「VR」についてかんがえてみた vol.01 前編
VRChatの内外を繋ぐ特殊な立ち位置
三日坊主
この会は以前にphi16さんとfotflaさんと話している時に「タカオミさんとお話してみたいね」という話が出たところから「対談すればいいじゃん」と勢いで決まって始まりました。
そこで、今回は話すテーマとして「VRならでは」という、ある種超でかいテーマを良い感じに楽しくお話していただきたいなぁと思います。
まずは会話のスタートとして、二人はお互いのことどう思っていたかから始めましょうか。
phi16
まず最初にやっておきたいことがあるんですけど。
あの......フレンド申請送ってもいいですか?
タカオミ
ありがとうございます(笑)
phi16
タカオミさんと直接の関わりってないんですよね。だから、今まで申請を送っていいものか、悩ましかった。
タカオミ
そうなんです。実ははじめてお会いして「phi16さんがつくったフライングシステムはなんで酔わないのか」って話をした時以来、ほとんど喋っていないですね。
phi16
タカオミさんのVRChat界隈との関わり方としては、メディアとして情報を出してVRChatの中と外を繋いでる感がある。あとVRChatであんまり制作やってないのに違和感がないのが面白いと思ってました。
タカオミ
よかったー。
phi16
なんかあるじゃないですか。「つくってる者以外人権ない」みたいな。
タカオミ
分かります。
phi16
「つくる」っていうのは、結局「なにかの価値を提供する行為」で、それ以上の何物でもない。タカオミさんの記事群は、界隈に価値を提供していると思うし、それこそグループとしてワ探(VRChatワールド探索部)を形成している。
VRChatってクリエイターもいれば、オーガナイザー系とか色々な人がいるじゃないですか。その中で、ワールド制作はしてないけど「ワールド制作に概念的に近いグループのオーガナイザー」として興味深い振る舞いをされているように見えます。
あと「メディア系」…という言い方が正しいのか分からないですけど、もともとはそうした仕事をされている方で、最初の方は「外から来た人間」の印象っていうのはありましたけど、今でもある程度「外から来た感」を保ちつつ、でも違和感無く界隈に居る、みたいなことを感じます。
タカオミ
特殊な立ち位置ということでしょうか?
phi16
特殊な立ち位置の印象があります。…あと、「目が良い」とか。
タカオミ
うれしいですが、どこを見てそう思われたのかが気になります。
phi16
例えば、仕事等で色々なメディアを見ているという意味でかなり知識があるのかなと思っています。程度を測れないので分からないですけど、そういう発言ができる能力がある。私は基本的に知識がない人間なので。
タカオミ
phi16さんは言語化能力が高そうに感じていますが......
phi16
事例とかはあんまり知らないんですよね。そういう話は全然分からなくて「こういうのあるよね」って具体例をパッと出すことはできない。代わりに概念化して覚えちゃっている。
タカオミ
なるほど、ありがとうございます。おおむね良い印象みたいで、よかったです。
fotfla
タカオミさんに中間的なイメージがあるのは「住んでる」って状態のイメージがないからですよね。
タカオミ
確かにVRChatに住んでいる人間ではないですね。
phi16
VRChatに入るのは、基本的にワ探の活動の時だけですよね。
タカオミ
そうですね。ワ探以外はイベントやこういう機会(インタビュー等)のような予定がないとあんまり入らないですね。
入れる時間は増やしたいんですけど、どこに行けばいいかわからないんです。
「批判」について
タカオミ
僕はずっと、phi16さんが僕について「何もつくってないのに、なに評論家ぶっとるんや」と思ってるんじゃないかと怯えてました。
実際、僕は「何もつくってないのに語ってる人」はあんまり好きじゃなくて、自分がそういう風になっているかなというのもちょっと思っているので。
僕のphi16さんの印象は「創作物第一の人」です。ずっと何かをつくり続けているということもそうですし、それでいて僕と決定的に違うなと感じるのはphi16さんはとても「誠実」であるところです。
あの、0b4k3さんがディレクターしてたミュージックビデオあったじゃないですか、なんだっけ。
三日坊主
MONDO GROSSO。
タカオミ
