェにあった謎の卒業写真のことだ! と思っていたら本当にあの写真が出てきてビックリ。オレも冬くらいに行ったときに「あれってなんなんですか」と聞いてしまっていたぜ。
思い出の売買ってことで『2030年』のNFT的な話が始まるのかと思っていましたが、直球で怪談でしたね。
「静かすぎるトイレ」のときの感想で「視聴者は原稿を幻視している」と書きましたが、今回はまさにそれというオチ。ハードボイルド過ぎてiKILLの番外編かと思ったよ。本としての『中野ブロードウェイ怪談』の新作が出るなら、今回の話は人気を集めそう。
文章としては美しいけど、語りとしては完成され過ぎてるきらいまでありましたね。いい意味で(いい意味でといえば、なんでもいい意味になると思っている人)。
朗読としてのライブだったら今回のでも最高ですけど、語りとしてのライブだと、ほんの少しの雑味が入っていた方が映えるのかもなんて思いました。いい意味で。
犯人のことを想像してみます。殺してやりたいほど憎んでいたわりに、誰々が死んだってことはしっかり自分のもとにその情報がくる。これって結構ホラーなことだと思います。学生時代の同級生の連絡先なんか、卒業しちゃったらわからなくないですか。あたし中高あたりの友達の連絡先さっぱりわからないよ。
世代的に(日付をみるにギリギリ平成に入ったあたり)年賀状なんかが機能していた世代なのかもしれませんが、としてもそういう表面上のやりとりは荒立てず「普通に」行っていたということでしょう?
ってなると、学生時代から「こいつら死ね」と思っていても、結婚式に呼ばれれば駆けつけてご祝儀を渡し、誰かが死ねば香典を包み「この度は……」なんて言っていたわけですよ。よく言われる人間が怖いってのはこういうことなんですかね。あなたの職場・学校で隣に座っているあの人も、笑顔で話しかけてくれるけど、あなたに死んでほしいと思っているかもしれない。
以下余談。「中野ブロードウェイ怪談会」について。
以前、こんなことをポストしたんですけど、もう一個思い付いた。ぐるりと回って最近のあれこれを回収できるのではという仕掛けなので、当たるか外れるかはさておき予想を書いておきたい。
のだけど、書くことによってバタフライエフェクトでいろいろ変なことになっちゃうとそれはそれで意味がない。将棋の封じ手みたいに「いつの時点でこれを書きました。これは書き換えられていません」を簡単に証明できる方法があれば書いておきたいのだけどなんかいいサービスないかな。極端な話でいえば自分のサーバーにテキストファイル置いといて、そのタイムスタンプで証明してもいいんだけど。そこまでする必要あるかしら、いやないでしょ。
2024/08/03 「カメを見るな!」
(2024/08/04 02時頃 記)
今週もKカフェに行ってきたぞー!
今回も中野ブロードウェイ怪談会目当て。今週の作品は「カメを見るな!」。以下、感想などなど。
今回の怪談を現地で見た最大のメリットは音割れがないことでしょう。「静かすぎるトイレ」のときもですが、マイクの前で大きな声を出すと配信ではどうしても音割れしちゃってますね。店内に声が響く感じも、配信と現地ではだいぶ聞いた印象が違ってきました。
配信といえば、途中でカメラの画角が動いたことにちょっとビックリしました。現地で見てると誰もカメラに触れていないのに画角が動いてる! こわ。怪談会でマジ怪談起きた。と思ってましたが渡辺さんがパソコン上からソフトウェア的に画角(キャプチャーのウインドウ)を動かしてた……んですよね?
物語の内容としては、以前の中野ブロードウェイ怪談でも感じたようなリアリティーラインが気になりました。いくらカメの脳が発達しようが、発声器官がないのだから声は出せないのでは……。これも文章として読むとそういう物語なんだなーと感じられるものなのでしょうか。
「強い恨みを感じたカメが何をするのか」のくだりも、最後までの流れを把握した2回目で聞いてみると、進化させてくれた相手に復讐にいくものなのかとちょっと疑問に感じたり。甲羅を剥がされるのは痛かっただろうから復讐したのかな。カメが池田くんを殺して取り込んだって解釈自体が間違ってます?
