写真から読み解く「ピープロ特撮の現場」【連載第二回】
こんにちは、バリュープラス アーカイヴ プロジェクトです。
先日動画として発信した三池敏夫さんインタビューの全文を、こちらの記事で公開いたします。
三池さんは特撮美術監督として、ゴジラシリーズ、ウルトラマンシリーズ、平成ガメラシリーズと数多の特撮作品に中心スタッフとして参加してきました。また近年は、認定NPO法人ATAC(アニメ特撮アーカイブ機構)の発起人の一人として、残された特撮作品の資料を保存・研究するアーカイブ活動にも積極的に取り組まれています。
今回はその三池さんに、発掘されたピープロ特撮4作品のフィルムを実際にご覧になっていただきました。そして、
ピープロ特撮そのものの魅力、
その写真資料としての価値、
そして特撮作品の資料アーカイブの意義について、
様々な観点で語っていただきました。
【第一回はコチラ】
三池 今回、当時の写真をいっぱい見せてもらって、作り手の立場になった今の自分が思うことは「相当苦労したんだろうな」と。「時代もの」の特撮っていうと、なるべくセットの費用をかけないためにロケーション(屋外)で撮影するわけです。そうすると、この『快傑ライオン丸』などを撮影していた時代にはもう、時代劇では見えちゃいけないもの、例えば鉄塔だったり近代的な建物だったりが普通に存在していた。今だったら、仮にそういうものが映り込んでいても合成などで後から簡単に消せますが、当時はそんな技術も無いわけです。とにかく撮った画でそのまま編集して放送したいわけだから、見えちゃいけないものを映り込ませないように現場で頑張っている。そういう苦労の方に目がいきますよね。
──写真からも、撮影当時のそういった苦労が滲み出ているわけですね。
三池 ええ。特にアクションシーンは、やっぱりよくやっていると思いますね。これはどの会社の作品もそうなんだけど、ヒーローにしたって敵側にしたって、ああいう被り物(マスク、仮面)をかぶっている。もう本当に見えない、ほとんど視野がない状態で戦っているわけですよ。しかも撮影場所がロケーションということは──完成した作品を観ても気温って分からないけど──スタジオでの撮影以上に夏は暑いし冬は寒い。ロケーションでの撮影を続けて、毎週1本放送するってやっぱり大変なことなんですよね。
コマーシャルを抜くと、1話分の尺は24分ぐらいかな。オープニングとエンディングも抜くともうちょっと短いんですけど、それでも1週間に1本の作品を作るって大変なことです。作り手になってから見ると、ピープロ作品もすごく頑張って作っているし、独自の魅力があると思います。
──『風雲ライオン丸』は写真の枚数も多く、クレーンを用いて撮影をしている様子の写真もご覧になっていただきました。こうした当時の撮影の規模は、三池さんの目から見ても凄いと感じられますか?
三池 そうですね。『風雲』の飛び上がるアクションって「どうやって撮ったのかな」ってやはり思うところなんです。トランポリンを使えば一番早く撮れるはずなんだけど、写真を見るとクレーンで吊って撮るということも結構やっていたみたいで、大変な撮影だったと思いますよ。
当時は各社が競い合っている時代なんですね。おそらく「ライバル番組に負けないように」っていう意識を各社がお互いに持っている中で、ピープロは時代劇特撮の魅力を少しでも出そうということで、あの手この手でやっていたわけです。
──ロケーションという意味では、『鉄人タイガーセブン』第1話の写真も多くのフィルムが発見されましたが、タイガーセブンが川の中でマグマ原人カエンジンと戦っているシーンなど、今見ると本当に大変そうな撮影ですよね。
三池 そうそう。演じる人も大変だし、マスクやスーツを作った人も「え、水に浸けちゃうの⁉」と思ったはずですね(笑)。でもそういう当時の撮影状況の記録を、こういうスチールの形で残しているというのは本当に大事なことですよ。当時の子ども向けの情報媒体では、色々な出版社が専門のスチールカメラマンを派遣して、現場で撮らせてもらっているわけです。
現場もおそらくスチールタイムというものを設定して、「各社、宣伝用に撮ってください」というタイミングをあらかじめスケジュールに入れていたと思います。だけど本来、現場の人は1週間につき1本、テレビで放送できる枠を守るために作品を撮っていくことが最大の使命ですから。そんな余裕の無い現場の中で、ちゃんとスチールタイムを設けて、こうした良い写真を残そうという意識があったのはすごいことだと思いますね。本当に良い写真がいっぱいありました。
──宣材に使うようないわゆる特写だけではなく、アクションの立ち回りの瞬間や、撮影の裏側が見えるメイキングのような写真もたくさん残っていますよね。
三池 おそらく、決めポーズで「動かないで、構えてください」っていう写真は特写として撮りつつ、それにプラスして、撮影中にも邪魔にならないような位置から撮っていたのであろう写真もたくさんありますね。非常に臨場感のある、その場の様子を今に伝えるような良い写真がいっぱいありました。
──これだけ多種多様な写真が残っているというのは、児童雑誌に掲載するという以外の意図もあって撮影が行われていたのでしょうか?
三池 当時は雑誌の付録で、カード式に切り取ってコレクションできるようなものもありました。そういう色々な使用方法を考えた上で、キャラクターの写真も色々な形式で残す、という意図で撮っていたんだと思うんですよ。
ただそれだけじゃなくて、キャラクターをフレームに入れられるような良いポジションとは異なる位置から撮られた、メイキング的な写真も残っている。当然完成作品にそういうものは写っていないわけですから、撮影のバックグラウンドを現在に伝えるという意味で、研究者にとっても極めて貴重なものになっていると思います。これまで、ピープロ作品の研究ってちょっと立ち遅れている部分がありました。どうしても他社の人気作品の方が先行して色々な出版物を出している状況で、今回の発見はすごく大きなことだと思います。
【第三回に続く】
クラウドファンディング
「『ライオン丸』『タイガーセブン』『ザボーガー』昭和特撮フィルムを後世に残したい!」
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特撮美術監督 三池敏夫 プロフィール
1961年熊本県出身。1984年九州大学工学部卒業後、矢島信男特撮監督に師事。東映テレビヒーローシリーズに参加した後1989年フリーとなり、東宝のゴジラシリーズ、大映のガメラシリーズ、円谷プロのウルトラマンシリーズなどに特撮美術として参加する。2008年再び特撮研究所に所属。代表作は『超人機メタルダー』(1987)、『鳥人戦隊ジェットマン』(1991)、『ガメラ 大怪獣空中決戦』(1995)、『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』(2003)、『男たちの大和』(2005)、『日本沈没』(2006)、『ウルトラマンサーガ』(2012)、『巨神兵東京に現わる』(2012)、『のぼうの城』(2012)、『シン・ゴジラ』(2016)、『Fukushima50』(2020)、『シン・ウルトラマン』(2022) など。