型にハマるな!お前は、お前であれ!❷
前回は私が会社を設立するに至る話でした。今まで評価されてこなかったのは、幼少期より評価されるフィールドにまだ出会えていなかったから?そもそも評価されるフィールドなんてあるのでしょうか?
今回はそのつづきを!
評価されるフィールドは絶対にある!
そもそも人間は一人一人個性を持っている。誰一人として同じ形がない「縄文土器」の様な形な訳だ。
※コレは後々出てきますが、私の勝手に師匠としている岡本太郎さんの考えです。
その縄文土器の形を活かしながら仕事が出来れば一番最高の人生!最高の自分の自然なパフォーマンスとなるのだが。
先に話した様に
「ハマらなければ=❌ダメな奴」
「ハマれば=⭕️優秀な奴」
と一般的には評価軸がある為、ある程度の求められるフォームが設定されている。
それがビジネスマナーであったり、社会ルールという物だ。縄文土器みたいに扱いにくい器よりも、一般的には世間の求めるフォームに沿った茶碗の形が会社からは望まれるという事だ。
では『茶碗であるメリットは?』何か?
・収納しやすい
=同系でコミュニケーションがとりやすい
・欠けていたり、少しサイズが違うなど見分けやすい
=評価する際に比較しやすい(視認性)
そしてそれが出来る・出来ないの順列をつけやすい事から《人事評価》という名の検品がされやすいに繋がる。
だからその会社には似たようなテイストの人が会社のカラーとなり存在している様に、私には見受けられる。
だが私は常に思う
「綺麗な収まりやすい形だから何だ?」と。
会社としては扱いやすく、統制を取りやすいに越した事はない。だがそれは出来る・出来ないの判断=「評価」とは違うのではないか?と感じているのだ。
社会に出る為にはこうあるべきだ!というさっき話したビジネスマナーや様々なルールを義務教育時代から擦り込まれ、極端な個性は削ぎ落とされて出来上がった「立派に作られた評価基準に乗っかった人間達」が、私はやはり全てにおいて素晴らしい人間であるとの評価とは思えない。
逆にそれ以上に特化したスキルを兼ね備えていても一般基準では社会不適合者という扱いに属すからといって、評価されない人という訳では無いのでは?!と言いたいのだ。
その会社では扱える力量が無いだけの事。
例えば
・髪の色が派手=仕事を真剣にやらなさそう
・PCが使えない=仕事が非効率
・理系出身=接客に向いていない
それらは基準を作ってる側の凄く身勝手な解釈の固定概念にしか過ぎない。(まぁ〜そもそもそれで見てる会社に、仮に運良く行ってもそのポテンシャルの高い子らは定着しないとは思うがw)
そこで大事なのが《理念》となる。
理念がしっかりある会社は、その人間が自分達と本当に合うか?を軸としているので、本質を見極めようとするだろう。例えば
❶縄文土器にある本質の面白い突起は何か?の《個性》を見る
❷社会的な一般スキルは持ち合わせているか?の《社会人力》を見る
相対的な《自社の理念マッチ》で判断する
そこは会社の業態により❶:❷の比率は存在するだろうが、しっかり人を見て採用するとはこういう基準だと私は思う。
上記の様な会社は『理念に則った採用基準・評価基準という芯がある会社』な為、人を見かけや思い込みで判断・評価をしない。
自分達の会社の一員として同じ方向性を示せる人間か?を判断しているので、事業に統一性が見られ、活気ある社員達のブランディングがされてくる訳だ。
(それが前に私が採用担当として所属してい介護福祉の会社HIDAMARIGROUPなのだが、その話はまたにしよう!)
だから会社は
《理念》が大事で、採用される側もその会社への《理念共感》が絶対的に必要である。
その部分を考えずに就職しても「評価されたいが、評価されない」なんて嘆いて転々と転職を重ねる事になるだけで、時間も労力も無駄にしてしまう。
自分が評価されたいならば、自分がまず理念に共感するフィールドを探せ!という事。
そしてその理念を共感したフィールドで、一生懸命評価される様に努力を重ね、小さな実績を先ずは沢山作り、周りから信用を得るのだ。
それを継続する事で、『お前がお前であれ!』という自分らしい自分をを築いていけると考える。
そう!絶対にあるから!
アナタを評価してくれるフィールドが!
つづく
型にハマるな!お前は、お前であれ!❸
『個性を削ぎ落とし過ぎるな!守り続けろ!』
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