オンライン講座The King Maker所感 本編Vol.8
本編Vol.8
一凡夫が、帝王になる神話
○「人生の目的」が見つからなければ、本当の意味でその人の人生は始まらない。
●「目的」が定まる事で、やらなくても良いことに無駄にエネルギーを割く必要が無くなり充実した人生を送ることができる。
「目標」と「目的」は全く違うものだ。
☆「目標」は目的を達成するための過程であり、一達成水準でしかない。
★「目的」は目標を経て最終的に辿り着く所を指し示したものである。
目的を見失って目標に振り回されてばかりいると、人生の最終目的に辿り着くのに何倍もの時間がかかってしまう。
そうならないためにもまずゴールを見つけなくちゃいけない。
でもそのゴールは人によって全く違う。
誰にも迷惑をかけずただ一人で生を全うする人もいれば、ひたすら周りに迷惑をかけまくるけど一国を築く帝王にまで上り詰める人もいる。
しかも、その人にとってのゴールがどんなものなのか誰にも分からない。
その人生というシナリオを歩んでいる当の本人である自分ですら理解していない。
その答えは誰からも与えられる事はなく、自分で模索して研究して長い年月をかけてやっと辿り着くことが出来るものなのだ。
答えに辿り着くために必要なのが
・徳を積む
・肚を作る
・メンタルを整える
以上の3つだ。
これらを日々寡黙に、淡々と積み上げていくことによって、自分のゴールを教えてくれる出会いや考えに巡り合うことが出来る。
帝王学は、そのゴールを見つけるための最短ルートを教える考え方だ。
だから、帝王学の教えに沿って愚直に清明直に日々生きているといつの間にかゴールの方からやって来てくれるんだ。
勿論こんな事言われても簡単には信じられないし、続けるなんてもっての外であろう。
だが、この考えを信じ続けられるある意味
「ちょっと頭のネジが外れている人」や
「愚直に行動できちゃうちょっとおバカな人」
が真の意味での成功を手にすることが出来る。
人によっては10年もその積み上げ期間があったりするので、相当な覚悟が無いと出来ない。
でも、覚悟を決められた瞬間その人の人生は輝き出す。
実際に行動を続けられれば、周りとは隔絶した成果を得ることが出来る。
そんなハードモードに身を投げられるヤツは、ある意味変態だしおバカだと言って差し支えないだろう。
常人にはそんな事出来やしないんだから。
そして、日々努力をしていく中で大事なのが「報告」をする事だ。
結果の良し悪しは関係なく、「全て」を包み隠さず伝えてブラッシュアップを貰うことが最重要事項だ。
自分の考えだけでは間違いや改善点に気づく事はない。
第三者視点で観察することによって、自分では見えてこなかった得られなかった視点や改善点が浮き彫りになる。
ポイントは「全て」だ。
良い結果の時は報告する事に躊躇いはないはずだ。
でも悪い結果を報告するのは自分のことを曝け出す勇気がいるし、何を言われるんだろうと不安も出てくるだろう。
ブラッシュアップを貰う際には悪い結果を報告する方が格段に得られるモノが多い。
何故なら、自分には無い知識や経験によってジャッジされる事で、自分の考えられる領域を遥かに超えたアドバイスを受けることが出来るからだ。
得られる価値が大きいことの対価として、不快感やネガティブな気持ちになる。
でもその感情を乗り越えられる人こそ、のうのうと生きている他の人には絶対得られない様な成長を得ることが出来る。
行動の結果のみに着目してしまうと、結果が出るまでの過程や結果以外の側面から得られるものが全く無くなってしまう。
だから何も考えず素直に、愚直に報告をし、何の感情も抱かないままでその状態を観察する事が大事だ。
それらのデータを積み重ねる事で、新たな発想が生まれたりそれまでの自分ではあり得なかった様な答えを導き出す事ができる。
♪追記パート
11/26(木)追記
「大国主」とは「ひとつの国の主」という意味で、国の主となるには様々な修行を乗り越えなければならない。
厳しい修行を乗り越えた際には新たな名前が与えられる。
修行の数は5つあり、それぞれの修行を乗り越えるたびに別の名前を与えられ最終的に異名の数が5つとなり、様々な呼び方をされる様になった。
物語の途中で何度も名前が変わるのでかなり頭がこんがらがると思う。
まあそういうもんだと思って読んでもらえれば幸い。
第一の修行「大穴牟遅(おおあなむぢ)の修行」
この物語が始まる時点で大国主は、大穴牟遅(おおあなむぢ)と呼ばれていた。
大穴牟遅には、八十神(やそがみ)と呼ばれている多くの兄弟がいた。
彼らに荷物を無理やり持たせられ、全員分の荷物を運ぶといういじめを受けていた。
でも大穴牟遅はめげずに、文句も言わずに荷物運びを続けた。
その道中、身体の皮を剥がれ身体の表面は赤く腫れ上がり、とても痛々しそうな姿をしている一羽のウサギがいた。
そのウサギは先を行っていた八十神達に、「塩水に浸かり風に当たれば治るよ」という嘘を教えられその様な姿になってしまった。
心優しい大穴牟遅は「真水で身体を洗い、河口に生えた蒲の花粉の上で寝なさい」
と正しい対処法を教えました。
みるみるうちに傷が癒えていったウサギは大変感謝し、「ヤガミヒメは、あなたが娶るでしょう」と予言を残しました。
ヤガミヒメは今で言うクラスのマドンナ的な存在で、八十神達から何度もアプローチを受けていた。
ヤガミヒメはそれらを全て断り、大穴牟遅を婿として選びました。
大穴牟遅がウサギを助けた事や、優しい性根をきちんと理解したヤガミヒメが彼を選んだのです。
つまり、誰かのためになる様なことを人知れずしていたら巡りめぐって良い結果となって帰って来るよ。と言う教えでした。
11/27(金)追記
○目標とは"通過点"であり"到達点"ではない
よく言われる「物欲センサー」は存在する。
※科学的根拠は無く、あくまで個人の感想です
○○が欲しい!○○になりたい!と願っているうちはそれを手に入れる事は出来ない。
欲しいと願っているうちは、まだその目標を「辿り着くもの」、ゴールだと捉えている。
目標とは通り過ぎるものであって、ゴールでは無い。
だから目標を「到達点」と捉え、見上げているうちは決して叶わない。
あくまで「通過点」でしか無いから見上げているのではなく、『日常を当たり前に過ごしていたらいつの間にか通り過ぎていた』時に初めて達成することが出来る。
目標を簡単に例えると、
到達点→山の上のフラッグ🚩
通過点→散歩道の交差点
到達点だと捉えているうちはその事にしか目がいかず、それ以外のことが疎かになる。
通過点だと捉えられれば、日常の何気ない動作で勝手に通り過ぎている。何も意識しないから疲れないし自然体でいられる。
つまり願えば願うほど「ゴール」から遠ざかり、『別に欲しいものとか無いわ〜というか何も感情を抱かね〜』と感情を全く揺さぶられなくなった時に「勝手に」手に入っているのである。