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感情エクスプレス
「光生!なにこのテスト!?」
ゲームをしている息子の目の前に、ゴミ箱に捨ててあったテストを突きつける。
100点中30点。
惨憺たる結果だ。光生は、ぎくりとした顔でヘッドホンを外し、
「いやぁ~・・・。」
と頭を搔きながら苦笑いをした。
「この点数は低すぎる!それに、テストは私に見せる約束でしょ!」
テストを見せたまま続ける。
自分が般若のような表情になっていることが分かる。そんな私の顔に怯んだのか、
「お母さんに見せなかったのは、ごめん。でも、このテスト平均点が低かったんだよ。」
言い訳をする光生。
目がきょろきょろ泳いでいる。
私は、素直に反省しないことにも腹が立ち、
「また言い訳して!だいたいゲームばかりしてるからじゃない!小学校5年生にもなって約束も守れないの?!しばらくゲーム禁止よ!」
と畳みかける。
「えぇ!?それは困るよ・・・。あ、ちょっと友だちと約束してるから待ってて。」
光生はヘッドホンをはめてまたゲームに戻ってしまった。
その姿を見てイライラがさらに募っていく。
―本当に反省しているの?腹が立つ。今日こそは許さない!
「今大事な話してるのよ!」
ゲームを取り上げた時、間違えて電源を切ってしまった。
「最悪!セーブしてないのに・・・クソばばあ!」
顔を真っ赤にしながら叫んできた光生に、私もかっとしてつい、
「クソばばあとは何よ!あんたなんか産まーーーーー。」
***
『~♪ご乗車、ありがとうございます。この列車は・・・♪~』
車内放送のようなものが聞こえる。
ガタンゴトンと体に振動が伝わる。
ゆっくり目を開けると列車の中のようだ。
トンネルの中を進んでいるのか外は真っ暗だ。
「えっ?なんで列車に乗ってるの私・・・。」
状況が飲み込めずぼんやりと周囲を見渡す。
するとデッキへと続く入口に乗務員のような男性の姿が見えた。
慌てて駆け寄り、
「ここ、一体どこなんですか?!」
と食い気味に尋ねる。
男性は、
「お客様、ご乗車中は危ないのでお座りになってください。」
と柔和な笑みを浮かべながら言った。
促されるまま座席に座ると、男性は、
「この列車は、『感情エクスプレス』です。お降りの際には、今いらっしゃる五両から一両へと順にお進みください。まあでも折角ですから、お好きな席に座って車内から見える景色を堪能されてみてはいかがでしょうか。何かございましたら私ども乗務員までお申し付けください。」
と言い、丁寧に一礼して去ってしまった。
―こんな得体のしれない場所で楽しめるわけないじゃない。夕ご飯もまだ作ってないのに、早く帰らなきゃ。
そう思い、五号車から四号車へ移る。
すると、窓の外一面に見たことのある風景が広がっていた。
「ここって・・・。」
一か月前、宮崎に家族旅行に行った時に泊まったホテルの部屋だ!
