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#23 それにしても悪は可能だろうか? ズレ

VOLOJZA(ボロジャザ)という名前でラップをしたり、ビートを作ったり、アートワークをやったり、映像やったりしています。諸々メモがわりにかいてこうとおもいます。


引き続き三島由紀夫の金閣寺をちびちび読んでいるのだが、タイトルの言葉が出てきた。

「それにしても悪は可能だろうか?」

自分で自分を鏡で見てる時、自分は間違いなく自分を見てると思っているけど、誰かにふと撮られた写真や映像を見たとき、「俺ってこんなんなんだ…」って思うことがしょっちゅうある。
声もそうで自分の声を改めて聞いたとき、「俺ってこんなんなんだ…」とやはり思う。
自分と自分にズレがある。
しかし撮られてる写真をよく見たり何度も何度もレコーディングした自分の声を聴くとそのズレも徐々に一致していく。
慣れていくともいう。
慣れたとしてそのズレてた部分は霧散したかといえば謎だしそんなに自分の撮られた映像や写真を見たり、レコーディングされた声を聴く習慣がある人も多くはないだろう。
つまり大多数の人が自分と自分のズレを認識してないまま生きているのかもしれない。

世界と世界にズレがある。
それがSNSやインターネットまたコロナ禍において人との接触をとれない事によってズレが加速しているのではないか?そして逆にズレてないと思っている人も増えているのではないかみたいな話をよく見聞きしたり考えることも多かった。

んで気がついたらとんでもないくらいズレているかもしれないそのズレた世界にいるズレた自分は
一体誰なんだろう?
またその、ズレってところに悪ってのがいたりして
それが真犯人ということにして
魔が差すってやつ?


「それにしても悪は可能だろうか?」

悪があれば罰があるし罰があるなら神もいるだろう。

逆にいえば神がいなければ罰もないし悪もないのか?
じゃあこの今起きてるこの
あれやこれは一体なんぞや…?

みたいな事も念頭にあったような気がするし、不条理で辛い現実に中々、折り合いがつけられない気持ちもあったような気もする。(折り合いはつけているがつけられている自分だけが自分か?みたいな?)逆にシングル全盛の昨今、一発早口で強い曲を作ろうという打算もあったり笑(これは確実にあった) で作った曲。
いつもテーマを決めないでリリックを書くのであとから自分で解釈してみました。テーマを決めないのは、テーマを決めるとテーマに寄せすぎて自分の気持ちに嘘をついて書いちゃうから基本的にテーマはきめないでしっくりくる感じを目指して書きます。この曲は敢えてしっくりこないようなラインもいれています。


日曜日にはMVもアップする予定なのでチャンネル登録、イイネ!してくれたら嬉しいです。

読んでいただきありがとうございました

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