忌み子として生まれて
2020年11月、Twitterに革新的な機能が実施された。
名をフリートという。
Twitter上では彼の誕生を喜ぶ声で溢れかえった…わけではなかった。
「インスタグラムじゃねえぞ?」
「5G?」
「どこの層に需要があるんだ?」
「馬鹿にしてるの?」
「コロナは5G」
彼は、”忌み子”だった…。
元々、長い命ではなかった。
その一瞬の輝きを人々に魅せるために生まれてきた存在だった。
それなのに何という無情。何という非情。
生まれたばかりの彼には好奇の目が集まった。
遊び半分で皆彼を使った。
そして飽きると皆彼を捨てた。
そして彼は忘れ去られた。
需要が、なかったのだろうか。
だが、彼がもう一度その輝きを取り戻す時がやってきた。
しかし、それは同時に彼自身の死を意味していた。
誰が悪いというのか?
いんすたぐらまあか?
てっくとっかあか?
それとも、生みの親であるついったあか?
あゝ、フリートよ君死にたまふ事なかれ。
あゝ、フリートよ君を泣く。