「どういうこと?」
目の前の光景に困惑する。
何故ホテルの部屋の中が見えるの?戸惑いながら呆然と見ていると、
「光生!」
光生がはしゃいだ様子で部屋に入ってきた。
『この部屋、海が見えるね!』
後ろには私と夫の姿も見える。
『今日の夕食は宮崎の地鶏食べ放題らしいぞ。』
という夫の言葉に、
『わーい!唐揚げもあるかな?』
とにこにこしている光生。
この旅行中の光生はずっと上機嫌だった。
最近は帰ったらゲームばかりしている光生と、この日の夜は久々にゆっくり話ができて嬉しかった。
私も仕事や家事に追われて全然時間が取れていなかったな。
もっと家族の時間を増やさなきゃって反省したっけ。
そんなことを思い出しながら、三号車へ進む。
「光生の入学式だ。」
どうやら不思議なことに、この列車では過去を見ることができるらしい。窓の外には、小さな体でピカピカのランドセルを背負った光生がいた。校門の前で、
『はい、チーズ』
と私がカメラを向けると満面の笑みを浮かべた光生。
可愛い。ついつい顔がほころんだ。
一人息子だから私にとっても初めての入学式で緊張した。
光生も入学前から、『友だち百人できるかなぁ』と心細げにしていたが、入学式当日は先生に名前を呼ばれた時に『はい!』と立派に返事していた。
その姿に成長を感じ、夫と涙したものだ。
それに、入学前の光生は『ひらがなの練習する!』と勉強に対してやる気いっぱいだった。今じゃちっとも机に向かおうとしないが。
―また腹が立ってきた。いかんいかん。
二号車の扉を開ける。次は何歳の時の光生が見れるだろうと、少し楽しみになってきている自分がいた。
「病院?」
暗い病院の通路が見えた。
夜みたいだ。処置室の前でうなだれているのは私と夫だ。
「あ!」
思い出した。これは光生が三歳の時だ。
真夜中、高熱を出しけいれんを起こした。
急いで病院へ連れて行ったものの、『もし光生が死んでしまったら。後遺症が残るようなことがあったらどうしよう。』と生きた心地がしなかった。
処置室の前で『神様、私の命を奪ってもいいから、どうか息子を助けてください。』と必死に祈っていたことを覚えている。
幸い、今は症状が見られることはなくなったが、少しでも熱が出ようものなら、あの時の記憶が蘇って心臓が縮みあがる。
無事でいてくれてよかった。
なんだかドキドキした気持ちのまま二号車から一号車へ向かう。
恐る恐る扉を開けると、また病室のような景色が見えた。熱性けいれんで入院した時かな?
ーいや、ここは、
「光生を産んだ病院だ!」
汗と涙でぐちゃぐちゃの顔の自分と、産声をあげる産まれたばかりの光生がいた。
予定より二週早く陣痛が来てすごく焦った。
初産でもあったから光生が生まれるまでに12時間もかかったんだよなあ。
『無事に生まれますように』と祈りながら、とにかく一心不乱にいきんでいたのが懐かしい。
見ている先には、生まれたばかりの光生の頬を撫でながら、
『生きているだけでママとパパの光。だからあなたは光生よ。』
と愛おしそうに言う自分がいた。
思わず涙があふれる。そうだった。生まれてきてくれただけで十分だったのに。最近は、周りの子と比べたりテストの点数を気にしたりで、光生のことを全然褒めることができてなかった。
私も至らない所いっぱいあるくせに、あの子を責めてばかりいた。今日だって『あんたなんか産まなきゃよかった。』なんて、売り言葉に買い言葉で、絶対に言ってはならないことを口にしようとした。
私なんて母親失格だ。
シュー、と音を立てて列車が減速し、停車した。涙を拭って顔を上げると、ドアが開いていた。
ドアの向こうからまばゆい光が差し込んでいる。
行かなきゃ、光生のところへ。
***
「―お母さん!」
はっと目を覚ますと、目前に心配そうに私を覗き込む光生がいた。
どうやら倒れていたらしい。
体を起こし、思わず光生をぎゅっと抱きしめる。
「な、なんだよ急に。さっきも『あんたなんか馬!』って叫んだまま動かなくなるしさぁ・・・。」
ぶつぶつ言いながらも抱きしめられたままでいてくれる。
この子はそういう優しさがあるんだった。
「生まれてきてくれて、ありがとう。」
更に強く抱きしめた。
「本当にどうしちゃったんだよ!」
と言って、さすがに照れくさいのか腕を振りほどかれる。
「お母さんも未熟なのに、光生を怒ってばかりいたね。ごめん。」
光生は暫く黙った後、
「僕もテスト勝手に捨てちゃってごめん。あとゲームの約束の時間守らないのも。クソばばあって言ったのも・・・。」
とぼそっと呟いた。
「いいのいいの。よし!ご飯にしよっか。」
そう言って頭を撫でると、だからさっきから何なんだよ!と笑いながら光生が私の手を振り払う。
二人で顔を見合わせて笑った。
今日は光生が好きなハンバーグにしよう。
間違いや未熟を補い合う中に愛は生まれると思う。
母親だからって完璧なわけじゃない。
感情を見切り発車させてぶつけるのではなくて、一度立ち止まって伝えよう。
あなたを愛しているから。
生きているだけで良い子なんだから。