はじまりの言葉 ~生きることは、歌うこと~
日本の文学は何から始まったのか、
という問いは、興味深いです。
そもそも日本人とは一体何なのかということを、
ふと思い起こすきっかけになるからです。
日本の文学は、意外にも、
《歌ふ》ことから始まりました。
昔、教科書で習った『万葉集』の世界です。
《歌ふ》とは、「歌+合ふ」から来ていて、
元々は「唱和する」という意味だったようです。
みんなで、手を取り合って、歌う。
高校野球の応援、
紅白歌合戦での「蛍の光」の合唱。
たしかに、日本人は、
《誰か》と一緒に歌うことを好むようです。
『万葉集』は、五七五七七の和歌です。
庶民から皇族までの歌人たちが、
日常の何気ない情景や感興を、
リズムに乗せて、
けれん味のない言葉で歌っています。
田子の浦に打出でてみれば白妙の
ふじの高嶺に雪は降りつつ
(山部赤人)
東の野にかぎろひの立つ見えて
かへり見すれば月傾きぬ
(柿本人麻呂)
中には、より内面的な歌も見られます。
たとえば、山上憶良の和歌です。
世の中を憂しとやさしと思へども
飛び立ちかねつ鳥にしあらねば
(訳)
この世の中を、
つらいとも身が痩せ細りそうだとも思っても、
飛び立つことなどできない。
鳥ではないのだから。
この和歌は、
憶良が筑前(九州北部)守だった時、
農民の姿に共感して詠んだ和歌とされています。
宮廷の役人として任地に赴いた憶良ですが、
管理する側ではなく、
むしろ苦境にさらされた
農民の心への寄り添いに心打たれます。
これが詠まれたのが約1400年前。
そうとは思えぬほど、
今を生きる私たちの心と通じ合います。
《結局人は、与えられた現実の中で、
逃げずに生きていくしかないのだ》と。
ここで使われている「世」「憂し」は、
のちに登場する『源氏物語』でも
象徴的に語られます。
こんなにも早い時代に、
すでに使われていたのですね。
この言葉からも、
『万葉集』が日本文学の源流だということを
読み取ることができます。
歌とは、つぶやき。
思いあまって、心の底から込み上げてくる、
どうしようもない、つぶやき。
私たちは、太古の昔から、
自分自身の宿命と現実とに
必死になってあがきながら、
そこからにじみ出てくる心のつぶやきを
歌へと凝縮し、リズムに乗せて、
口ずさんできました。
胸の内にいる、ほんとうの自分との唱和です。