小噺 of the WEEK(2020年3月1日)
Facebook。
メッセンジャーとHBD投稿を除けば、あとはリード・オンリー・メンバーに過ぎないぼくですが、そんなぼくでも、Facebookといえばおじさん、おばさん。若者は、とっくにインスタとかTikTokとかでしょ?という、これまたおじさん的決めつけ先入観を持っています(インスタだってFacebookじゃん、という気もしますが、それはさておき)
自分がおじさんなんだから、フィードもおじさんからの投稿で埋まるよね、というところで思考停止せずに、それってほんと?と検証してくれたのがこの記事。結論はシンプルなんだけど、それってちょっと、いや、結構ヤバイ、というお話。
これは記事の中で引用される、年代別調査対象者、Facebook利用者(2018年)のデータです。総務省による「情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査」から引用されています。
10代の利用率17%に対して、利用者数は24人。60代の利用率14.4%に対して利用者数は43人「も」います。なぜなら母数が多いから。当たり前の話ですが、母数が大きいと率が低くても、利用者数は大きくなります。それはそうだ。
そして、Facebookの利用者が伸びる過程では、徐々に母集団の大きい年代からの参画者が増えていき(&既参加者ももちろん1歳ずつ歳を重ねていくので)、気付くと、おじさん、おばさんの割合が増えている、というわけです。
これは、やっぱり、日本のある種の縮図だよね、と思う一方で、ものすごく深刻なことでもないかと思う。
今のメジャーはかつてのマイナー。音楽だとわかりやすいけれど、ロックにしても、パンクにしても、ヒップホップにしても、エレクトロニックにしても、生まれたばかりの頃は「は?なんじゃ、そりゃ?」という受け止めに過ぎないものが、「いいじゃん?」と素直に受け止める若者が増えて、やがて、その若者たちの塊が、「これだ、これ」とかつての当たり前を追い出しちえ、常識を塗り替えていく。そして、実はそれが、また次のマイナーを生み出す余地を作り出す。そこには、時間の重みだけではなくて、層としての厚みが必要に思う。
でも、それができない。だって、前の世代の方が圧倒的に多いんだから。
うーん。
来週は、既に記事を決めています。日本の生産性について。同じことを書きます。
---今週はこんなのも読みました---