感受性が爆発していた頃
ちょうど2年前。
受験生だった頃のはなし。
高校三年生の12月。
訳あって寮に入って受験勉強をしていた。
世間では監獄とも呼ばれるらしいその寮での生活は、言われるほどキツくはなかった。
むしろ、あの寮で生活していた頃の自分から今に取り戻したいものがある。
あの頃の自分の感受性は爆発していた。
これはもう、断言できるくらいに。
寮での生活というのは、基本的に毎日平日も休日も学校と寮の行き来だけ。
朝7時に寮長の野太い声に起こされ、足元ふらつきながら1階の食堂へ階段を降りる。(うんこでもしてゆっくり降りようもんならブチギレられる。理不尽。)そんでご飯を食べるとすぐに寮を出る。
学校までは自転車で20分くらいの道のりで、途中のセブンで間食を買って登校する。
そこから夕方までずーっと勉強して、5時くらいになると、下校。
また住宅街を縫うように自転車を飛ばして、帰寮する。
この数行以外のことは起こりません。何にも。
これを冬まで繰り返す生活。実にシンプル!
こんな淡白な生活を送っているので、昨日と今日の違いを探すのが難しい、というレベルで毎日が一定なのだが、
寮の掟の一つとして、毎晩、原稿用紙1枚分の日記を書かなければならなかった。
もちろん昨日と今日でおんなじ日記を書こうもんなら、また絵に描いたような昭和の頑固親父的寮長にブチギレられる。ので。
淡白な日常から何かネタを捻り出して、原稿用紙を埋める必要があった。
これが結果としては、めちゃくちゃ良かった。
そして、僕の感受性は爆発した。
言い過ぎ?いや。本当に。
実家に300枚近い原稿用紙がとってあると思うが、2年経ってもいまだに書いた内容を結構覚えてたりする。
いつかこれもまたゆっくり読み返したいが、
記憶を頼りに。
どのくらい感受性が爆発していたかというと、
コンビニで売れ残っていた海老天の話。
帰り道に見かけたトラックの絵柄の話。
どうしても食べたくて取り寄せた赤福の話。
部屋の湿度計の話。
部屋に備え付けてある湿度計の話だけで原稿用紙一枚埋めるなんて、
あの日の自分には悪いが狂気の沙汰なんだ、ほんとに。
でもあの頃の文章を読むと、すごくすごく感覚が研ぎ澄まされていたようで
我ながら感心してしまう。
ただただおかしくなってイカれてたのか?もしれないがネ
人間たくさん色が使われた日々よりも、何も書いてない色紙みたいな生活をしている方が多くのものが見えたりして、なんて、思う。
そして今の自分の感受性の乏しさが、悲しいような。
まあ2度とあんな寮生活には戻りたくないがね!!!!!!
ほんで今見たらこの部屋刑務所みたいだな。
おしまい。