反自粛派としての論点

前文

現在の日本において、反自粛派は明らかに少数派である。SNSでは、反自粛派は往々にして蔑まれる。曰く「我慢できないバカ」、曰く「現実が見えていない」、曰く「ほかの全うな人たちに迷惑をかけている」
本noteは、そういったいわゆる「自粛派」に対して、反論を行うための記事である。
注意点として、筆者は反ワクチンでも反コロナでも陰謀論者でもない。コロナは恐ろしい病気である。医療従事者の献身的な努力には頭が下がる。そのうえで以下本文を読み進めてほしい。

出生率、結婚率の低下

これが一番反論としては強いと感じる。
2021年の出生率は1.34。出生数は84万人である。どちらも戦後最小。
当然ながら子供が生まれなければ国は滅びる。

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出展:NHK

出生率を語る前提として覚えておかないとならないのは、
「結婚したカップルは2人弱の子供を産む」ということである。

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出展:第14回出生動向基本調査 国立社会保障・人口問題研究所

つまり、結婚したカップルは2人を超えるとは言わないが、それに近しい数の子供を産む。すなわち婚数は出生数に大きく寄与するということである。
しかしながら、厚生労働省の令和2年人口動態統計月報年計によると、2020年年の婚姻件数は52万5490組で、前年の 59万9007組より7万3517組(約12.3%)の大幅減少。なんだ12.3%って。ブラックマンデーか。

当然結婚数が減れば出生数も減る。少子高齢化が加速する。ここで、日本の夫婦が何を契機として結婚に至ったかのデータを提示する。

結婚

出展:アニヴェルセル総研 「出会い」の聖地が判明!? パートナーとはどこで出会った? 既婚男女600人を大調査!

当然といえば当然だが、インターネットを介した結婚は全体の10%に満たない(記事中ではSNSによる結婚は除外されているため、実際には多少上振れするものと思われる)
現状コロナ禍において、”自粛”されている、ナンパ、合コン、旅行先、イベントは合計15.3%である。2020年の結婚率がマイナス12.3%であったことを考えると、一定の関係はありそうに感じる。

しかしながら、実際にはこの結婚減少率は2020年という短期であったためにこれだけで済んだともいえる。コロナ禍による自粛が今後も進めば、知人からの紹介やサークルの仲間、学校の同級生といった生活の中で出会うこととなる将来の伴侶と親交を深めることはできなくなっていくだろう。そりゃそうだ。4人しか集まれないのに、どうやって集団合コンをするのだ。イベントで女の子を誘って酒も入れず、ボーリングやカラオケなどで盛り上がれず連絡先をゲットして次のデートにつなげられる奴は相当な猛者だ。真面目な子は、飲み会の参加を躊躇するだろう。教師なんてコロナに罹患したら学校全体濃厚接触である。職場の迷惑を考えれば参加できないのも当然だ。

まず、これに対して自粛派は目をつぶっている。出会いがなければ結婚もない。結婚がなければ出産もないのだ。(少なくとも日本においては)
7万3千組のカップルが減ったということは、約14万人の子供が減ったことと同義である。2021年はそれ以上の婚姻数の減少が予想される。現状のままで、国家が持つわけがない。

医療は楽になるか

これは、今回のコロナ禍でなく、今後10年20年単位のスパンで考えた話。自粛派の主要な主張の一つが「感染者が病床を圧迫することにより、ほかの疾病を持つ患者が入院や治療を受けられなくなる。だから、コロナウイルスの蔓延中は、自粛をすべき」というものである。
この論は、つまり「病床のひっ迫を引き起こす場合には、病床を増やすような行動をしてはならない」ということである。医療従事者からすれば当たり前の話だと思う、私も医療従事者ならば同じことを思うに違いない。
しかしながら、これには問題が一つある。将来的に病床ひっ迫は起きやすくなるということだ。

「病床ひっ迫を防ぐためにコロナにおいては感染を広めるような行動を我慢しよう」という考えは、将来のさらなる少子高齢化においては「日常的に病床はひっ迫しているから、感染症を防ぐために永年ニュー・ノーマルな考え方を受け入れてください」と同義になるということである。当然だ。医療従事者は少子化で減り、介護医療を必要とする高齢者は増え、病床は減るのだから。以下参考記事4つ。

医療・介護などで問題が噴出する「2025年問題」に迫る|介護のコラム
病床数を最大20万削減 25年政府目標、30万人を自宅に
高齢人口急増「2040年大量孤独死社会」の恐怖
1人で4人介護可能に 政府、生産性向上へ規制緩和検討

