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正直、最初は民族音楽をナメていた。
トゥバから来日したホーメイのスーパーグループ
Huun-Huur-Tuを見たのは、
忘れもしない1998年の渋谷オーチャードホールでだった。
告知ポスターには
「一度に二つの音を出す驚異の歌唱法ホーメイ」
という文字が踊っていた。
一度に二つ?
ホーメイ?
トゥバ?(どこの国だよ?w)
どうせ
「あ、言われてみれば二つ聞こえるね」
程度のもんだろう、とタカをくくっていた。
民族音楽のミの字も知らなかった私は、
完全に民族音楽を見下していた。
が、その日に私の人生は決まってしまった。
1998年が私の民族音楽元年となった。
◆
その後、良縁があり、当日明治大学の教授で、
日本の民族音楽のパイオニアの1人だった
江波戸昭先生の講義に潜る機会を得られた。
江波戸先生の講義は、良い意味でミーハーだった。
”この声は凄いですよ!”
”この楽器の表現ったら、凄いなんてものじゃない”
江波戸先生は学者としてではなく、
心の底から民族音楽のファンだった。
(もちろん、江波戸先生の専門である”経済地理”による
学際的な解説は、実に面白かったし、全体的・立体的に
民族音楽を理解するにはとても役立った)
先生からは、
「おい徳久!これ聞いてみろ!飛ぶぞ!」
と、色々な音源を紹介してもらい、
本当に飛ばされた
自分の浅い知識を恥じた。
何よりも民族音楽・民族芸能のバリエーションの豊かさ、
奥深さ、洗練さに魅惑され続けた。
その後、いくつかの芸能に関しては現地で生で経験することになり、
つくづく「伝統の力」の強さを思い知らされた。
そして、今でも自分の表現に関して、
私自身が生きている時代・土地・文化を意識するようになった。
伝統の力に対抗し得る、
ここでしか、私でしか作れないものを創ることを心がけている。
マイナーながらも、私が23年も活動し続けてこれたのは
間違いなく民族音楽を知ったからだ。
◆
今でも、
世に存在する全ての音楽が「民族音楽」だと思っている。
その音楽を生み出した土地や、その土地で育まれた文化、
その文化を作った人々の世界観・美意識に影響されない
音楽表現はあり得ない。
(なので、ジャンルに属さない音楽、
という表現はあり得ない机上の空論だと思っている)
◆
際立った音色を持つ、民族音楽の声、をずっと研究していて
感じ始めたのは、
人間の声の多様性
だ。
これらの芸能は、普通に日本に生まれて育つと、
とても自分には出せない声だと感じる。
が、これらの特殊な発声は、
我々日本人と同じ種、ホモ・サピエンスの声なのだ。
ホーメイを初めて聞いた時は、
トゥバ人は遺伝的に喉が特殊なんだ
と思った笑
でもそれは間違いだとすぐ気づいた。
同じ日本人でホーメイをやっている人がいたからだ。
そしてその後、
それは私自身の習得や、生徒さんへの指導で、
確信と変わる。
人間は色々な声を出せる生き物なのだ、と。
色々な音が出せる生き物だから「言葉」が生まれた。
そして、それがホモ・サピエンスと、
他の生物との最大の違いの一つだと気づいた。
◆
そして、生き物は、その特徴を使わないと、
活かさないと、能力が衰える。
走る生き物を檻に入れて走らせなくすると
瞬く間に弱る。
とはいえ、人間の場合、
いろんな声を出さないと、分かりやすい形で
衰える訳ではない笑
しかし、
いろんな声を出すと、普段の声が良くなるのは
間違いない。
最先端のボイトレは、色々な声をだすことが
一つの特徴だ。
色々な声を出すことは
メンタルや性格にも影響が出る。
なぜなら、声は身体と心と密接に関わっているからだ。
だから声はその人自身のアイデンティティが強く現れる。
その強固なアイデンティティから、
一時的にでも、安全に、逃れる手段の一つが、
色んな声を出すことだ。
その場合、
とても自分から出せるとは思えないような声に
チャレンジすることをオススメする。
自分がアイデンティティだと思っていたものが
ちっぽけなモノだと分かるだろう。
何よりも、自分の中に、膨大な可能性があることを
知ることが出来る。
そう、民族音楽における特殊発声を巡る旅は、
自分の中の可能性を旅することに他ならない。
という訳で、民族音楽の特殊発声を安全に習うためのイベントを企画しました。 詳細・お申し込みはこちら
https://resast.jp/events/674589