そうそう。MONDO GROSSOさんの「FORGOTTEN」のMVについて、ブログで書いてたじゃないですか。あれを読んで、僕の感じたことがそのまま全て言語化されているような気がして、感動したんです。僕はどうしても批判的なことを書きたくなくて、いっそ何にも触れないでおこうと決めたんですよね。だから、Twitterでも一切言及してない。
phi16
えーそうなんですね。
タカオミ
それは自分がつくってる人間じゃないというのもあって、批判とかはしづらいなというのもありつつ、単純に自分が批判的な人間だと思われたくないという恐怖があったんです。
phi16さんはその辺をちゃんとご自身の言葉で正直に誠実に書かれていて、しかも「CUE」みたいな作品をつくるということもしてくる。行動と言動と思想が一貫していて「この人は徹底している」と思いました。その辺の一貫性というか芯が通っている感じは凄まじいなと思っています。
だからこそああいうことを書ける。そういう人って貴重だと思うので。
phi16
私は批判的な文章、好きなんです。
批判的な文章を見たいといつも思ってる。
タカオミ
とても大事だと思います。
でも「批判」って難しいですよね。どうしたらいいんでしょうね。
phi16
私は基本的に事実のみを認識するようにしていて、主観を入れなければ自動的に批判になるような。
タカオミ
なるほど。
phi16
少なくとも悪い批判は言わなくなるんですよね。例えば「面白くなかった」はお前の気持ちでしかない。
タカオミ
感情の話ですからね。
phi16
そういうのはどうでもいいわけですけど、作品のこういう部分はこういう構造になっていて、そこに一貫性がないとか。そういうのは多分言えるじゃないですか。
それはもしかして一貫性がないと気付いてないだけかもしれないけど、それも含めて批判としてギリギリ成立する。「目が良くないと批判できない」ような構造にはあまりしたくはなくて。ただ、ある程度目に依存した観点があるのも確かではあるので、批判的文章にはそれが自分の主観であることを明記することを私は毎度やっています。私の文章には「これは私の感想ですけど」とよく書いているんですよね。
タカオミ
なるほど。僕も心がけてみます。
phi16
よくないところに対して、こっちはよくないと思っていると伝える。それは完璧に意思疎通がとれているわけで、良い対話だと思うんですよ。世の中にはもっとこれが溢れてほしい。
タカオミ
難しいですよね。ある意味そういう目で見ないといけないから。
phi16
私はそういう目でしか見れないところがあって、これはこれでしんどいです。
タカオミ
そういう姿勢もすごく素敵だなと思っているんですけど。
一個思うことがあるとすれば、phi16さんが強すぎて「phi16さんが言ったことが正しい」になってしまっている面もあるなと。
phi16
あーそれはめっちゃ思います。それはすごい怖いです。
タカオミ
それはphi16さんが悪いわけじゃなくて、その空気をつくる何かがあると思うんですけど。それはやむを得ないというか、そうなるのはしょうがない部分もある。
でも、本人はそれをあんまり良いと思ってないだろうなというのも、感じていました。
phi16
そうですね…。私は何か発言する時に最後に「ほんまか」をちょくちょくつけたりしています。自分で発言することで自分の中でも考え直すというか。
タカオミ
あー、確かにそれは重要ですね。
phi16
そういえばさっき「創作物第一」みたいな話がありましたよね。そういう意識がないわけではないんですけど、結局「VRChatでのんびり過ごせるのがいいじゃん」というのはずっと思ってます。昔からそれ以上のことはないです。
ただ、私の場合はつくらないとやっていけないのでつくる。
タカオミ
それが不思議なんですよね。それは何か“怒り”があるんですか。
phi16
ひとつどうしようもない点としては「いろいろお話を受けてしまっている」という状況がありますが、それはそれとして、この前つくったCubesとかは「これが見たい」という欲望だけでやっているんで、結局そういうところですかね。
タカオミ
なるほど。
phi16
つくりたくなっちゃうとどうしようもない。ただ、たとえば演出方面の人とかにインスピレーション的に広がったらいいなみたいなことは思っています。
タカオミ
こないだ書かれた記事もそういう意図だったんですか?
phi16
Cubesの記事ですか?