池田くんの台詞「見んなよ」からは『晴れときどき女子高生』の「見るなよ」を思い出されましたが、特に関係はなさそう。あれもナルミに話しかけた生首ってなんだったの。
ここから「実話怪談」についての自分の解釈。私がこの言葉を知ったのは書籍としての『中野ブロードウェイ怪談』が発売されたあとのことでした。発祥自体はもともとは文字通りの意味で「実際にあった怖い話」だったんでしょうけど、今はモキュメンタリーとかの「実際にあったことっぽく見せた作り話」として使われているという認識です。
ただ、この部分が少し入り組んでいて
作者は実話としている
→読者は実話ではないとわかっている
→→作者は「読者は実話ではないとわかっている」ことをわかっている
→→→読者は『作者は「読者は実話ではないとわかっている」ことをわかっている』ことをわかっている
というウロボロスの輪のような構造になっているのが特徴なのだと思っています。ある種の共犯関係が成立していて、読者側にも楽しむ気持ちが必要。
なのだけど、今のオレにはまだ超常現象を実話として受け止めるほどには頭を空っぽにはできないみたいだ。と思った土曜の夜でした。「静かすぎるトイレ」は実話として受け止められるんだけど、「あべこべの怪談」と「カメを見るな!」はむつかしい。人が関わっていれば奇想天外なことが起こっても、世の中いろんな人がいるからね、になるんですけど。超常現象が出てくるとそのことについての種明かしがほしくなっちゃうみたい。
2024/07/27 「あべこべの階段」
(2024/07/29 12時頃 記)
今週もKカフェに行ってきたぞー!
今回も中野ブロードウェイ怪談会目当て。今週の作品は「あべこべの階段」。以下、感想などなど。
帰ってきたらすぐ書こうと思ってたけど、眠くて寝ちゃってタイミングを失ってしまった。帰りながら改めてアーカイブは見たのだけど、これを書くにあたっての見直しはしておりません。勘違いしてたりするところもあるだろうけどごめんね!
父親を見かけた青年と、カノジョを見かけた青年の二部構成。中野ブロードウェイで死んだはずの人を見かけるその理由とは。
何となく思い出した先行作品としては、最後の一行シリーズの「対話」と、プラトニックチェーンシリーズの「クリスマスの呪い」でしょうか。
不可思議なことは残りつつも心温かに終わる一部と、内実を知っているとちょっと笑える話の二部。
一部と二部を続けて聞くと「もしかしてナナちゃんは、青年の未来の姿!?」と思わされるミスリードもありました(よね?)。
そして「今回は階段の怪談でした(笑)」で話を締めると思ってたのにそんなことはなかったぜ!
中野ブロードウェイでは時空がねじまがるので過去や未来を見てしまうこともあるとのことですが、私はここに別の説を提唱したいと思います!
今回の作品のタイトルは「あべこべの階段」でした。この「あべこべ」ってどういう意味だか皆さんご存じですか。諸説あるようですが漢字では「彼辺此辺」と書くそうです。見たまま推測がつくように「あちらがわ と こちらがわ」を表しており、そこから今使われているような対比的用法になったそうです。
「彼辺此辺」と書くと、似たような言葉が思いだされますよね。「彼岸・此岸」です。三途の川のあちら岸とこちら岸を指すものです。
この二つはとても似ていますよね。「岸」は水と陸が接するところのことです。「辺」も水辺、海辺、川辺などと使われるようにやはり水と陸が接するところに親和性の高い言葉です。
少し話がそれますが「渡辺」も、由来には船の渡しが関係しているとのことなので(諸説あり)やっぱり水っぽい。
ここまできたら「彼辺此辺」も「彼岸此岸」も同じ意味を内包しているのではないでしょうか(鮮やかな論理の飛躍)。
もともとは「あべこべの階段」という名称は「互い違い」とか「チグハグ」といった意味から自然発生して中野ブロードウェイ住民や利用者に使われていたのでしょう。
しかしながら、呼ばれはじめてから1年が経ち、2年が経ち、そして数十年が経ったころ、この名称が広がりすぎたことによって言霊の力により「あべこべの階段」は言葉本来の意味を持つ「彼辺此辺の階段」へと異界化してしまったのです!
すぐ目の前にはたどり着けないもう一つの階段があり、そこには死んでしまったはずの人が見える。二つの階段を隔てる境=三途の川=柵を越えるのは非常に危ない!
