見出し画像

コツコツとカンボジア語

たしかドイツ語だったと思うけど、語学を学習されている方がB2への上達過程は果てしないから、過程そのものを楽しんだほうがいいっていうよう文章を何かで読んだ。そうじゃなければ、果てしなくてやっていられない。マジでその通りだ。

辞書使えば新聞は読める程度にはなったし、下調べしておけばカンボジア人の前で文章を読んでも、まあまあいいっしょ! というレベルにはなった気がする。でも普通に話せるというレベルには、まだまだなのだ。

「え?今、なんて言ったの?」なんてことは、しょちゅうあるし中途半端でもどかしい。

CEFRのTO DO LISTのある項目には「ネイティブとお互いに緊張せず、普通に対話できるほど流暢で自然である」って項目があった。生きている間にはこのレベルにいければ、もう思い残すことは何もない。

けれど、道のりは果てしない。

勉強を続けていて上達した実感なんてほとんどない。地味に単語を覚えて、発音の感覚を掴んで、積み重ねて、それを繰り返す。リアルな会話を暗記しておいて、SNSをチェックしたりもする。

それでも上達の実感はたまにしか感じない。ふと1年前に比べて、文章が前より読めていたり、単語が染み込んでいるなと感じたり、以前にはたどり着かなかった話題ができて、後から気がつく。その程度がリアリティらしい。

不思議なものでカンボジア語の勉強は楽しい。一つの記事を読むと、興味深い箇所があって、その中の単語の使い方が面白かったりする。それに、カンボジア人とただ話すのも楽しい。違う世界線を生きている。そして、また勉強を続けてしまう。

それでいて満足することは一生無い。だとしたら、この過程を楽しむしかないのだ。コツコツと分からなかった単語をブツブツと言い、看板に書かれている文言を覚えておき、近所のおばちゃんにからかわれた言葉を心の中でリピートして、眠いのにカンボジア語先生とのレッスンのために喫茶店に仕事の前に行く。その繰り替えしを、たぶんずっと続ける。この覚悟があるかを問われているのかもしれない。

果てしないけど、語学の勉強とはどうやらそういうものらしい。

いいなと思ったら応援しよう!