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侍魂
世の中諸行無常。
7 MEN 侍と痺愛が怒涛の2024年を我武者羅に走り抜けた先は奇しくも終点であった。
私たちが駆けるスピードに道路整備のスピードが追いつかなかったのか。
立ち止まることを強要されてしまったかのような、後味の悪い最期である。
エンターテイメントの世界ではよくあることなのかもしれない。
が、私たちの7年の軌跡はよくあるから仕方がないで片付けられるほどのものだったのだろうか。
経営の知識やエンターテイメントの世界で生き抜くための術など何も知らない、一痺愛である私の嘆きでしかないが。
7年。
小学1年生が中学生になるくらいの月日である。
何の偏見も持たず横並びでスタートした少年少女は、7年経てば捻くれ者になってしまうかもしれないし、正義感の強い子に育つかもしれない。
昨今よく聞く、スクールカーストが出来上がっているだろう。
これだけ心理の変化が起こる年月を私たち痺愛と7 MEN 侍の6人は共に過ごしてきたのである。
7年の重みが、届いて欲しい人たちに正しく伝わっているだろうか。
私たちはそう簡単になかったことにできるはずもなく、未練タラタラな状態である。
煮え切らない態度をとられながらも何の説明もなく急になくなってしまうのだから、事の元凶である____はメンヘラ製造機の頂点に君臨できるほどの手練れなのではないか。
思えば、いろいろな予兆はあったのだろうと思う。
が、そんな予兆を感じ取らせないように、最後まで私たちを欺こうとしてくれていた彼らの優しさかもしれないそれを憶測であれこれと決めつける行為は彼らに失礼だと私は思う。
ここでは敢えて詳細を述べず、綺麗な記憶として残しておくことが正解な気がしてならない。
この先彼らは、痺愛は、私はどうなるんだろうか。
あの発表の後一睡もできずにいた私が考えたことを吐き出して行こうと思う。
元は別のグループのファンだった人たちと同じグループを応援する形になった時、きっと応援対象であるタレントの彼らへの印象は醜いアヒルの子のようになってしまうだろう。(決して醜いと思っているわけではないが)
アヒルはアヒル、白鳥は白鳥で集っていれば美しくバランスのいい群れでいられるだろうと思う。
優劣はないのに、元々所属していたコミュニティが異なっているせいで相手を憎んでしまうかもしれない、私の好きな人たちが歓迎されないかもしれない現状が残念でならない。
また、私たちの嘆きがこの一連の出来事をエモい感じの方向で収束させることに拍車をかけているだけの現状も大変残念だと思う。
1番やるせないのは、ファンとタレントがお互いに謝り合うことしかできないことだと感じている。
謝罪と感謝は事をエモくするための手段ではなく、長期間本音を伝え合えなかったであろう彼らに許された最後の時間なのではないか。
新体制に突入する前に残された僅かな余白を、外部の思惑によって汚されることがあっていいのだろうか。
と、私は思う。
痺愛であり矢花担である私は、この先あの6人で奏でる音楽を聴くことができないかもしれないこと、裏拍ハラスメントを受けられないかもしれないことを受け入れられずにいる。
矢花担の以前に、7 MEN 侍が好きだから故の寂しさがある。
新体制、痺愛だった人たちだけが裏拍ハラスメントの余韻が抜けず、なかなか息が合っていないかもしれないペンライトを見てステージ上の彼らは何を思うのだろうか。
寂しさ、懐かしさ、もしかしたら気まずいと感じさせてしまうかもしれない。
全て〜かも、と可能性の話であるが、想像するだけで寂しくなるほどには痺愛と7 MEN 侍の絆は深く強固なものだったのだと思う。
そんな彼らとの物語も終止符を打たれ、幕を下ろさなくてはならない。
最期くらい、自分たちの意思で気持ちよく幕を下ろさせて欲しいものである。