という「彼辺此辺の階段」説の提唱でした。
なお、実際には誰も死んだ人のことは見ていなかった模様。未来の自分と、死んでなかったコンカフェお姉さんだった。
というオカルトな説に、なぜ私がたどり着いたのかというと、帰りに中野駅で「中野駅前大盆踊り大会」の広告を見たからです。
そして開催は8/3(土)、8/4(日)。来週の中野ブロードウェイ怪談会と同じ日じゃん。ってことはその回は盆踊りに死んだ人が混じってる的な鉄板ネタをやるに違いないっしょ。ほとんどのカフェお客さんが中野駅を通ってくるはずだから、「皆さんも見たと思うんですけど、駅前でやってるあの盆踊り。実は……」という配信では味わえない、実際の来場者だけが味わえるプレミアム感にも繋がるし。
そもそも盆踊りってなんだっけ。お盆の時期は彼岸から霊がやって来るのかー。ところであべこべってどういう意味。彼辺此辺って書くのかー。彼岸と彼辺って似てるなー→今に至る。という経緯でした。
って書くつもりだったけど怠けてたら、次回の作品名も発表されちゃってた。「カメを見るな!」だそうです。ちょっと盆踊りとは関係なさそうね。「カメラを止めるな!」がタイトルの元ネタでしょうけど、一体どんな話なのでしょうか。
以下、余談。記事の作り方としては変則的なのですが、今後の中野ブロードウェイ怪談会の感想も、この記事に追記していくかたちで書いていこうと思っています。Twitterで感想を書いたよ、という告知も3回目以降は多分しません。
うまく伝えるのが難しいのですが、カフェ自体のキャパシティもそんなに大きくないので、私が怪談会について書いていること自体がカフェ現地で見たい人の邪魔になりかねないのかなーとかその辺りの話です。
そもそも全通を狙ってるわけではないし、各種感染症がやばくなってきたら開催されてても行くのやめようと思ってるのでちょっと考えすぎかもですけど。
行ってみたいと思ってる人への手助けになればという点では、第一回も第二回も空き席はまだありました。怪談が終わったあと閉店までいないで早々に帰っちゃう人もいました(オレのこと)。
もともと「要ワンオーダー/1時間」という仕組みをとってるお店なので、怪談終わりのちょうど1時間くらいで帰っちゃっても全く問題はないはず。開店時の配信とか見てると会計してる気配が確認できないし、閉店までいるのが普通みたいに見えることもあるけど、もっとカジュアルに行ってカジュアルに帰ってもいいと思う。
書いていいのか分からないこと書いちゃうけど、今回のお会計のときに「これからどんどん面白くなっていきますので(また来てねor配信でも楽しんでね)」と言われました。なのでみなさんも行けるときはガンガン行っちゃっていいと思う。
2024/07/20 「静かすぎるトイレ」
(2024/07/21 01時頃 記)
中野ブロードウェイで渡辺浩弐さんがやっているKカフェに行ってきました。
前回行ったのがおそらく3月だから4ヶ月ぶり? のKカフェでした。目当ては今回から始まる「中野ブロードウェイ怪談会」。この怪談会も当面は続けるようなことを前の配信でもお話しされていましたが、いつまでやるのか、曜日は固定なのかがわからなかったので行けるタイミングで行っとこと思っていざ中野へ。
で、結論からいうと結構面白かったです! さすがに「今年一番の名作!」とかそこまで言うつもりはないですけど、これが毎週聞けるなら今後数ヶ月は楽しい週末になるね、というレベル。
渡辺さんのmondのメンバーシップに入っているとメンバー限定でのリアルタイム配信+アーカイブがあるのでこちらもおすすめ。
以下、今回発表された「静かすぎるトイレ」の感想。Kカフェでレモンサワー(濃い目でおいしい)を飲んで家について酔っぱらったそのまま書いちゃうぜ!
そもそもの「中野ブロードウェイ怪談」は配信での語り下ろしを経て、昨年に単行本化もされました。今回からの怪談シリーズは「新中野ブロードウェイ怪談」(シン・中野ブロードウェイ怪談?)となるようです。そう発言されてました、たしか。
では旧シリーズと新シリーズでは何が違うのかを考えてみましょう。旧シリーズがいきなり始まった得体も知れない謎の企画だったことにたいして、新シリーズは始まる前から「新シリーズも単行本になるといいなーと視聴者が思っている」ことに尽きると思います。
こう言い換えることもできるかもしれません。新シリーズでは視聴者は、渡辺さんの語りの奥に小説の文面を幻視している、と。
今回の「静かすぎるトイレ」について言えば、前シリーズを知っている人は物語の序盤で「とんとんすととんすっとんとん」が登場した時点で「赤トイレ」を思い出して、またこれしょうもねーやつだわ! マジメに背筋伸ばして聞く必要はないやつだ! となるわけです。
しかしながら最終的なオチというか注釈で、実は語り手(渡辺さん=私=小説を幻視しているオレ自身)こそがある種の加害者側だったと明らかになったときの世界の反転は、ミステリーで謎が解き明かされたときの認識の逆転に極めて近しい衝撃をオレに与えます。
そしてその衝撃のあとに「多様性」という冗談なのか本気なのかわからないワードで、緊張状態の視聴者を再び弛緩させて作品を終える。
その感情の揺さぶり方が小説的であると同時に、話芸としてのスキルも感じさせて、「さすがコージ。小説家やね」という気持ちと「還暦を越えての更なる新境地やね」という感心感服を与えてくれました。
……と満足しながら家に着いたんですが、家でアーカイブを見てみたらやっぱりしょうもない話には違いなかった。面白くなかったという意味ではない。なんでだろ。私が酔っぱらっちゃったからかもしれないし、この差こそが現地の空気感で聞くこととアーカイブで見ることの差なのかもしれません。やっぱりみんな行けるなら現地で聞くのが楽しいと思うよ。夏休みはKカフェでコージのコーヒーを飲もう。レモンサワーも濃い目でおいしいよ。