2025年問題なのか2040年問題なのか、まぁどちらにしろ問題ばかりということである。多分私たちが生きている間はずっと問題ばかりだ。まぁ問題のなかった時代はないので良しとしよう。取り合えず介護、医療は今後ひっ迫こそすれ、楽になるということはあり得ない。

仕組みの変化や業務の効率化でなんとかできるだろうか。しかしながら現在のコロナ禍でもそういった動きは起こっていない。未曽有の危機に改革ができないのに、なぜ今後はできると思うのか。(何度も言うが私は日頃より医療従事者には頭が下がる思いである。私の100倍優秀な彼らができないのなら誰もできないのだろう。そりゃそうだ。ちょっと考えるだけでも大きな既得権益へのメスと生命の価値観を含めた大転換が必要であろうことはわかる)

以上を踏まえれば、「病床ひっ迫」による自粛は、今後永年の自粛と同義であることが自明となるはずである。多くの人間が、いつかのあの日を夢想して日々を耐えている。決して今後100年自粛するために今を生きているわけではないはずである。

ワクチンは感染防止の切り札となるか

こちらに関しては私は医療の知識があるわけではないのでほどほどに。
とりあえず以下の記事を参照。

ワクチン接種しても、半年経てば予防効果は10%!? オミクロン株の基礎知識
「頻繁なブースター接種はむしろ免疫力低下の可能性…インフルエンザのように打たなければ」
新型コロナウイルスの“変異ウイルス”は何が問題となりえるのか?【2章】

これらをざっくりとまとめると
・ワクチンの重症化予防効果は割と長く続くけど、感染予防効果は結構早く下がるよ。(2回目の場合は半年ほどで10%まで下がるよ)
・ワクチンをガンガン(4か月に1度くらい)射つと、免疫にマイナスの効果があるんじゃないかと指摘されたよ。ある程度期間を設けないといけないね。
・ウイルスは変異を繰り返すよ。該当記事2021.4の段階では1か月に2回弱は新型コロナウイルスの変異が起こっているよ。

つまり、ワクチンはある程度の期間を開けてしか接種ができず、その間にある程度感染予防効果は落ちるが、コロナウイルスはそれをはるかに上回るスピードで変異を繰り返す。しかし、仮に感染したとしても重症化予防効果は(ワクチンをすり抜けるような株が出てこない限りは)残る。ということが言える。実際ワクチン7割接種すればコロナは収まるよね。と言ってたツイッターのアカウントは多かったと感じる(医療従事者にもいた)。変異株が出たせいであるが、いつまでたっても収まらないなら外に出て獲物を捕りに行かなきゃならんのである。台風の時に家にこもるのは台風が数日で過ぎ去るからだ。10年続く台風なら、家にこもっていても死ぬばかりである。

多くの国はウィズコロナで経済を回そうとしているが、そうなれば当然人の行き来は増えるし、となれば新たな変異株が発生する可能性も上がる。ワクチン接種と感染株の拡大の時期などが合致したり、そのほかの条件で一時期のように日本で感染者数が凪のような状態になることはもちろん今後も考えられるが、海外ですくすくと新規株が発生するような状況で、長期間にわたりコロナ感染者が抑えられるなどは夢想というほかないと考えるが。
というか元々mRNAワクチンがノーベル賞取れるような発明である。コロナが出はじめの時にこんなものができるなんて想像していた日本人は10人いなかったのではないか。ほとんどの人間はインフルエンザワクチンのような不活化ワクチンを想像していたことだろう。当然感染防止には多少の効果しかなく、重症化予防に寄与すればいいよね程度の認識だったはずだ。正直今以上を求めるのは欲張りじゃないかと思うのだが、皆さんはいかが考えるだろうか。

世間の暴走と差別

結婚出産と双璧を成すのではないかという主張。正直一番訴えたい。
コロナは恐ろしい病である。それは間違いない。”コロナは風邪である”という多くの反自粛派とは、私は全く意見を異にするものである。
しかしながら、感染対策へのスピリチュアルな対策と国民に根付いた中途半端な科学的思考とデータ、「正しき人間は救われ、間違った人間が厄をもたらす」という素朴な宗教的価値観がまじりあった結果、明らかに日本全体は暴走している。

恐れるべきはウイルスで人ではない。社会をむしばむ「コロナ差別」をなくすためには

他にも、感染者の自宅に石が投げ入れられる、特定の国の人々に対してタクシーが乗車拒否する、宅配業者の配達員が「コロナを運ぶな」と除菌スプレーをかけられるなど、新型コロナウイルスによる差別やいじめの事例は数多い。そのような差別やいじめが生まれる背景には、「新型コロナウイルスに対する正しい知識を持たないことから、過度に不安や恐れを抱いてしまい、過剰な行動に走ってしまう」と田南さんは言う。

