初めての日記
初めてここで文章を書いてみます。
いろいろと間違えることはあると思いますが、自分の判断でなるべくそのようなことはないようにしていきます。
まだ皆さんの文章もそんなに深く読めていません。レイアウトやフォントもよくわかりませんが思いついたものをここに書き留めたい。
思えば私は、今日は一緒に文化祭の準備をしたとか今日は友達と飲んで遊んで帰ってきたとか。そういう社会に溶け込めた最低限の人間が経験出来るものはありませんでした。今もありません。毎日人前で食事をするにも緊張して、食べ物を口に運ぼうとする度にこの口の開き方は、開き具合はおかしくないかと気にする方です。気にしすぎて1人で食事を取るようになりました。
高校生の時、クラスに馴染めない時やいつも一緒の友達が休んでしまったり委員会で教室にいられない時1人で食事をとりました。「今日、学校楽しかった?」と聞いてくる母親が作った、どんなに忙しい日でもあり合わせのおかずを詰めた弁当を1人階段で広げて食べていると、何となく惨めさが押し寄せてきて涙が堪えられなかったときがあります。自分以外の人間は班決めやグループ決めですぐに班員を確保することが出来ます。教室を移動するときは、置いていかれる心配もなく一緒に行動が出来るし、放課後や休日は頻繁に連絡を取り合ったり遊ぶことが出来ます。でも私にはそれがありませんでした。一緒に食事を取る友人がいたり、班行動は一緒の友人はいても大体休日の遊びは自分が抜かれていました。そして帰ってくると1人でいる私を心配する母親の姿を見たくなくて、1人でいる自分を認められない変なプライドを持つ私がいて、聞かれれば何となく嘘をついて楽しかったことを話しました。それほど私は、1人は恥ずかしくてかわいそうなこと、と思ってきました。
大学生になってから妙に孤独に対して恥ずかしさを持たなくなったのです。たしかに孤独は、グループ学習やそういう集団での学習で不便です。自分の意見を言うだけで緊張します。しかしこれまでの学生生活で1人でいる、1人で勉強をするということに自然と慣れてしまった私は、誰かに歩み寄り誰かと共に何かを学び遊ぶ能力は低下したものの本当に自分の学びたいこと、好きなことを取り入れることが出来ると考えたからです。
そんな風に偉そうに無理に勝ち誇り考えていましたが
1人で食事をとっていると、「大丈夫?寒くない?」と声をかけてくださる先生がいます。
この季節に、「寒くない?」とは一体どういうことなのか。
それとも、寒くない?というのは1人で寂しそうで何となく寒そうだなってことなのだろうか。孤独を心配して声をかけられているのだろうか。孤独じゃないということは温かいということなのだろうか。
その言葉を聞いてから、また孤独でいるのは損なのか得なのかと考えるループに入ってしまいました。
これほど友情や孤独というものを難しく考えていると、映画や小説の中での友情も素直に楽しめなくなってきそうです。私にとって映画や小説などフィクションの世界は宝です。そうなってしまっては、楽しみも減りそうなので早く友達が欲しい。
とにかく、大学に馴染めるようになりたい。