カンボジア語とCEFR
カンボジア語を勉強していると、日本語能力試験とか、英語の試験みたいに自分のレベルを知りたくなる。通っていた語学学校に頼んでテストを作成してもらったこともあるけど、レベルを正確に知るにはテストの品質が明らかに良くなかった。
そんな時、CEFRで独立行政法人国際交流基金 日本語国際センターが作成しているCEFRのCAN DOリスト(★1)を知った。すごく細かくリスト化されていたので、スプレッドシートで管理して、ブラウザ上で表示出来る簡単なコードを書いてみた。
たぶんB1 => B2の過程に私はいる。発音は語学学校で何年も習って、辞書を使わないと読めない記事もあるけど、簡単な記事ならば初見でもだいたい分かる感じにはなってきた。カンボジア語の本もまあまあ読んでる。Youtubeの「Rumduol TV」チャネルのファンで見てる。ちゃんと理解できてるとは言えないレベルで、けれど、分からなくもない。そんなレベルにいる。
様々なカンボジア語を自由に読んだり見れたりして会話についていけることが、一旦の目標で、目標にはまだまだといった段階にいると思う。一通りのカンボジア語が分かればいい、そんな気長な気持ちで勉強したりしている。ちゃんと、B1 => B2って段階かと思う。
CEFRを知れてカンボジア語の勉強の方向性のようなものは掴むことができた。と同時に、このCanDo Listという概念はとても面白いなと感じることがある。
例えばCEFRのCanDo Listには、「抽象的な話題でも、要点を理解できる」といった項目があった。これは日本語を勉強する外国人のためのCanDo Listだから、日本で働き、会議に参加した時やビジネスシーンで、抽象的な話題が出たときに、主題のポイントを掴める能力を問うているのだと思う。
カンボジア語のレッスンを続けていて、新聞記事を事前に読みこんでおいて、知らない単語の発音を確認したり、単語の使い方を聞いたりしてカンボジア語の勉強を私はしている。その時、「オーストラリア国民の民主主義に対する意識と、ベトナムとカンボジアを比較した記事」を読んだ。
記事で引用されたレポートや記事全体で主張したい内容はとくに難しいものではなくて、教育水準が高いオーストラリア国民のほうがむしろ民主主義政治に対して否定的な感情を持っているのに対して、ベトナムやカンボジアの民主主義政治に対する意識は良いということが主題だった。
単語が難しいので、初見ではとても理解したとは言えなかったけれど、辞書を引き引き単語を調べていき、記事全体の内容が分かると、そこまで、この記事の要点を掴むのは難しくはなかった。というか、日本の教育をうけた多くの方は、文章の要点を掴むのは得意だと思う。得意になれ、と訓練されてきた気もする。
ただ一方で、私のカンボジア語の先生は新聞記事自体を正確に把握して、要点を掴めているとは思えなかった。ポイントを聞いても、私が思っているポイントとは別の、的を得ないことを言っていた。似たような経験を、何人かのカンボジア人からカンボジア語を習う過程で感じた。
カンボジア語を勉強している時の悩みはこんなところにある。先進国で話されているメジャー言語に対するCEFRのCanDo Listと、カンボジアのCEFRのCanDo Listは、全然違うベクトルがある気がしてる。別に「抽象的な話題でも、要点を理解」出来なくても、まったく困る気はしない。でも、時間を守れないカンボジア人に対してイライラしないのは、A1のCanDo Listに追加するべきな気もしてる。
CEFRのCanDo Listの開発途上国版は、まったく違うものになるのだと思う。日本人として、カンボジア語が話せるようになることは一体どんなことなのか、私はたぶんまだよく分かっていない。カンボジア語独自のCEFRのCanDo Listを新しくつくる難しさを今、感じてる。
参考資料
★1
https://www.jfstandard.jpf.go.jp/pdf/CEFR_Cando_Level_list.pdf
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