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「Das Deutsche Volk」

ベルリン映画祭へ。

2020年にドイツのハーナウで起きた極右思想に基づくテロ事件の遺族と生存者側にフォーカスしたドキュメンタリー「Das Deutsche Volk(仮訳:ドイツの市民)」を観たかったのだ。遺族や生存者が事件後4年間にわたりどう事件に向き合い、当局に対し何を働きかけてきたのか、視聴者は白黒の映像や語りを通じて道のりを同伴することになる。

観終わっての印象を一言でキーワードにすれば、

「噛み合わなさ」

遺族は常に「何故息子(家族)は人種差別によって殺されなければならなかったのか」「何故死してなお差別的な対応を受けなければならなかったのか」「どうすれば風化させず、次の事件が防げるのか」を問い、当局に対し根本的なヘイト由来の事件の再発防止や当時の当局の対応に人種差別的な要素がなかったか検証を求める。一方、カメラに映しだされるのはそのメッセージを受け取っていない当局やドイツの政治家の姿、そのかみ合わなさ。事件の悲惨さを受け、被害者への連帯の動きは大きく、大規模な検証も実際に行われた。しかし、結論はインセルによる単独犯で、事前予期は不可能、当日の対応も混乱の中で最大限を行った、というもの。あくまでも悲劇の一つでしかなく、なぜドイツでネオナチによる事件が重なるのか、防げないのか、そういう遺族にとっての根本的な疑問は解消されない。また、遺族が最も問題視した、当日の警察や当局による移民背景のある被害者や遺族への差別的な態度、警官によって生存者が人間の盾扱いされたこと、遺体が放置され、遺族の再三の問い合わせにも関わらず連絡は翌日昼過ぎでしかなかったこと、つまり人道的な扱いを受けなかったことなどは、細かい現場レベルでの課題はあれど大筋正当であったと処理され、謝罪どころか、問題の認定もされない。

遺族は世論に訴え運動を広げていくが、検証が一定の結論を見た後は「これ以上何をしろというのか」という空気もじわりじわりと生まれていく。すれ違いが続く。

象徴的だったのは、市の中心にある広場に事件の記念碑を建てたいという遺族の要望に対し、形式上対話は続けるが、記念碑の設置はあくまで拒否する市側の態度。

市民はもう充分連帯を示したではないか
市の中心となる広場に記念碑を作ることは、そういう市民に人種差別を背負わせることになる、彼らは差別主義者ではないのに
市民は連帯している、しかし広場に記念碑は設置できないという意見が多数派である、これは両立する

決して明言はされないが、市側の担当者の全身から、もう次に行きたい、事件を背負いたくない、という心の声が伝わってくる。ニュルンベルクを訪れた際にも感じたこと。ヒトラーを最初に選んだのは確かにニュルンベルク市民だが、その後の負の歴史まで一身に背負わされることへの抵抗。極右の台頭やヘイト由来の凶悪事件が増えているのはドイツ全体の問題であって、自分たちではない、「たまたま」ハーナウで事件が起きただけ。

「市民扱いしてくれないドイツなんて嫌いだ」

と話し合いの席で思わず声を荒げた遺族の1人に対し、市の担当者は「その発言は受け容れられない」と反論する。自分(※役人)のことはどんなに嫌って罵倒しても良いが、こんなにも連帯を示した市民を嫌うことは受け容れられない、と。もう充分連帯を示したではないかという発言の根底に否応なく透けて見えるのは、おそらく無意識の「わきまえろ」という感覚だ。通常であればこんなに時間を割かないのに、充分特別扱いしているではないか、と。でも、もし青い目で金髪の子供が複数犠牲になったら、そんなことはきっと言われないだろう。大統領の連帯は当然視されたであろうし、記念碑の設置の話し合いだってここまで平行線にはならなかったろう。そして移民背景を持つ人間は、こうした無意識の構造的なバリアを目の前に「この現実と折り合いをつけて生きていくしかない」。

実際、当初はインタビューに登場した生存者や遺族たちも、映像が進むに連れ画面に現れなくなっていく。最後まで個別の撮影に応じているのは2家族だけだ。ドイツに移民として生きる以上、納得がいかなくても呑み込むしかない。特にドイツ語のレベルが高く、言葉を選ばずに言えば「統合している」ように見える遺族や生存者ほど、早々に画面に出なくなった。一方、なかなか折り合いを付けられない遺族が拠り所にしていくのは宗教や大家族など出身地の文化・慣習だ。親の世代からのガストアルバイターでずっとドイツに暮らしていて、自分はハーナウの民だと思っていても、事件に向き合う中でドイツ社会の壁に改めて直面し、精神的な支柱を求めて出身地の文化・慣習に回帰していく。

連帯が存在することはドイツ社会の紛れもない事実だ。でも連帯って何なんだろうか。このドキュメンタリーに通底する嚙み合わなさは、極右政党がここまで台頭した今に間違いなく繋がっている。今週末は国政選挙だ。移民難民問題はこの1ヶ月で大きな争点となった。不法滞在が主な対象といいつつ、根底には移民へのそこはかとない恐怖心、もっと言えば嫌悪感・ヘイトが存在している。そしてその対象に合法的に滞在する人までも含めて、組織的に反移民感情を煽る勢力が間違いなく存在する。この4年間で極右政党は大きく支持を伸ばした。遺族や生存者が懸念し訴えてきたのは、根本的な問題に蓋をしてきたツケが回りつつあるんじゃないか、ということだろう。今のドイツをよく現わしているドキュメンタリーだった。

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丁度2月19日は事件から5周年だった。
当日対応したSWATチームにもネオナチ思想の信奉者がいたこと、犯人は自らのwebサイトで度々極右思想と他害意識をシェアしていたが当局はノーマークだったことなど、改めて問題提起する報道も多いのでシェアしておきたい。


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