タカオミ
はい。
phi16
あれはでも読めないですよね(笑)めちゃくちゃ読みにくいじゃないですか。
タカオミ
僕は読めなかったです。
phi16
あれはだいたいの人が読めないと思うんですけど、それは意図していて。
前半はノードベースエディタの「Graphilia」を改造しようと思う人が参考として読めるように技術メモみたいな感じで事細かに書いているんですよ。後半はレイトレをやろうと思った人がいた時に、実際にやるための工程を書いていて、どっちみちあの文章を読むには前提が必要なんですよね。
でも、なぜか50ふぁぼくらいされていて「こんなん読むんか?」みたいな気持ちになりました。
タカオミ
どうなんですかね。ありがたく読んでる人も多そう。
phi16
たまに私のブログを丁寧に読んでくれる人がいると思うんですけど「どんな感じに思っているんだろう」みたいなのは分かんないと言えば分かんないですね。
タカオミ
phi16さんの文章はどの程度の伝わり方を想定しているんですか?
phi16
記事によりますね。Cubesのような技術系の記事は特異的な例で読む人が少なくてよかったので、そんなに読めるようには書いてないというのはそうなんですけど。
なんか私が書いた記事は結構タカオミさんにfavられますね。たまに強い言葉を使うと結構な確率でfavってもらえるような(笑)
タカオミ
(笑)
「分かる分かる」という意味でfavってるだけで「見てるからな!」という意味ではないですよ。
phi16
この前書いた「主観的等価性」っていうよく分からないタイトルの記事は全員に読んでほしいと思って書いていますね。
全体的にブログには読めない文章は書いているつもりはなくて、やはり技術解説系記事くらいですかね。ほかは概念的な書き方ばっかりしてるけど、読めないというわけではないと思っています。
タカオミ
普通に伝わる人に伝わればいいという感じで理解できるようにはなっているんですね。
phi16
はい、と思います。自分の中では。
タカオミ
割と読解力を試されているなとは思いますけど。
phi16
結構、それは悩んでいて...
私は抽象的な理解を好む方なので、基本的には抽象で理解してほしいんだけど、それはぱっと見で分からないので。一文書いた後に具体例を2~3個挟むっていうことは結構やっているんです。昔は具体例を書いてなかったので、もっと読みにくかったと思います。最近ちょっとだけマシになったのかなと思ってるんですけど、どうなんでしょう。
ただ具体例を出して抽象を説明すると具体例に引っ張られると思うんです。
結局、具体例で表現できる範囲って狭いじゃないですか。本当に言いたいことはもっと広かったりするわけで。それを文章として抽象のままで読んでほしいという部分はなかなか伝わってないとは感じています。
タカオミ
とても理解できます。ただ、ハイレベルな要求ではあると思います。
VRだけで世界が完結できる「可能性」がある
タカオミ
そろそろ「VR」の話をしますか。
三日坊主
「VRならでは」というテーマなので、最初は「何をVRならではと思いましたか」というのを聞きたいですね。
phi16
ということは具体例ですか。
タカオミ
難しい話だなー。
三日坊主
逆からでも大丈夫です!
