生きるよー
げんきげんきはっぴーといいながら、肩にはシップ張ってて頭痛いし、今日夢では尿におぼれるゆめをみたしで、最悪な猩々です。
これは、わたしの下宿のユニットバスのバス部分がこわれてて、お湯を流すと、トイレ部分がびしゃびしゃになって、それが人並みに嫌なんですよね。
なので、栓を抜くときは、栓を半分にかたむけて、ちょろちょろとお湯が流れでるようにしています。こまってしまって夢にまで出てきたみたい。
性生活について、私は究極的な反出生主義なので、こどもをつくらず、結婚もせず、パートナーしかいらないとおもっていて、とはいえ、そんな都合のいいパートナーなんていなくって、年に4回の生理前には、女性向けデリヘルとか呼んでみてもいいかも、苦しすぎ、と思いつつ、アダルトビデオなんぞを見るわけですが、それで終わりです。
おとといは何を思ったのか、一人で生きていくには一人で処理できなきゃいけないとTENGAでグッズを買ったものの、住所を送る先を思いっきり、部屋番号を書き損じて、いったいどこに届くのか、私には知る由もありません。 おくりびとは実家になっていて、これ、実家に届いたら最悪すぎるぞとおもいます。yEAH。
わたしはまじめな人間です。こんな自堕落な人間が何言ってるんだよ、とおもわれるかもしれませんが、かなりまじめな人間です。いくら、親のお金を株で溶かしたって、簿記の勉強を放棄したって、データ入力作業が嫌で会社に行かなくたって、まじめな人間です。
道徳的に真面目なんです。浪人が決まって、私は19のころ寮に入ったわけですが、サルどもが親の目と先生の目がなくなった結果、盛っていて、この世に、本当の絶望をおぼえました。 また、フィクションだと思っていたワンナイトが本当にあることを知って、さらにあたまがくらくらしました。
私は別れ話の歌や、別れの歌は、すべて死別の歌だとおもっていたので、人とまず付き合って、なのに人が別れることが当時本当に理解できなかったしそれを美化するなんてもってのほかでした。告白したなら、ずっと好きでいれよ!契約じゃないのか!?と思ってみたり。
大人が言った道徳を大人が守っていないことに大変な違和感と絶望を覚えて、泣きながら母親に電話したことを覚えています。
大学の時に一人だけ付き合った人間がいます、私はそいつを一瞬本気ですきでした、向こうも好きで相思相愛でした。けれど、価値観の違い。これじゃあ、ごまかしているみたいなので、ちゃんと言うと、性善説と性悪説で意見が割れ、毎日3時間くらい議論ならぬ口論をし続け、お互い疲弊し、別れました。ちなみに私は性悪説の人間です。相手が性善説の人間でしたので、これじゃ、だまされるこいつはと思って、心配で仕方がなくて、殴る蹴るをしました。 脅すためにとりだした包丁が垂直に床に立ったことを今でも覚えています。
けれど、これがあったから、親以外の人間に愛されるということの片りんを多少は理解できたかなと思います。くそみたいな記憶ばかりだけれど、ただ、彼の、私の頭をなでる手が、プレパラートを扱うように慎重で、優しかったことを強く覚えています。 この経験だけはよかった。
美しくいきたいものですね。道徳的に。
わたしはそうです。みんながダメになっても私だけは倫理を持っていきます。正直、みんなだめです。うそ。大丈夫な人もいる。
でも、多くはダメなんです。友達の家に行ったら彼氏いないのに、誰のかわからない歯ブラシが置いてあったり、その量が多かったり。友達ですら汚れてしまった。いろんな友達が汚れました。ある人は心が堕落しました。
だから私には中高の友達はもうほとんどいません。ネットの友達くらい。
きれいだったころの友達がいなくなるのは悲しいですね。大学で出会った友人は、汚い世界での友人だから。
書いてたら泣いてしまいました。今日は何もない日なので、映画をみてくるか、cubaseをいじるかしようと思います。映画は、早稲田松竹でやっているゴダールをテーマにした三本立てです。
ゴダールは好きだ。真面目に生きているから。
私はまじめに生きていない人が嫌いです。世界に目を向けていない人が嫌いです。そんな人、あまり見たことがありませんけれど(たぶん自分から離れて行っているので、記憶にないだけ)、あまり見たことがないので、仮想敵になっていってしまっていますけれど。
私は、人を苦しめたい。考えさせることで苦しめたい。真面目にさせて苦しめたい。そしたら世界がもっと良くなると思うから。
女と男のいる歩道、中国女 今見たい、ゴダール作品です。