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尊敬する方に
いつも大変お世話になっております。
社会から離れてひっそりと隠居でもと考えていた自分に、新たな目標を示して頂けたこと、真に感謝しております。
先日新たに頂きました「公平性」に対する問について、今の私見をお伝えしたいと思います。
まず「公平」などと言う大きな概念は、知っているようで全く理解していないのが、常々の私ですので、簡単にGoogleで調べてみることから始めました。
ありがたいことにGoogleAIのGeminiがわかりやすくまとめてくれていました。
以下Gemini君
公平性とは、差別や不正をせず、偏りなく分け与えることを意味します。結果の平等とは異なり、個々の状況に応じた対応を行い、すべての人が同じ機会を得られるように調整することを指します。
公平性の類義語には、次のようなものがあります。公平さ、偏りのなさ、中立性、公正さ、 フェアさ。
公平性を推進する際には、個人の状況を考慮することが必要です。身体的な障害、精神的な健康、言語の違いなどは、すべて個人の状況の一部に含まれます。
企業においては、公平性を重視することで、イノベーションの創出や従業員のモチベーション向上、優秀な人材の確保につながります。
なるほどな答えを返してくれました。
私のような一般的な人間には扱うのが非常に難しく感じる美しく素晴らしい概念で、これが叶えられた社会が来ることを願わないことはありません。
一方ですでに社会が公平であるなら、公平などと云う言葉が存在しないことも、また事実だろうと思います。
現実を見るならば、公平と云う言葉が存在している時点で、世の中は公平ではなく、また今日が進化の先端であるとするならば、これまで社会には公平は存在したことがないことを示しており、今日は公平を切望しつつ、公平が存在しない社会で、公平に向かう途中であると思われます。
ですので、誰もまだ公平とは何かを決定づけることが出来ないことになりますし、一人の人間が公平を扱い、背負い込むことは、これでの通りいまはまだ不可能です。
また公平の理解を難しくしている理由はGemini君の言う「結果の平等」を公平と混同しがちなことがあるのではないかと思います。
「結果の平等」を求めることも一つの考え方ですので、そこに是非はありませんが、いま私たちの住む日本が「民主主義」と「資本主義」のルールを両輪にそこに住まう人々の幸福に向かって進もうとしている社会であることを考えると「結果の平等」を求めることは、社会の混乱をもたらすことと同義のようにも思われます。
上記の内容は中学までの義務教育で学ぶことですので、多くの人びとの周知の事実と思われますが、それでも「結果の平等」がこれほど強い力を持つのには、様々な背景があり、それも考察するに値する楽しい問かと思われます。
ここからいまの私の意見です。
全ての人が納得するに足る真の公平性にはまだまだ遠いかも知れませんが、いまの社会で到達できる公平には限りがあり、その一つの到達点としてGemini君の返答の中にある「機会の平等」があげられるのではないかと思います。
「結果の平等」には予測不可能な様々な事象全てに対して答えを用意しておく必要がありますので、それをコントロールすることは、全く不可能なことのように思われます。
しかし「機会の平等」なら、まさに公が扱うに相応しく、ルールや構造のデザイン次第で実現可能な事象のように思われます。
私も多くの人たち同様に公平性を望む者ですが、現実から飛躍した理想的な公平性を声高に叫ぶことは少々憚られる性分で、いま実現可能な公平のような「何か」をまず実現して、次に進むことを望む者です。
公平を求める人間ですが、その人間の住む世界の普遍的なルールとして、誰もが本人が望んだから生まれて来てた訳ではなく、また生まれた時点で個体差があり、生まれた場所、環境の差があるのが事実で、そのルールからどの人間も逸脱できません。
誰もがこの世界に生まれると云う「機会の平等」に恵まれる中で、個体差や環境差と云う生まれた「結果の不平等」捉え、その差異を埋めるほどの平等を望むことは、人間の存在の限界を大きく超える望みであると思われますし、そしてもしそれを埋め得るとしたら、もう人間以外の別の存在だけではないかと思われます。
私は公平を望まない者ではありません。
誰もが望み現実に手に入る程度の公平を望む者です。
「機会の平等」が手に入るいまの社会は、私にとっては十分に公平な社会で、その社会の中で、時に私の目の前に私にとって都合の悪い事象が広がったとしても、それこそが公平がもたらした結果であると納得している者です。
なんでなんですかね、生まれて、何かしらの活動をして、死ぬ。
とてもシンプルに自然はそのルールで動いてるのに、人間の社会はそれ以上を望んでも良いと思い込んでしまえるの、不思議です。
散文失礼しました。
書いてる中で「公平」は
①公平にはいくつかの段階がある
②いまの社会はどの段階の公平にあるのか
③個人の中でどの段階の公平を望むのか
④どの段階の公平は実現可能か
⑤真の公平を実現した社会の姿
⑥人間社会の公平の変遷
くらいにまとめて論じると割と楽しいのかなと思いました^ ^