phi16
「VRってなんですか?」からはじめなくて大丈夫ですか。
三日坊主
あ、了解です(笑)ではVRってなんですか?(笑)
phi16
怖い怖い(笑)
とりあえず「VRならでは」であるものを紹介するかは置いておいて「VRならではに近いもの」について話してもいいんじゃないですか。つまり「VRならではじゃないけど惜しい」みたいなケース。それで、どれだけのものが「VRならでは」なのかを判定するみたいな。
タカオミ
「10点!」みたいな。
phi16
「2ならでは」みたいな(笑)
いわゆる演出系とか、VRChatのワールドに近いものとか、どっち系がいいんですかね。全部について喋ればいいのかもしれないけど。
タカオミ
それでいうと、phi16さんがどこに「VRならでは」を感じるのか。phi16さんがある種定義する要件はどこなのかというのは気になりますね。
phi16
いやー定義できないっすね。まず「VR」ってなんでしょうねー。
「VRがなにか」をちゃんと考えられれば、そこからおのずと「VRならでは」を導き出せるのではと思ったんですけど......
ひとつ思っているのは「VRは実在性を担保できる」ということ。でもこれはVRだけじゃないですね…。何が言いたいかというと「VRだけで世界が完結できる可能性がある」ということです。
えーと、演出やらで何かを出す時に、何らかを引用しなきゃいけないケースがあると思うんですよね。それに対してVRでは引用は要らないのではと思っているんです。すみません断片的な言い方で......
前につくった『Amebient』は世界が閉じている例だと思っていて、あれって基本的に外に参照がないと思ってつくってるんですよね。
この感覚はもう少し別の言語化をした方がいい気がするな。…「見立て」っていう概念あるじゃないですか。見立てのように何かを思い込んで、そのことを前提として進めるということがリアルでは色々なところで一般的に行われていると思うんですけど、VRはそれをある程度排除できるプラットフォームだと思っているんですよ。
VRは「そこにあると思い込めば確かにそこにある」というところまでいける、という環境だと思っていて。んー言語化難しいですね.....
タカオミ
『Amebient』の話はしたいと思っていました。
「VRならでは」かというと微妙なところなんですけど、たとえば僕が映像をつくっている時によく思うのは、映像って基本的に字幕とか言葉で説明したら負けなんですよ。どうしても入れざるを得ない時はあるんですけど。
本当はカットの仕方だったり映っている画だけで説明したいけど、無理なので言葉で補足する必要がある。それは見てる人に対して「このシーンはこういう前提の下で撮ってますよ」という文脈の共有をしなくてはいけないからなんですよね。それってノイズじゃないですか。本当はそれを排した方が良い映像だと思う。そういう説明があるだけで冷めてしまうこともあるし。
『Amebient』が素晴らしいと思ったのは、あのワールドには言葉が存在しないんですよね。「このワールドはこういうものです」という説明がまったく存在していないにも関わらず、どういう世界なのかがなんとなく分かる。完全にノンバーバル、ゼロコンテキストでも理解できてしまう、つまりワールドだけで全部説明しているってことの凄まじさを感じます。
phi16
めっちゃ分かります。実際そういう気持ちでやっていました。もちろんワールドの目的にもよるんですけど、ワールドの説明文とかも、排除した場合の方がワールドが綺麗になるというか。
タカオミ
そう思います。
ワールドに来た人の知識とか過去の体験とかに依存しない設計というか。
phi16
そうなんですよ。あと、個人的にはCUEのアーカイブの方の、カセットテープの入りとかも好きです。あれはなんとなく触りたくなるようにできているつもりなので。
そうした設計が大事というよりも「VR空間」というプラットフォームでは普通にそれが行われる可能性があるのは良いことだなと思います。
タカオミ
そういったものに触れたときに自分は「映像だけをやってる場合じゃない」と思っちゃって。これから出てくる「新しい表現」とは何か、ということを考えたときに、映像よりもVRとかワールドのほうがよっぽど可能性が広いと感じています。もちろん今後もすばらしい映像はたくさん出てくると思いますが、『Amebient』とか、それこそ三日坊主さんのワールドとかで感じるものは、映像にしても何にも伝わらない。そういうところにVRの魅力があるのかな。