今、ひどいと思った人は多いだろう。しかし、

沖縄・山口・広島3県のコロナ感染拡大 “米軍由来”は明らか

このニュースに対し、「人権侵害だ!」と叫んだ人がどれだけいたのか、私は寡聞にして知らない。
当然これは米軍側が非難されてしかるべき事例である。即応が求められる軍隊が感染症対策を行っていないという実態は、記事中にもあるように地位協定の見直しなどで改善を訴えていくべきだろう。
しかし、記事の「米軍由来は明らか」を、「朝鮮学校由来は明らか」「外国人技能実習生由来は明らか」「沖縄県民由来は明らか」に変えたときに、この見出しが差別であることが浮かび上がってくるはずである。

この記事に、「感染対策をしていないからしょうがない」と言う人がいた。確かに感染対策をしていない集団は、感染症にかかる確率を優位に上げる。合理的行動を求めれば、そういった集団を避けることは十分に理性的である。しかし、これには2つ問題がある。
「感染対策をしていないから(差別されることは)しょうがない」という言説を認めてしまうことは、社会的弱者が差別されることを言外に認めてしまうことだからである。なぜか。自粛ができない人とはどういう人か。感染対策ができない人とはどういう人か。
家族がおらず、飲み屋が唯一心許せる場所の人である。
行きたくもない付き合いの飲み会に参加しなければ、明日の仕事がもらえない人である。
インターネットで人と出会うことを知らぬ人である。
家が安息の場所ではない人である。
水商売で生きてきて、今更ほかの道を進めぬ人である。
社会に保護されるほどではないが知的障害であり、感染対策の意味が見出せぬ人である。
私は昨年幸いにして自粛を行えた。何故か。妻がいたからである。家が心安らぐ場所であったからである。同僚がいたからである。とりとめのない話をする同僚がいたからである。ネットの友人がいたからである。愚痴を吐き出せる友人がいたからである。たまに電話をしてくれる友人がいたからである。バカな話をする友人がいたからである。

もう一つ

人が人として生きていくうえで感染のリスクを負わないということはほぼあり得ない。ほぼと書いたのは、他人にそのリスクを肩代わりしてもらうことでのみ、人はそのリスクから抜け出せるからである。リスクとは何か。人と出会うことである。多くの人と出会うことである。それを肩代わりする人間とは誰か。インフラに携わる人間である。運送に携わる人間である。農林水産業従事者である。医療者である。介護職である。製造業である。その他諸々の大多数の職業である。
テレワークで感染のリスクを避け、社会的には望ましい生き方をする人間だけの社会は、間違いなく持続可能性を有しない。感染対策を避けることが望ましい「ハイ・ソサエティーな」生き方となってしまえば、そのほかの社会の持続に必要なものを我々は失ってしまう。

当然明らかに間違ったコロナへの言説というのは批判されてしかるべきであるが、過度な恐怖心のあおりは、逆説的に非科学的、非人権的な行動をもたらしてしまう。マスコミのコロナ感染者数の報道はもはやエンタメと化しているが(CM明けにコロナ患者数発表!の煽りをされたときはさすがにテレビを消した)、私は一部の医療従事者にも同じことを言いたい。めちゃくちゃあるが、その中の一つが、「あなたが家族を感染させて、家族が死んだら後悔しますよ」といったものである。
これは不都合な真実である。どう考えても以前もそうやって我々は肉親を殺してきたのだ。その言説が今後も残る楔になるとは考えられなかったのだろうか。それを言うなら今後コロナが収まろうと(収まらないと思うが)長く離れた実家には帰れないし、家族が病気で死んだときに大往生という祝いと評価ではなく犯人探しが始まるということである。親が死んでもショックなのに、親殺しの汚名まで着せられる。間違いなく幸せには寄与しない。持続可能性がない。誰も望まない。本当にクソみたいな言説だと思う。

ワクチンが効くのか、三密がどれだけ感染防止に役立つかという話は科学の話である。しかしながら、死のリスクと活動のリスクの折り合いをどうつけるかという、これはあくまで価値観の話である。自粛派の中には(おそらく自分たちも気づいていないが)科学的な話と価値観の話をごちゃまぜに話す悪癖がある。科学的な話はなかなか専門家にはかなわないが、価値観は個人のものがその個人にとってもっとも重要である。

まとめ

とりあえずまとめる。反自粛派にはまともな人ももちろんいるんだけど、反科学的思考の人が多いので、ちゃんと論理だてた自粛派への反論を書いてみたかったのでnote書きました。他にも文化の継続可能性とか、恥の文化が感染者数増加と悪魔合体して左翼メディアが盛り上がったよねとかいろいろ書けると思うが、そこまで私は頭が良くないので。とりあえず感想もらえるとうれしいです。

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