私心理学 自立
情報を入れれば入れるほど、考える余地が少なくなる。
答えのない場面でも、既存の情報に頼り、それに近い答えを探す。(脳内ぐぐる)
検索が習慣になっていると、答えを出すのではなく、答えを探すという癖が身に付いてしまう。
「世代を繋ぐこと」はもちろん人間が生きることにおいて最も重要なファクターだ。
だが、それに次ぐくらい大事な要素として「自立」というものがある。
ここでいう「自立」は、世間一般に言われているような、親元から離れるとか、金銭を稼いで家を買うとか、結婚するとか、そういったことではない。
「自立」とは自ら考え、行動し、その責任を全うすること。
極論を言えば、ホームレスでも自立している人はいるし、総理大臣でも自立していない人はいる。
修業の心得として「守破離」の法則がある。
「守破離」とは、まず師匠の教えを忠実に守り、次に教えの上に自ら工夫を加え、そして一切を超脱し無心に至ることである。
守破離の法則は人生全般にも当てはまる。
”守”とは親の庇護を受けている段階である。
通常、思春期まで続く。
”破”は周囲と自分の考えの違いに敏感になり、時に親や世間と対立する段階。
期間としては一般に思春期から成人になるまで。
”離”は親を含めた周りの人間、あるいは社会そのものから超脱して、自分の考えを持って生きる段階。
自ら考え、行動し、結果の責任を自分が負う。
二十歳で"離"に進む人間もいれば、八十歳でも"破"に留まる人もいる。
その中の”離”の段階が「自立」という。
自立とは客観的なものではなく、主観的なもの。
「自立」についてさらに考えてみる。
自立した人間は、置かれている環境や立場に文句は言わない。
世間でいわれている価値観(大企業に入れば安泰、大学には行った方がいい、家事は女がするものetc)を私流に問い直す。
まっさらな心で、みんなはそういうけど、本当にそうなのかと考えてみる。
自ら深く考え、自らの心に根差した答えを出すことが大切。
情報を多く取り入れ、分類し、整理する、その中で自分に合ったものを残す、そんな高度な技を脳は保持しているのだろうか。
情報を受け取ってばかりいては、自立はできない。
受け取ったものを咀嚼し、改めて一から組み立てる。
おそらく、noteに文章を書いているような人間は情報を血肉とし、自ら考え生きている人が多いと思う。
私はといえば、稚拙な文章が示す通り、まだ”離”の段階には進めていない。
なぜ、私がnoteに大きく「自分心理学」と銘打って文章を書くのかといえば、言うまでもなく私は私が考える「自立」をして生きていきたいからである。
34歳になるが、これまでに誇れるような仕事をやってきたことはない。
今は生きるために、小さくてもいいから、自分の経済圏をつくりたいと思い、奮闘中である。
杉林に杉の木を一本植えるように、広大な海に一滴の滴を垂らしたい。
誰のためでもなく、私自身のために。