「VR」について──自分がいる感覚
三日坊主
「VRならでは」を語るっていうのはやっぱり難しいですね。
phi16
まじで難しいですね。さっき言ったように具体例があって、それが「どれだけVRならではなのか」ということは言えそうなんですけど、じゃあ「何がVRならではなのか」は難しい。
「VRならでは」の要素として何があるのかということはいろいろ考えることはできると思うんですけど、やっぱり言葉が存在しないんですよ。
タカオミ
そうですね。言葉が存在しない。
phi16
根本的に言語化できないんですよ多分。
fotfla
映像と「VR機器を使ってワールドを見る」は何らかの感覚の差異はあるんでしょうけど。
phi16
まずひとつは「自分がいる感覚」がめっちゃありますよね。
タカオミ
そうですね。
phi16
「自分が世界にいる」という実感というか事実ですけど、それってかなりでかいとは思いますね。これだけで「VRならでは」に到達するかは分からないですけど。
タカオミ
それだけだと「うーん」ってなっちゃいますよね。
phi16
たとえば今居るこのワールドでは飛ぶことができますけど、飛ぶことで得られる体験と得られない体験があるじゃないですか。「歩く」とか。
そういう意味では「VRならでは性」ってめちゃくちゃ多義的で、かつ交わってない。VRでできることが多すぎるので、共通点がない。「飛ぶ」のはVRならではだけど「歩く」のもVRならではなんですよ。
ユーザーが行動できればいいってものでもない。ゲームの自由度とソーシャルVRの自由度を比べると、ソーシャルVRの方が上回っている。だとしてもゲームはボタンをポチっとしてなにかいろいろなことができたりする一方、ソーシャルVRで私たちはこうやってのんびりしているだけ。そこにはなんの機能もない。なのに、なぜかこっちの方が「うれしい」。機能がない方が逆にうれしいんでしょうか。
うーん今すごいふわふわしてます頭が。
タカオミ
phi16さんが最初に言った「実在性」というのはまさにそうだと思います。
「物理世界の中にあるディスプレイというデバイスを通して見てるphi16さんの存在」と「完全に視界をおおわれた状態で感じるphi16さんの存在」は情報量としては大して変わらないけど、後者の方が「実在性」という言葉が当てはまる。
phi16
思っているのは「相手の実在性」じゃなくて「自分の実在性」なんじゃないかなと。ディスプレイ越しだと「自分」がいないんですよね。
タカオミ
うんうん。
phi16
なので、同時に「相手の実在性」が薄くなる。
タカオミ
それはあるかもしれない。非VRだと「自分がこの世界にいる」という感覚がない。身体は完全に外側にあるわけだから。
phi16
(HMDをつけてないとディスプレイ以外に)いろいろなものが見えちゃってる。そういう意味では「周りを覆う」というか「隠す」というのは結構大事そうですね。
「VR」について──危険なことができる、近さ
phi16
ひとつVRの面白いところでいうと「危険なことができる」ことだと思っていて。
この前のCubesもそれがもともとやりたいこととして考えていました。VRで驚くような演出、合法的に驚かせる演出…特に「悪い」演出はいろいろつくれると思うんですけど、納得性のある驚く演出ってなんだろって考えたときに…キヌさんのvoicesの時の、塔がぼこぼこ出てくる演出、特に予告があるところがすごい好きなんですよね。あれの良いところは「自分に危害を加えられる可能性がある」ということ。
実際にはVRだと危害が加えられないけど、「危害を加えられる可能性がある」という部分ではリアルと大差ないじゃないですか。これは危なそうだなという感覚という意味ではリアルとバーチャルは同じ。そこの重みは結構出せるはずで、それによって実感がめちゃくちゃ出てくるんですよ。そういう「認識の感覚」は大切にしたいな、というか面白いところだなと思っています。
タカオミ
「危険なことができる」っていいですね。面白い。
phi16
最終的な痛みが伴わなくても事前動作が重みを持っているという話ですかねこれは。
あとそういえば、前書いた内容でVR固有の性質として「近い」というのもありました。
タカオミ
近い?
