2024/8/13 共感・同調
できれば毎日続けようと思って始めたnoteだが、3日目にして早くもサボってしまった。毎度一旦書き始めると書きたいことが色々出てきて長くなりすぎてしまうので、もう少し内容を絞って短めにしつつ投稿頻度は維持していきたい。
今日話したいのは”共感・同調”の大切さについてだ。昨日以下のとあるツイートを目にした。
要約すると、相手と同じ行動をすることで好意を与えるミラー効果は、恋愛やビジネスだけでなく日常生活における普段のコミュニケーションにおいても重要で、“共感・同調”をベースとする定型発達者にとっては距離を縮める上で不可欠だ、ということが語られている。
確かにそうだ。我々はコミュニケーションを図る上で共通の話題を探って同調を得ようとするし、相手が笑顔で楽しげな話題を振ってきたらこちらも笑顔で答えようとする。例えあまりピンと来ていなくても表には出さず同調しておく、というケースも多々あるだろう。なぜならその”共感・同調”の状態が我々にとって快適であり、そうすることで「あなたに興味があります」という意思をある程度お互いに確認できるからだ。
またこのツイートは発達障害者のコミュニケーションにも言及している。“共感・同調”をベースとする定型発達者に対し、発達障害者は基本的に自分の感性を優先するため、本当に共感した場合以外は同調の態度を示さない。そのため定型発達者からすると「この人は自分に興味がないのだろう」と捉えられてしまいがちなのだそうだ。
ここまで見てきた上で自分に当てはめて考えてみると、私に友達が少ないのはこの”共感・同調”が足りなかったからではないかと思えてくる。それも自分の感性を優先するというより、共感・同調する能力はあり自分もそれに快適さを感じるのにも関わらずあまりそれを表に出してこなかったという方が正しいかもしれない。逆張り精神を発揮して体育祭や文化祭を冷ややかに見たり、LINEで相手がスタンプや軽いボケを送ってきても短い一文でスカして返信したり、相手の熱量に同じだけの熱量で返してこなかった自分が思い返される。そうした”共感・同調”の不足が積み重なって相手に「自分に興味がないんだろうな」と思わせてきてしまったのかもしれない。今まで自分に友達ができないのを「コミュ力が低い」というような雑な言葉で表現していたが、こういう具体的な原因が見えてくると、「コミュ力」という曖昧な概念に逃げるだけで全く自分に向き合っていなかったことを強く実感させられる。
中学・高校時代の数少ない友達は本当にこんな屈折していた自分とよく仲良くしてくれたものだ。次会った時は友達でいてくれたことへの心からの感謝の意をしっかり伝えたい。