「乗り過ごす」
どうも、楽天モバイルのCMは、「高すぎる!!!」のところよりも「なんか複雑な条件とかあると思ってない?」の後の「無いの!!!」の方が好きなブイマツです。
東京の大学を卒業し、札幌に戻ってからというもの、通勤も車、仕事中も車、レジャーに行くのも車で、めっきり電車には乗らなくなりました。
たまに思い出します。
大学生の頃、電車に乗る時の僕はというと…
息が詰まるから人の顔が見えないように眼鏡を外して、通信制限にならないように、iPhoneのデータ通信をOFF、Wi-FiのみをONにし、電車が駅に停まっている間だけ駅ホームのフリーWi-Fiを拾い、YouTubeの読み込みをセコセコ進めながら動画を見る、電波乞食、現代社会が産んだモンスター乗客でした。
(東急電鉄さん、僕、ポケットWi-Fi買いました。)
乗り換えなんて札幌ではほとんどしたことがなく、スマホに集中しているし眼鏡もしていないので、降りる駅を間違えたり、乗り過ごしたり、遠回りになる一本前のに乗ったり、それはもう苦労しました…
…ところで、「乗り過ごす」っていう言葉ってめちゃくちゃ凄くないですか?
僕らが普段使っている言葉って、ニュアンスとかは多少違えど大体は大昔から存在していたと思うんですよ。
でも「乗り過ごす」は割りと最近にできたはずなんです。なぜなら、大昔の人は乗り過ごしたことが無いからです。電車やバスが無ければ起こらないですし、駅や停留所が少ない頃はその分油断も発生件数も少ない。こんなわりと最近のあるあるが「乗り過ごす」という動詞として確立してこんなに一般に普及してるのって珍しいと思うんですよ。
しかも「乗り過ごす」は新語の顔をしていないんです。
「4K」
「スマートフォン」
「5G」
…米倉涼子と還暦を超えた方々のしかめっ面が目に浮かびます。
「電波乞食」
…国民の冷たい視線を感じます。
「乗り過ごす」
面構えが違う。老人の顔が綻びました。
誰が作って、どう広まったのか、考えれば考えるほど不思議なワード、「乗り過ごす」
誰でも発信者になれる現代、
令和の「乗り過ごす」を生み出すハードルは
「高 す ぎ る ! ! !」
ことは
「な い の ! ! !」
かもしれません。