phi16
ものとものの近さが実在して「近さという概念」がある。自分との距離がちゃんと測れるということですね。
ゲームだと、モニタ越しで結局リアルの自分との距離にならないし、「主人公」も結局カメラであって自分がいるわけではない。一方でVR空間だと自分との近さが測れる。
タカオミ
確かに。自分が近づいていっているのか、向こうが近づいてきてるのかが分かるから。
phi16
そうですね。向こうが近づいてくるのは怖いですよね。そしてこれは映像だけだと味わえないと思うんです。
タカオミ
客観的なメディアでそれを味わうことは難しいですね。
phi16
もちろんそれで結構ぐっとくるものもあると思うんですけど。ただ効果としては、最終的には自分のところに本当に来るわけではない。
痛みを「学習」していく
phi16
リアルの私は傷つかなくてもバーチャルのアバターは傷つくという可能性があるという話を忘れていました。
目をつぶったとしてもアバターが傷ついている可能性がある。まあそれは結局リアルの自分との繋がりをどこまでつくれるかというのがあると思うんですけど。
タカオミ
それって人によるんですかね。いわゆる「VR感覚」的なものって人によってちがうじゃないですか。
phi16
あれは結局「学習」ではないかということを以前書きましたね。
タカオミ
あーなるほど。確かにそうか。
phi16
これで伝わるの面白いですね(笑)
結局「願うかどうか」というのがあって。実際「痛い」と思えることが起きたとして、「痛いと感じた方が良いのかどうか」を判断する。
タカオミ
なるほど。そして「痛いと感じたい」という方向になる。
phi16
そうしたら確かに痛くなるっていうのはある。
タカオミ
自主的に脳をだましていく感じですね。
phi16
割とその辺は頭は雑なので。
タカオミ
そうですね。幻肢痛があるぐらいだから、ないものを感じることはできる。
phi16
そうそう。思い込みは強いです。人間の面白いところです。
情報を伝えるメディアとしてのバーチャル空間
タカオミ
phi16さんに聞きたかったことがあって。
『Amebient』とか他にも色々なワールドを見ると、バーチャル空間は「情緒を伝えること」って得意だなと思うんです。でも、「情報を伝えるメディアとしてのバーチャル空間」ってどうなんだろうということを最近考えていて。
例えば、phi16さんの『ǀ>(パイプライン)』って情報じゃないですか。あれは教材に近いですけど。
phi16
そうですね。
タカオミ
そういうコンセプトのワールドは意外と見ないなって思ってるんです。多分、バーチャル空間だと文字が読みづらいとかそういうのはもちろん理由としてはあるんでしょうけど。「情報を伝えるものとしてのバーチャル空間の可能性」というのは結構気になっています。
phi16
うちの数学のとこ行きました?『Inter-action on the Math』
タカオミ
あー、行きましたが、まったく意味がわからなかったです。
phi16
(笑)
あのワールドには情報が結構詰まってるんですよ。
タカオミ
そうですよね。その時に誰と行ったか覚えてないんですけど、なんかをやったらなんかができて「すごい」みたいになって。僕ちょっと高校行ってないもので、数学が中3で止まっているというのがあるんですけど(笑)
phi16
何らかが裏にあって、何かを触るとそれによって何かが動く、っていう感覚は数学が分からなくても分かるんじゃないかなと思います。
タカオミ
どういう理由か分からないけど、対応はしているのは分かるという感覚はありました。
phi16
裏に関する理解がなくても、それでも十分なところはあります。数学の本質は対応関係みたいなところがあるので。もちろん、どこがどう対応しているかまで見られるようになったら強いわけですけど。
あそこは純粋数学寄りの、あまり外に出てこない領域なので、難しいところはあるんですけど、でも触ってみるとちょっとだけでも分かるということを感覚的に出せるといいなと思ってつくったんです。それは、確固とした情報ではないけど、感覚を介してある種の情報が伝わるということだと思っていて、バーチャル空間はそういうことがしやすいと思っていますね。
一方で、羅列しているものを見るというスタイルはあまり面白くないなとも思います。例えばここにあるもの(『omochi museum』)は置かれているものの性質が全部分かれているので、こうするしかないんですけど。概念的にくっついてるものがあったら全部くっつけて、巨大な何かとしてごちゃごちゃ出せたらいいなと思うんです。
その例として、バーチャル空間でずっと見てみたいものとして「工場」があるんですよ。何かをつくる工場ですね。そこでは、ちゃんと何かをつくっていてほしい。
タカオミ
すべてがちゃんと正しく動作して何かをつくっている、っていうことですか?
