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『igloo 1st albumリリースライブ stories1.~upheaval door~』ライブレポ



 「若林一也」というサックス奏者の才覚が迸るライブをZZZooや海へ向かうエバなどで何度も観ていたはずだったが、いち音楽家として、バンドのフロントマンとしてステージに立った時のキャパシティの大きさとポテンシャルの高さにぶちのめされたのは、2022年5月の江古田buddyであった。

それまで若林一也という人は、ロートレックが描いた歓楽街の営みのような天賦の華やかさと明るさで舞台の空気を軽やかにする人間性と、ヤマジカズヒデや森川誠一郎といった「バンドのリーダーになるために生まれてきたようなミュージシャン」の隙のない夜をイメージさせるプレイに、どこまでもついてくる月のような追走する演奏で膨らみと豊かさを添える才能と技術の持ち主だと思っていた。
 しかし、その解釈は、「当たらずも遠からず」が精々に過ぎない、乏しい知識の集積の脆さを露呈したにすぎなかった。

 『WE MIGHT BE WRONG』というプロジェクト名を冠し、田島拓(Gt)、岡部琢磨(Ba)、KAZI(Dr)という最強の布陣を率いて、(おそらくはいつも通りに)サックスを吹き鳴らしていた彼の、あらゆる言語が、すべての比喩が追いつかない、純然たる、けれど厳しくはない、ただただ音楽が音楽として存在していたあの夜。
 音が音楽へと変化するまでの過程が瞬き分の速さで過ぎ去る時間が惜しくて、終わりが来てしまうことが寂しくてたまらなくて、体を委ねて五感を預けて、恥も外聞もなく踊っていた。
 あの日からというもの、「彼の音楽をどう表現すれば彼をまだ知らないリスナーに伝わるのか」という課題に着手し続けているが、未だに適切な答えが見つからない。
 山本精一率いるPARAのパフォーマンスのように、酸素を携えて体内を巡る血のように溶け込む音楽。
 ウォン・カーウァイ『ブエノスアイレス』のような、衝撃と洗練が突風となって肌をびしびし叩く音楽。
 その、名前が、わからない。

 時を経て、4人のプロジェクトは、ヤマジカズヒデによってiglooと命名され、2022年11月に披露目ライブを行なった。
 そして2023年3月9日、下北沢CLUB Queで1stアルバム『PARASITE SYSTEM』のリリース記念公演が開催された。

 オープンを待ち侘びて地下の会場に繋がる階段に列を成す人々に混じる。90年代にトランスギャル(あるいはトランスボーイ?)と呼ばれていたであろう人の顔もちらほら目に映る。
 関係者にもファンにも分け隔てなく、屈託のない笑みと共にフラットに話しかける若林一也が築き上げてきた人間関係の柔らかさを垣間見た。

 開場の時が来て、防音加工かれた黒く、重たいドアを力を込めて開ける。満遍なく置かれた椅子に腰掛ける人々、二つのハイテーブルに荷物を置いて談笑する観客の数は合わせて約50人ほど。誰かの視界を遮ることなく、誰かの肌が何かの拍子に触れ合わない距離が保たれた空間を客電が照らす。

 

定刻を少し過ぎて開演。
 トップバッターは4人組プログレッシブハードフォークバンドの曇ヶ原。
 長髪に黒尽くめ、目の下に黒いラインを引き、日本アンダーグラウンドロックの系譜のど真ん中を脈々と受け継ぐ風体で、ダブルネックのベースギターとエレアコを携えたボーカルが「こんばんは、豊島区から来た曇ヶ原です」と挨拶した、この瞬間しか大人しくしていられる時間は無かった。
 仕掛けたのがボーカルだったか、痛郎バンドのメンバーのギターだったか、Borisにも参加するムチオのドラムだったか、重厚で多彩なメロトロンを奏でる彼だったか。
 兎角、はじめの一音が放たれたその時、素手で神経を引っ掻かれて、細胞が極彩色に染め替えられたかのような衝撃が全身を貫いて、無様に踊らずにはいられなかった。
 乱暴に例えれば、だててんりゅうにブラックサバスがめり込んだかの如き音像。最大公約数の銀河と最小公倍数の地球の暮らしがほんの刹那ばかりの時間で直に繋がり、ぶった斬られ、フィルムの暗転みたいに情景が移り変わるサイケデリア。
 一拍の狭間の残響が綺麗な放射線を描いて次の音へと転換するドラム、光を求めて空へ空へ高く伸びる繊細なギター、万華鏡の如く曲ごとに顔を変えるメロトロンの音色、良い意味でのいなたさが綻ぶボーカル。アンダーグラウンドカルチャーの文脈を確実に捉えながら、情念や怨讐が匂い立つ湿り気は皆無で、濾過された真水のような清々しさと爽やかさすらある。
 汗だくのまま着物の襟元を直す前に、あっという間に待ち時間が終わった。予想を遥かに超えた密度と濃度に観客全員が拍手を送った。


