エレクトーンの話(前篇)私がエレクトーンを辞めた理由

私は3歳のころから、高校卒業までエレクトーンを習っていた。
別に取り立てて大好きな習い事ではなかったが、1. ヤマハ音楽教室という大グループのお陰で引っ越ししてもスムーズに続けられたこと2. たまたま中学受験の塾の休みの日がレッスン日だったこと 3. 最寄り駅の近くだったので学校帰りに寄りやすかった 4.エレクトーンを買ってもらったので辞めるタイミングを喪失したこと が続けられた理由だと思う。

別に、エレクトーン自体が楽しくなかったわけではない。ただ、「習っている人」にしか訪れないイベントが苦痛であった。私の場合は大きく二つである。

一つ目は、小学校の合唱伴奏であった。
その当時の学年の中で鍵盤楽器をやっていたのが私だけだった……とかいう理由ではない。ただ、その時に使った楽器がピアノではなく、昔ながらのエレクトーンだったからである。ピアノを習っている児童は割とたくさんいたのに、エレクトーンに慣れ親しんでいるのは私だけだったのだ。
とてつもない苦痛だった。人前で演奏するのに慣れていないわけではない。ただ、NOの選択肢がない状態で選ばれたのが苦痛だった。
勿論、小学生の合唱レベルなので、ピアノを習っていたとしても弾ける程度の楽譜である。ただ、二昔前の手入れの行き届いていないエレクトーンのあの間の抜けた音が、誰のお眼鏡にもかなわなかっただけである。
ちなみに、中学高校はピアノはもちろんエレクトーンを習っている友人も多かったので、この苦痛からは解放された。プロを目指している人もいるくらいだったので、趣味と割り切っている私にはお声すらかからなかった。

二つめはグループでの発表会である。というか主にこれが長年の苦痛であった。辞めるきっかけにもなった。
当時私が通っていた教室では、個人レッスンとグループレッスンに分かれていた。私はグループレッスンに属していた。小学校中学年まではエレクトーン科とピアノ科は同じグループで、高学年からは科によって分かれていった。
小学校3年生の頃にエレクトーンを買ってもらった私は、当時割とエレクトーンが好きだった。小学校5年生になって塾に通い始めると、それ以降エレクトーンは遊んでいても唯一怒られないおもちゃになった。好きこそものの上手なれで、少なくとも中学以前は趣味として習っている層の中では割と上手な部類だったと思う。

ただその情熱はグループレッスンでの発表会では仇となった。
年に二回のグループレッスンの発表会の演奏曲は基本的にはアンサンブル、つまり合奏であった。
当時の先生と教室の方針は、やる気のない子や下手な子はモチベーションを上げるためにメインパートを中心に、やる気のあって上手な子は伴奏パートを中心に割り当てるというものであった。

結果、当時通っていた教室の同年代の最後の一人になるまで、一度もメインパートをやらせてもらえなかった。
中学生くらいまではそれでもよかった。人数合わせのために様々なグループと合同になった。そのため、普段一緒に演奏できない人たちと練習することは、大変刺激的であった。自分の演奏が曲という大きなパズルのピースとなる楽しみは、一人で弾いているときには味わえないものである。しかし、どんどん学年が上がっていくと、どんどん合同での練習は難しくなった。また、部活、学業との両立が困難、あとは単に嫌になった、音大進学のために大きな教室に移るなどの理由で辞める人が出てくると、根本的に頭数が足りなくなってくる。
高校に上がるころには、同じグループの人とデュエットになった。だが、デュエットとは言えないような楽譜だった。私は伴奏ばかり、相手はメロディーラインばかり。あからさまに難易度も異なる。同じグループの人は、元々低かったやる気とスキルを学年が進むにつれさらに低下させていた。グレード試験も受けなくなった。なぜとっとと辞めなかったのか疑問を覚えるほどであった。彼女の貴重なレッスン料のお陰で長い時間レッスンを一人で受けることができたのだけは、感謝すべきかもしれない。
そんな調子なので、発表会の楽譜が配られてもなお、なかなか練習に来なかった。発表会に出ること自体を辞めさせてもらえなかったのは、中高生のグループレッスン生が少なかったからなのか、それとも別の理由なのかは今でもわからない。
講師と幼児科のような役割配分の楽譜であっても、辛うじて形にはなっていたのも、発表会を辞退させてもらえない原因だったのだろう。

しかし、最後の発表会は最悪であった。
忘れもしない、高校2年生の秋だった。
曲名は誰もが知っている「マシュケナダ」
彼女は練習にほとんど来なかった。練習に来ても初見で弾けそうなくらい簡単な楽譜をつっかえて悪態をついて帰るだけだった。後から聞けば、高校ですら進級危ういほどしか通っていなかったらしい。
本番は最悪であった。
有名な曲であったのが災いした。
彼女はほぼ全ての音とタイミングを間違える大事故をやらかした。
途中で演奏を放棄すらした。
終わった後の飄々とした、あるいは済々とした顔を見て悲しみと怒りが沸き起こったのを忘れはしないだろう。
今までの発表会にまつわる思い出はおろか、すべてのエレクトーンに起因する出来事をすべて土足で踏みにじられた気がした。

彼女が辞めないなら私が辞める。そう言おうとした次のレッスンの時に、彼女は居なくなっていた。
それでも嫌な思い出は消えない。
上手な人がメロディーパートで、私が伴奏パートの時はとても楽しかったのに、下手で練習もしない人の介護のような伴奏パートはとてつもなくつまらなかったのに、その怒りを向ける矛先が勝手に居なくなった。
居なくなるならとっとと居なくなればよかったのに。
エレクトーンに対するモチベーションが最底値にあったのに、辞める原因を押し付ける相手がいなくなってしまった。

辞めるタイミングを失った私は、個人レッスンに移った。教室の内規で、先生も変わった。いい先生であった。優しい丁寧な先生であったが、エレクトーンに対するモチベーションは下がったままであった。
センター試験の少し前に受験を理由に休会届を出して、そのまま復会することはなかった。

でも楽譜は捨てられなかった。(後篇に続く)

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