phi16
そうです。流れがあって、ここからきてこうしたら、ものができていくみたいなのが、工場として見えたら。
タカオミ
考えてみれば、つくれるか。
phi16
設計さえできれば、つくれないわけがないんですよね。
それがつくれたら、情報を伴った良いコンテンツになるだろうし、普通に「面白そうなワールド」にもなるだろうし。そういえば、朝霧さんの鉄を溶かすとこはありますね(『製鉄所 SteelWorks』)。あそこは今言ったものに近いです。行ってみますか。
phi16
ここはなかなか、こう、「良い」です。
タカオミ
うわー。
phi16
私がさっき言った「一個一個ばらけているのではなくくっついている」というのは見ての通りの意味ですね。
こういうコンテンツはあまりなかったと思います。
タカオミ
すごいですね。
phi16
なかなかやっぱ「情報」じゃないですか。
タカオミ
なかなか「情報」ですね、これは。
phi16
ノンバーバルで十分っていうのもあるし。
タカオミ
言葉がなくても全部伝わりますね。
phi16
これすごく熱そうで、実感を感じられる。
VRは主観的なメディア(映像との違い)
phi16
VRだとこのように実感を与えられる一方で、映像だとカットができるのはズルいと思っていて。
タカオミ
カットもそうだし、フレーミングっていう方法がまずズルい。
phi16
VRだとそれができないというのがしんどいと思うんですけど、これは完全にトレードオフになってるとも思います。
カットによる演出が最近すごい羨ましくて。抽象的なものをつくるのにあたって、空間としてちゃんとつくるよりはぶっちゃけカットして、色々な視点を繋ぎ合わせたりしちゃったりした方がいいわけなんです。だけど、存在感が出てこない。そういう意味では、一長一短だなと。
タカオミ
モンタージュができたりとか、映像はズルいですよね。これはVRではなくゲームの話ですが、この前ディズニーがどうぶつの森みたいなゲームを出すというリリースを出したときに、「海岸でアリエルとエリック王子がロマンチックなシーンをしているところをプレイヤーが応援している」というシーンがあって。それに対して「そっとしといたれよ」ってツッコミがTwitterでされていたんですけど、映像ではなく空間だとそうなりますよね。
phi16
そうですね。VR、主観的体験ってことは「そこにいる」ってことなので。
タカオミ
そうなんですよ。映像だとそんなことありえない。どれだけカメラが寄っても、カメラの存在は誰も認識しないので許されるんですけど、VRになると自分がいることによってすごい邪魔者になっちゃう。その感覚って面白いなと思います。
phi16
VRは主観的なメディアとしてはめちゃめちゃいいんですけど客観ができないんですよね。
タカオミ
そうですね。客観ができない。
phi16
逆にもともと主観的だったメディアがもっとVR化するというのはあり得ますね。
タカオミ
なるほど。主観的なメディアって何だろう。
現代人はスマホの画面に慣れすぎて主観を忘れてそうですね。
phi16
あーでもそういうところなのかもしれないですね。こう意見の出しにくい、自分の意見を持ちにくい現代みたいな話、ありませんか?