 青いライトで照らされた仄暗いステージでしばしの転換タイムが設けられ、いよいよ主役のiglooが登場。インプロの時のような黒いバンドTでもなく、ZZZooの時のような黒尽くめでもなく、派手で鮮やかなシャツに身を包んだ若林の姿に、バンドを率いるリーダーとしての覚悟が伺える。
 始まりはタイトル曲の「PARASITE SYSTEM」。ギタリストのファンテイル曰く「人に依存する僕の癖を一也くんが曲に昇華してくれました」という。タイトかつ鋭敏に刻まれるKAZIのドラムと、岡部の低音の襞を広げながら涼やかに流れるベースに耳を澄ませ、目を瞑り、足でリズムを取りながらサックスに息を吹き込む若林の傍で、田島の鉱石の破片のようなギターが泳動する。「メンバーには『とにかく俺を踊らせて』って言ってる」という発言に違わず、精密かつ巧緻でダンサブルな演奏。ミュージシャンズミュージシャンにしか許されない異空間。すべての音を拾い集めて同期したくなる多幸感と恍惚感がすり抜ける。


 iglooの音楽はカテゴライズできない。ジャズとロックとファンクとサイケで精製されているのは間違いないのだが、ジャズという骨組みに他の要素が落とし込まれるのでも絡みつくのでもなく、多層的でも彩色していくのでもなく、全ての境界線が重力から解放されて溶け合い、1本のレイヤーに収斂されている。
 だから、とても明るくて、軽やかで、煌びやかで、大人しくフロアに立っていることができない。目を見開いて耳を澄まして、音の跳弾の行先を一瞬たりとも逃すまいと、手足を動かすしかなくなる。

 続く「J.J.D」はフェラ・クティのカバー。前屈みになって荒々しい咆哮のような呼気を吐き出した若林がステージのギリギリまで前に出て、客の心臓を射抜くように黒目がちの大きな眼を見開いてフロアを見つめた時、ようやくiglooが4人の人間からなるバンドなのだと思い出す。若林の理想の極地であろう「iglooの音楽」という蛹を切り裂いて、羽化した瞬間を目撃したような錯覚。アイコンタクトを交わしながら描線の濃いビートを生み出し続けるリズム隊と、熱情が滑走するサックスの音色に呼応するギターを、真っ赤なライトが照らす。粒だった音がエモーショナルなギターソロが美しい。

 岡部とKAZIのゆるやかな3拍子から瞬時にトップスピードまで駆け上がり、楽器のフェードインとフェードアウトがくるくる展開する「DARK MATTER」、跳ねる打音と幾重もの小刻みなリズムが絡まりあい、数えきれないほどのギターの表情がムーディーに響く「COLD JIGSAW」、蛇行するベースに縦軸のリズムが交わる「EBINIRU28」。メンバーと楽器の境目がはらはらと抜け落ちて、音楽そのものへと純化していく。

 ここでやっと一旦MC。照れ隠しのような笑みを浮かべながらメンバー紹介と1stアルバムリリースの告知を終えた若林が、ゲストボーカルの森川誠一郎を呼び込む。全身を黒衣で包んだ森川の、白髪混じりの長髪の上を白いスポットが滑る。


 5弦ベースからウッドベースに持ち替えた岡部の隣で、森川の叫びとも祈りとも、呪詛とも散文詩とも結び付けられる声が会場を貫く。静と動のコントラストが織りなす緊迫感が印象的な「CrissCross」だ。「静」のパートでは、自身の指で瞼を押し上げる森川の高歌が放たれるたびに、舞台が薄墨を撒き散らした星のない夜空のような色に染め上げられる。「動」のパートでは4人の華やかで研ぎ澄まされたクールさで織りなすステージが還帰する。2組の拮抗の火花が燃えている。

 続く「joan」は森川、若林、KAZIが参加するZZZooのカバー。KAZIの切れ味鋭いドラムソロからスタートし、森川の黒い純粋さとiglooのリアルタイムで成長を続ける清澄な音像が混じり合う。燃え盛るギターの音色と、常温のベースラインがシンクロする。

 大きく伸びをした森川の吐き捨てるようなカウントからラストの「BEAT SCIENCE」へ。森川の暗黒を突き詰めて無垢になった歌唱に、若林の繊細さとタフネスが両生するサックスがカチリと嵌り、音楽の歯車が滑らかに動き出す。森川に食われるのでも、緊迫感のある鍔迫り合いを繰り返すのでもなく、同じレイヤーの中でようやく邂逅し、競演している。激しさと強弱のアクセントが肌を打つ。

 ここで終わるはずもなく、惜しまれながら奏でられたアンコールは2曲。青いライトが深海に沈み込むような幻惑に陥らせるアンビエントな「BODY&SOUL」。
 そして本当の最後を飾ったのは、フロアから足が離れている時間の方が長くなってしまうキラーチューン「魔法陣のテーマ」。生命の檻を蹴破らんばかりの激情を込めて荒ぶるサックスに、3人が1秒の遅れも取らず、疾走感溢れるままにバキッと揃う。4人が音楽を生み出しているのか、音楽が4人を追いかけているのかわからなくなる、ほんの束の間の奇跡とあい見えた時間であった。

 私が昨春であったのは、蛹の中で蠢く新しい命の前触れで、この日やっと羽化したばかりの4人は、これからも言葉が追いつかない楽曲を鳴らし続けるのだろう。
 音楽は果てしなく、どこへでも行けると信じて。

 

 
 
 

 
 

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