タカオミ
主観性が損なわれているというのはあるかもしれませんね。
結局、情報を自分で取りにいくというよりもスマホで探して満足してしまう。そうなると自分の経験が主観的な体験に紐づいてないんですよね。
phi16
そういう意味ではVRはだいぶ良いメディアなんですよね。
タカオミ
そうですね。分かります。主観を取り戻す。
ショー=客観?
phi16
あとなんていうのかな。ある意味ではショーって客観に近いと思っていて。
タカオミ
その話をしたいなと思っていました。
phi16
なんだかんだショーってVRに向いてないんじゃないかって思ってるんですよ。
タカオミ
そこは面白いと思っていて。僕は逆にそこに可能性を感じている部分があります。
phi16
主観的なショーの可能性ですか?
タカオミ
僕は「VRならでは」を考えたときにやっぱりキヌさんのショーを語らずにはいられないんですが、キヌさんはまずステージをぶち壊すじゃないですか。つまり、「舞台と客席」という関係性をぶち壊してからショーを始めるじゃないですか。それが美しいなと感じてるんですよね。
もちろん確実に僕たちはキヌさんのショーを見に来ているし、キヌさんが演者で僕らが観客という関係性は変わってない。けどステージがぶち壊されることで、キヌさんのショーの中に入っているという構図ができあがる。
phi16
それは分かります。「鑑賞」じゃなくなりますよね。
Nakayoku Connectでは「体験型」っていう言い方がされてましたけど。だからあれは正しい。
タカオミ
空間ごとショーみたいになる。
phi16
空間ごとショーをやれば自分の体験になる。
観客がいて、ステージがあって主役がいて、という構図だと客観的な立場をつくらなきゃいけないということになってしまうので、多分VRに向いていない。そういうところから直すのは正しいと思います。
タカオミ
phi16さんも言及してたと思うんですけど、LLLLさんのDJのアーカイブもそういう新しい構図を生み出していますよね。
phi16
まるごとですよね。
タカオミ
自分の周りが変化するっていうのは、やっぱりVRだなって感じました。
phi16
「場を含めてやる」というのを前提としたショーだったら、VRでやる意味があるし、実際良いと評価されている状況ですよね。
タカオミ
ただ映画みたいなものはつくりづらいと思います。映画は色々な登場人物の主観を通して物語が進んでいくし、「神の視点」のような客観的な視点も存在します。VRを使ってそういうつくり方をするのは不可能に近いですよね。
phi16
没入する意味がないんですよね。
逆に小説というメディアは面白いと思っています。あれも映画と同じような没入の仕方なのかもしれませんけど。どうなんだろ同じなのかな。
タカオミ
まず小説とか本の良いところは「自分が読み進めないといけない」ところですね。
phi16
そうそう。
タカオミ
受動的に物語が進んでいかないので。
phi16
そういえばブログに書こうと思っていました、小説がインタラクティブコンテンツだという話。漫画もそうですよね。なんかこう読み終わったときのどこからか戻ってくる感覚とかもあるし。
タカオミ
読んでる瞬間は文字という媒体を通してその世界に入り込んでいる。そういう意味ではまったく同じ体験なのかもしれないですね。
情報量が比較的少ないテキストの本と情報量が豊かなはずのVRが、性質としては同じような体験であるというのが面白いですね。
phi16
人間の補完能力が強いんですよね。逆に余計な情報がないからこそ、めちゃくちゃ純粋に読めるというのはあるかもしれません。例えば、VRに余計なものを置くと冷めてしまうという現象を極限まで追究すると文字情報になっていくのかもしれない。
執筆・編集:FUKUKOZY
写真:タカオミ、三日坊主、FUKUKOZY